ボクオーン
その2

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 生活保護費は年間で数兆円に膨れ上がっている。働けるのに働かない輩や朝からパチンコ屋に並んだりする不正受給者も多い。大抵の不正受給者は罪悪感など露ほどもない。国民の税金で生かされているのに感謝の気持ちなどからっきしない。人のものは自分のもの、自分のものは自分のものという感覚が染みついている。彼らの被害者意識は強い。女のヒステリーのような被害妄想である。ヒステリーにつける薬がないように彼らにもつける薬がない。彼らは虐げられていると思っている。口を開けば、政治が悪い、行政が悪いの一点張りだ。彼らのプライドは高い。生活保護者のくせにプライドが高いのは滑稽だが、ボクオーンのように「人生は苦だ」などと言ってのける愚か者も多い。人の金で食って寝ているのに、そんなことを吐ける資格がそもそもない。国民の多くが彼らにいっそ死んで欲しいと思っている。死んでも困ることは何もない。悲しむ人もいない。もしいればそいつも生活保護者だ。彼らの多くは貯金がない。ぎりぎりで生活していると言っているが、かなり贅沢している。ワーキングプアが貧困に苦しんでいるのに比べ生活保護者は働く気など皆無で保護費が安い、安いと文句を言っている+。彼らはホームレスを軽蔑している。自分らは生活保護費を受け取ることのできる特権階級に属しているのに対し、ホームレスは国から見放された用無しだと思っている。ホームレスのことをしばしば乞食と言ってはばからない。自分らはその価値があるから国が保護費を出すものだと思っている。彼らには常識も判断力もない。ボクオーンのような鬼っ子が生まれるのもさにあらんである。  ボクオーンは宅配の寿司を食べていた。週に二回、土日は寿司の日と決めてある。軽く三人前はいく。国民が休息している土日に寿司を食べるのは気分がいい。俺のために国民が働いてくれることを祝っているつもりだった。週に一回、焼肉を食べに行くことに決めてある。国民が英気を養えるように焼肉を食べるのだ。カルビ三人前、ロース、ハラミ、タン塩二人前、カルビクッパ、キムチ盛り合わせ、生ビールとメニューは決めてある。これで軽く一万は超える。だが肉を食うと活力がみなぎる。食物連鎖の頂点にいると勘違いするのが心地よい。彼はいつもこぎれいにしている。ここがホームレスと違うところだ。彼が行く精神科病院にたまにホームレスが来ることがある。そうすると彼は彼らの放つ悪臭に耐え兼ね逃げ回る。精神科の医者は彼にとって薬を処方するマシーンでありカモである。障害者年金を受けさせてくれる医者を探し回るのが今のところ彼にとっての「仕事」である。  ボクオーンはある頃から嫁が欲しくなった。毎日SEXできるなんてどんなに幸せなんだろう。ガキはいらない、生まれてきても育てる気はない、その辺に捨てようと思っていた。結婚相談所には行けなかった。中学中退で生活保護を受けている人間を相手にするところではなかった。そのあたりの知恵はまだあった。彼は自分を客観視することはまずないが、客観視せざるを得ない所には近寄らないようにしていた。鏡を見ることすら彼はなかった。自分が考えている自分と異なった自分がそこに映し出されるからである。彼は鏡が歪んでいると思った。そこで合コンである。数少ない友人に声をかけて合コンを開こうと提案していた。彼は中央大学法学部卒のエリートを装った。見抜かれる心配はなかった。誰も彼に法律のことなど聞きもしないと確信していたからだ。聞かれても話をはぐらかす技術は一人前にあった。職業は何にしようかと迷ったがM物産に決めた。何も理由はない、彼が最も興味がない種類の職場にしただけである。彼には貿易というものが分からなかった。ただ商品を右から左へ流して差益を稼ぐだけという単純な職業に思えた。そういうなら漁業も魚を海から市場へ移すだけの職業である。というわけで彼にはおよそ商業というものが愚かしさの極みというように思えた。マスコミ関係もいいかなと思ったが、相手の女性に突っ込まれても困ると思い、とりあえず止めにした。  その夜、自殺サイトに再び侵入した。 《ボクオーン》 「合コンしたいんですけど、やったことないんですよ。合コンてどんなことを話すんですか、適当なことを話せばいいんですかね。結婚前提でお付き合いしてもいいんですかね、合コンで出会う女は尻軽っていうじゃないですか。僕、結婚前提じゃないと女性とお付き合いすべきじゃないと思うんですけど、どうですかね」 《オマリー》 「おい、ボクオーン。結婚を舐めてんじゃないぞ、女を食わしていけるのか、生活保護の分際で」 《ボクオーン》 「さんを付けろ! 呼び捨てにするな! ボクオーン様だぞ、せめて、さんを付けてくれないですかね。相手の女性に働いてもらえば、僕が生活保護を受けていてもやっていけますよね。どうですかね」 《オマリー》 「お前はとことん情けない奴だな。働く気はないのか、三十代のくせして一生、生活保護を受ける気か。お前は言ってみれば日本という国の悪質なヒモだな」 《ボクオーン》 「僕が働くわけないじゃないですか、せっかく国が毎月お金を入れてくれているというのに、なんで働く必要あるんですか。僕は障害者なんですよ、解離性双極性障害のⅡ型です。先生がそう言っているんですよ。僕はもっとみんなに大切に扱われてもいいんじゃないですかね。恋愛結婚じゃなくても見合いでもいいんだ。結婚できればね」 《オマリー》 「おい、ボクオーン、狂ったか、お前に見合いの話が来るわけないじゃないか。そもそも恋愛する権利もないんだぞ、生活保護の人間なんて世間じゃ人間として扱われないんだぞ、分かっているのか」 《ボクオーン》 「サイトの皆さん、オマリーが僕を苛めるんですけど、こんな事あっていいんですかね。人権問題だ。人権蹂躙で訴えますけどいいんですかね」 《吉田》 「生活保護の人間だって生きる権利はある。当然、結婚する権利もね。でも不正受給者が結婚するのを見るのは抵抗がある。私だっていい歳をしながら、経済的問題で結婚していないんだから」 《ボクオーン》 「へっ、それ吉田さんの性格に難があるから結婚できないんじゃないですかね。前から聞いてみたかったんだけど吉田さんって働いているの? 不正受給者だという噂もちらほらあるよ」 《吉田》 「私は前から言っている通りシステムエンジニアだ。日本中を飛び回っているよ。ガセネタだね。ボクオーンさんのような不正受給者と違う」 《荒らし》 「吉田死ね、吉田死ね、吉田死ね、吉田死ね、吉田死ね。ボクオーン死ね、ボクオーン死ね、ボクオーン死ね、ボクオーン死ね、吉田死ね、吉田死ね」 《ボクオーン》 「へっ、僕が不正受給者だって。おかしなことを言わないでね。僕は立派で誠実な生活保護者なんだよ。ちゃんと毎年資格を更新しているんだから」 《吉田》 「生活保護者に立派もへったくれもないよ。社会の底辺で国民に迷惑をかけながら生きているんだから。ところで君って生活保護を受けるほどの障害者なの?」 《ボクオーン》 「僕は精神科医認定の障害者なんですよ。おすみつきを頂いているんです。他の人とは格が違う。筋金入りなんだ。僕は一生、生活保護を受けて優雅に暮らしていけるんですよ。でも金遣いが荒いから、いつもぴいぴい言っているけどね。本当は今の倍は貰ってもいいんだけど、最近の日本人は働かなくなってきているからね。もっと僕のために汗水流して働いてくれないかなぁ。どう思います? 僕がいるからみんなこの世に存在できるんですよ。僕の将棋の駒なんだ。最近、日本人は怠けることを覚えたからなぁ。僕がいなけりゃ日本は一秒だって立ちいかなくなるんですよ、日本の命運は僕が握っているんだ。そうですよね」 《オマリー》 「ボクオーン、お前、それ狂人が喋っているということが分からないか。てめえのことなんか、誰も知らないぞ」 《ボクオーン》 「言ってみれば、オマリーさんも僕の意識の中の一人なんですよ、僕は永遠に一人芝居をしているんだ。僕が死んだ時、この宇宙は消えてなくなりますからね」 《オマリー》 「へっ、気違いに付ける薬はないか。まぁいい、お前の骨を拾ってやるよ。『哀れな狂人、ここに眠る』っていう墓を建てればいい」 《ダイ》 「オマリーさんは気が長い、僕はボクオーンさんと話していると具合が悪くなる。この世の中に絶望的な気分になる。あぁ、こんな馬鹿でも日本国は生かしてやるんだとね。精神病も重くなると治らないから一定以上の精神錯乱を起こした人はみんな死刑にすればいいのに」 《ボクオーン》 「えっ、それ僕のこと言っているんじゃないですよね。そうですよ、気が狂った人から殺していけば、日本はせいせいする。狂人を抹殺する軍事部隊を作りませんか? どうですかね」 《オマリー》 「お前が一番先に殺されるよ、ボクオーン、この気違いが!」 《ボクオーン》 「えっ、何言っているんですか、僕は天下の障害者だけれど気違いじゃないですよ。気違いは暗がりに潜んでいて、僕のように公道を堂々と歩けないんですよ。そうですよね、僕のような大物の障害者はみんなに奉仕してもらえる存在なんですよ」 《ダイ》 「ボクオーン、死ね、この世から消えろ、お前のおかげでこっちも具合悪くなる」 《ボクオーン》 「あれ、落ちた。逃げ足の速い奴だ」  ボクオーンは同じチャット仲間のスナメリとテトラを誘って合コンの計画を練り上げた。相手の女性は彼らのバイト仲間で三人集まった。スナメリはコンビニでバイトしていて、テトラは警備員のバイトをしている。カラオケボックスで合コンは開かれた。ボクオーンは最初に女性たちに会った時に「だめだ、こりゃ」と思った。彼の美意識はテレビの中で作られた。いくらでも美男美女がいるそのレベルで女性のことを考えていた。ごく普通の容姿の女性は眼中になかった。今日子、明美、小雪という女性はそういう容姿をしていた。  スナメリは不安障害と統合失調症だった。テトラはうつ病患者だった。今日子、明美はコンビニの店員、小雪は警備会社で事務をしていた。カラオケでボクオーン以外の人は盛り上がった。スナメリとテトラは次々に女性たちと打ち解けていった。ボクオーンがボーっとしてつまらなそうな顔をしているのを見て、小雪が話しかけてきた。 「歌は歌わないの? 水野さん」 「あっ、ボクオーンでいいよ。僕は本名なんてどうでもいいと思っているので。水野正孝という人間はどこにもいない」 「じゃ、ボクオーンさん、好きな歌手いる?」 「いないよ、僕にはどの曲も同じに聞こえる。サザンもミスター・チルドレンも昔の曲を焼き直して新曲として発表しているとしか思えないんだ」 「あら、全部が全部、名曲というわけにはいかないわ。そんなこと考えずに楽しみましょう。じゃ、ミスター・チルドレンのHANABIにしましょう、知っているわね」 「冗談じゃないよ。そんな難しい曲、勘弁してよ」  HANABIのイントロが流れてきて、マイクが渡された。仕方ないので歌ったがとんでもなく音痴で下手だった。自分が下手くそだってことはボクオーンにも分かっていた。まさに地獄だった。でも歌い終えると小雪が拍手をしてくれた。それに合わせるように他の人も拍手した。合コンは二時間くらいでお開きになった。ボクオーンは意気消沈していた。人と付き合うということは自分を客観視することだと思った。それは彼が最もしたくないことだった。彼にとっては主観が全てだった。主観の世界に生きている彼が人と付き合うのは無理があった。合コンは失敗だった。二度とするものかと思った。  ボクオーンは無修正ビデオを見ていた。AVは裏じゃなきゃ意味がないと彼は思っていた。モザイクに隠された性器は男をイライラさせるだけで何の役にも立たない。かえって害である。モザイクの下に隠された、神聖な或いは卑猥な肉ビラと穴を想像して若い男は気が狂う。今夜も精液が噴水のように男性器から溢れ出るだろう。無駄な精子、受精できない精子が今夜も気が狂ったように腐っていく。その精子はあらゆる可能性を持っていた。大統領を生み、偉大な科学者や思想家を生んだだろう。だがその腐っていく精子はもう何の可能性も持たない。その男が精通してから射精した無数の精子はその一匹一匹がかけがえのない可能性と個性を持っていた。だがそれらは全て無駄に終わった。腐っていく精子はこの世の無駄を体現している。彼はそれらの精子を思い浮かべるたび、この世が滅べばいいのにと思う。この世が消えて人間たちがいなくなったらどんなにせいせいするだろう。  彼の中の殺意、破壊衝動は止めることが出来ないほど膨れ上がっていた。彼の口癖は「死ね!」だった。全ての人が死に絶えるなら彼はどんなことでもしただろう。だが彼は、それは自分に限った特別なことだとは思っていなかった。誰の心の中でも意識するしないに関わらず暗い闇があるものだと思っていた。彼には死んでほしい人が山ほどいた。テレビに不細工な芸人が映るたびに「死ね! 死ね!」と叫んだ。こいつらが決してその呪詛で死ぬことがないのに腹を立てていた。彼は道を歩くたび、不快な人間がいると「クソ野郎、死ね」と心の中でつぶやく。面と向かって「死ね!」とは声に出して言えない。不自由な世の中だ。彼は全ての行為は殺意から生じると思っている。マザー・テレサの慈愛とヒトラーの狂気は同じものだ。どちらも錯乱した精神が生んだものだ。いや錯乱などしていない。明晰な殺意から生じたものだ。慈愛と殺意は同じものだ。マザーは死を願いながら人々を看護しただろう。ヒトラーはユダヤ人が悶え死ぬのを何回夢見ただろう。誰もが他人の死を願って生きている。それ以外、生きる道はないのだ。生と死も同じものだ。生の果てに死がある。死の果てに生がある。人の目的は死ぬことだ。それは必ず叶えられるだろう。  AVの定番は凌辱ものであるが彼はただの凌辱ものは面白くないと感じている。たかが性器を挿入してこすり合わせて膣に射精するだけでは全然面白くない。もっと女性の体を分解し解体して子宮を取り出し、その中に直接精液をぶちまけてもいいではないか。一作ごとに女優が死んでもいいではないか。殺人をありふれたものにする必要があるのではないか。だが現実には撮影のたびに女優が死んでは商売が成り立たない。それ以前に殺人で逮捕される。だが無修正のAVは男性器と女性器がもろに映るからそれなりに真実があると思う。人間の性器ほど生々しくて獣くさいものはない。彼は清楚な女優の醜怪な性器を見て、そのギャップに目がくらむ。ああ、みんな死んでくれないかなぁ、この世が滅びればどんなにいいだろう。  ボクオーンの性欲は人並み外れてあった。毎日オナニーしても追いつかなかった。こんな男の遺伝子が将来に残っても仕方なかった。彼はプライドも人並み外れて高かったから、好きな人が出来ても自分から打ち明けることはなかった。だからソープ嬢としか経験がなかった。ソープ嬢は彼に優しく接してくれた。お金のためとはいえ彼にはそれが有難かった。ソープ嬢は自分の感情をコントロールする熟練工だ。彼を不快にさせることを絶対にしなかった。それが彼をソープ漬けにする大きな要因になった。国民の税金を湯水のようにソープランドで使った。しかしソープ嬢だけで満足しているわけではなかった。彼は普通の女性と交際したかった。だけどそういう女性が彼を好きになることはまずなかった。彼は肥満体だし顔もまずかった。彼の会話も独特な皮肉があり女性にはまず受け入れがたかったようだ。女性には彼を一目見て避けるような本能が備わっているようだった。しかし彼には自分は女性にモテるという妄想があった。そこでフェイスブックに登録して女性と巡り合うという手段を考えた。中央大学法学部卒でM物産に勤めているエリートだと装えば女性は騙されるだろうと考えた。彼は写真スタジオに行ってプロのカメラマンにポートレートを撮ってもらった。その出来栄えに満足した彼は、俺だってソープ嬢以外の女性と付き合えるんだと確信した。それから毎日フェイスブックとにらめっこしたがアクセスしてくる女性はほぼ皆無だった。男がアクセスしてきても彼は無視した。用はないんだよ、男は! 彼にとっては地球上で男は彼一人で十分だった。余計なんだ、男は! 彼はそう思った。時たますごいブスがアクセスしてくることがあった。そういう場合は自分のことは棚に上げて全て無視した。ブスは生きている資格がない、息を吸うなと彼は思っていた。奇跡的に人並み以上の容姿の女性がアクセスしてくることがあった。彼はそのチャンスに飛びついた。しかし会話しているうちに女性のほうが彼の異常性に気づくのか、いつもピッタリと会話は止まってそれきりになった。彼はそのたびに戸惑い、頭に血が上った。なんで俺様を無視するんだ。俺の話を聞かないとは何事だ。俺のおかげでお前たちは生きていけるんだぞ。俺様はこの世の神なんだ、俺の言うことを聞かないととんでもない目に合うぞ。  しかし世の中には奇特な女性がいるものである。誰が見ても人目を引く美少女が彼のフェイスブックにアクセスしてきた。会話もいつになくはずみ、二人きりで会うことになった。彼にとって三十数年生きてきて初めてのデートである。彼は出来る限りのおしゃれをして出かけていった。待ち合わせ場所に彼女は立っていた。ひときわ目に付くオーラがその美少女にはあった。彼は目がくらむ思いで話しかけた。 「やぁ、真希さん、初めまして、ボクオーンこと水野正孝です。ボクオーンていうのはゲームのキャラクターの名前なんだよ。すごく可愛いね。フェイスブックでは女優志望って書いてあったけど、分かるよ、それだけきれいならね」  酒井真希は目の前のずうずうしそうな醜男に戸惑った。帰ろうか、でもせっかく来たんだし。そもそも男性は外見じゃないし。お茶ぐらいいいか。 「初めまして、水野さん、遠いところをどうもありがとう。暑くなかったですか、ほらこんなに汗かいているわ」 「それじゃ、そこの茶店に入ろうか。涼しいよ」  ボクオーンは写真より実物のほうがきれいな、逆パネマジに初めてあった。こんなことあるんだなと思った。 「真希さんはもう映画にも出ているって書いてあったね。どんな作品だろうね」 「ちょい役よ、まだまだこれからだわ」 「僕の書いた小説のヒロインにならない? えーとなんだっけ、題名忘れたけど、テロリストと女子高生が戦う長編小説なんだ。ああそうだ、『女子高生魔子』っていうんだ」 「小説お書きになるの? すごいわ」  ボクオーンが小説など書くわけがない。 「うん、ちょっとね。まあ、大したことないけどね」  彼は突っ込まれるのが嫌で話を逸らそうとした。 「君みたいにきれいな人ならお付き合いしたい男性は山ほどいると思うけど、やっぱり僕のことが気に入って会いにきたの?」  彼女は彼の厚かましさに呆れた。でももともと彼女は穏やかな優しい性格をしていた。 「そうね、そうかもしれないわ。お話ししたいと思って」 「今日は土曜日だね。僕はいつも寿司食うんだけれど。これから寿司食べに行かない? ちなみに僕は赤貝が好きなんだ。君は何が好き?」 「私はまぐろかな。赤身が好きだわ」 「まぐろはやっぱり赤身だね、あの血の色にはそそられるよ」  二人は寿司屋に入った。 「大将、お任せで頼むよ」  ボクオーンが景気よく言った。それが国民の税金だということは全く頭にない。 「僕はM物産に勤めていて、年収は二千万円以上かな。いい時は三千万くらいだよ。君を食べさせていけるだけのお金はあるんだ。どうだい、僕と結婚を前提に付き合わないか」  真希はまたしても呆れた。どこまで非常識なんだろう。 「初対面でそういう話はできないわ。結婚なんて、考えたこともない……」  彼女は言葉を失った。 「ああ、そうだよね。先走っちゃった。我慢汁が出てきてしまったよ。え、いやこっちのこと」  ボクオーンにはお付き合いするとは結婚することだった。いいよ、あんたの子供なら育ててやるよ。その辺に捨てたりしないよ。だがまずSEXで充分楽しんでからだね。  ボクオーンはにやにやしていた。下心丸見えだった。  しかし経験のない真希にはよく分からなかった。 「テーマパーク行こうよ。映画だと眠くなるんでね。ジェットコースターなんかならいいね。きっと僕のことが好きになるよ。頼りがいのある男だってね。抱き付いてきていいからね。何も恐れることないよ。守ってあげる」  ボクオーンは彼女との距離が一気に縮まると思った。テーマパークの帰りに抱くのだ。合法的にね。  彼は合法的なSEXと非合法のSEXの違いがよく分からなかった。どちらもやっていることは同じなのに何の違いがあるんだろう、と思っていた。  二人はアドレス交換をした。寿司店を出たところで彼は言った。 「今度会うときにはもっと僕のことが好きになっていると思うよ。君にはその資格がある。本当に可愛いからね。本当はこれからホテルに行こうかと思っていたんだけど今日は許してあげる。寂しくなったらメールしてきてね。僕からもするよ。結婚前提のお付き合いだと僕は思っているからね。もう僕の魅力からは逃れられないよ」  ボクオーンの特徴は自分のことしか見えないところである。自分を中心に世の中が回っていると信じていた。自分のステージで踊る役者だと相手のことを思っていた。全ては自分の意識内の出来事だと思っていた。だから自分に批判的な人間を攻撃する。自己完結した世界を壊そうとするものは誰でも許さない。そういう人間にとってこの世は実は生きにくいものだが、ボクオーンはそうではない。何故なら自分を責めることはまったくなく、人を責めるのにたけているからだ。他人をゴミくらいに考えている彼には殺人もゴミの処理も同じだ。邪魔な他人を否定すれば自分の世界の王様でいられる。彼は自分の王国が地球全体に広がっていると思っている。地球それ自体が彼の領地である。  酒井真希は水野正孝を異常者だと認識した。よく言えば病人だと思った。関わり合いにならないほうが身のためだと思った。しかしまた会ってしまうだろう自分を感じた。自分はゲテモノ好きなのか? 彼女はそういう言葉を使ってしまう自分を恥じた。彼女はこの太った醜男の心の底を見たかった。その不細工さを体感したかった。可愛い自分との対比がおかしかったのかもしれない。二人はまた会う約束をして別れた。

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