ボクオーン
その3

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 ボクオーンは今度行く医者にこそ障害者年金受給を認めさせようと思った。これでいくつ医者を回ったことか。でもタダだから彼の懐は何も痛まない。 「先生、僕はひどく悪いんです。このしんどさを何故、医者は分かってくれようとしないんだろう。人権蹂躙だ。医者を訴えたい。毎日、これまで会った医者の顔を思い出して狂いそうだ。本当に狂っていいんですかね。僕は医者からゴキブリのように嫌われている。僕も医者をゴキブリのように嫌ってもいいんですよね。どうですかね。金が足りないんだ。僕にとって障害者年金は死活問題なんですよ。そこを何故、医者は分かってくれようとしないんだ。病人だって人権はあるんだ。出るところへ出てもいいんですよ。僕は有能な弁護士を立てて戦います。あなたの医師免許をはく奪することだってできるのですよ。先生は働けなくなって路頭に迷うことになる。ホームレスの苦悩が分かって返っていいですかね」  ボクオーンは医者の前で延々と長口上をした。しかしどこに行っても彼の要求は認められなかった。彼は失望し、火をつけてやると脅した。  医師はこういう連中には慣れていた。いちいち相手をする気もなかった。火をつけてやると言った患者が火をつけたためしがなかった。 狂人すれすれの人間は多い。でも彼らは本当の狂人ではない。本当の狂人とは会話も難しい。幻想の世界を生きている彼らとは全くコミュニケーションがとれない。狂人すれすれの人間たちにいちいち障害者年金を認定するわけにはいかなかった。  ボクオーンは生活保護で守られていた。その上になおも障害者年金を受け取ろうとするのは何と厚顔無恥なのか。身体と違って精神の障害者は外見からは分かりにくい。本当のところは分からないだろうと高を括り医者を騙そうとする輩は多い。医師はそうしたあくどい連中の扱いには慣れていた。それでも障害者年金を受け取っている人間はこの世に多い。明らかな過ちが起きている。性格的異常者と障害者は違う。しかしこの判断を間違う医師も多い。年間何万もの障害者が新たに生産されている。この現状を放置すべきではない。  ボクオーンは今日も腹を立てていた。道を歩いていても、行き交う人たちに『国民よ、愚民たちよ、俺のために働け、何を暇そうに歩いているんだ』と心のなかで罵っていた。彼の難点は生活保護を受けているくせに金遣いが荒いことだった。支給日が近づくと一人宴会をするため、何日か前までに金は底をついていた。それから支給日までは何も食べずに過ごした。そうした彼の偽造された困窮は自分自身を苦しめることになった。彼は貧困を憎んだ。しかし自業自得な彼の貧困を国民の税金で救ってやる必要は何もなかった。彼の口癖は「そこはグッとこらえて」と「人生は苦である」だった。彼の口からその言葉が出るとぞっとする。こらえ性のない愚か者が発する言葉ではなかった。彼には母親がいた。父は家庭から逃げ出していた。母親も生活保護を受けていた。母親はボクオーンに生活保護で食べていきなさい、障害者年金も受けなさいと教えた。彼はその教えを忠実に守っていた。この寄生虫たちにつける薬はない。新しい殺虫剤が必要だった。母親も息子同様、働くことの嫌いなただの怠け者だった。彼らは生活保護を受ける人たちを特権階級だと思っていた。その階級を維持するためにあらゆる手段を講じていた。母親はうつ病と診断され生活保護と同時に障害者年金を受けていた。家のなかはゴミで溢れていた。ゴミの中にいると人間はゴミ虫と同じようになるようだ。その辺を這って歩いた。母親は息子を誇りにしていた。自慢の息子だと思っていた。息子にとっても母は生きていく指針だった。念願はボクオーンが早く障害者年金を受け取られるようになることだった。 《ボクオーン》 「あぁ、なかなか障害者年金受取れないなぁ。能無しの医者ばかりだ。ああいう馬鹿どうすればいいんですかね」 《オマリー》 「馬鹿に人を馬鹿だという資格はない。お前が早く死ねば余計な税金使わなくてすむ。頼むから死んでくれないか」 《ボクオーン》 「あれれ、忘れたかな。みんな僕に生かされているんですよ。僕が死んだらあなたたちも消えちゃうんだから、言葉に気をつけた方がいいですよね。あなたたち、あぶくと同じなんだから。僕がつつくと消えちゃうよ。それでもいいんですかね」 《オマリー》 「お前のご機嫌とるために俺たちがいるんじゃないんだぜ。お前の目からは世界が幻影に見えるかもしれないが、俺の目からはお前が幻影なんだ。お前こそ吹けば飛ぶような塵なんだ。その認識がない奴は生きている資格がない」 《ボクオーン》 「へっ、何を言っているんですかね。僕は絶対者であなたは相対者なんですよ。この基準は何億年たってもそうなんだ。宇宙の歴史と言われている139億年以上この関係はゆるぎないんだ。あなたたちは奴隷以下、ゴミ以下なんですよ。そのことを身に染みて感じたらいいんですがね。ゴミ虫って呼んでいいですか? これからそう呼ぶね」 《オマリー》 「おい、調子に乗るな、ボクオーン。お前こそゴミ以下だ」 《ボクオーン》 「さんをつけろ! 呼び捨てにするな! 今日は相談に来たんですよ。今、可愛い女の子と付き合っているんですよ。女優の卵だからね。もういくつか映画に出たって言ってた。あと二三回デートしてプロポーズしようと思ってんですけど、僕にすごく惚れているみたいで、早くSEXしたそうですよ。結婚式にはみんなも呼ぼうと思っているんだけど、どうですかね」 《オマリー》 「死んでも行くか、馬鹿! だいたいお前に女が引っかかるじたい、あり得ないんだ。よほど男に不自由している醜女か、狂人に違いない。狂人は狂人同士ウマが合うだろうからな」 《ボクオーン》 「あれれ、そんなこと言っていいんですかね。すごい美人だって言っているじゃないですか。写真撮ったら送りますよ。真希ちゃんていうんですがね。すごく目が大きくてキラキラしてて可愛いんだ。その辺のタレントの比じゃないよ。SEXしたら子供ができますかね。子供はいらないな。子供は僕一人で充分だ。彼女は処女だと思うからあそこもぶかぶかじゃないよ、よく締まると思う。このろくでもない薄汚れた世界も人生も苦だけど、あの子の周りにはオーラがあるんだ。そうですよね」 《オマリー》 「お前が『人生は苦』だって言うな。お前にその資格はない。国民の税金で食っている寄生虫のくせに」 《ボクオーン》 「へっ、僕だって生活保護から抜け出したいんだ、いつも言っているの聞いているでしょう。分からないんかな」 《オマリー》 「聞きすぎて耳にタコが出来ているよ。お前がそう言ってから何年たった。五年以上たっているよね。お前は国民に甘えることに味をしめて働くことを止めたんだ。お前が生活保護を止めることは絶対ない、そう断言するよ」 《ボクオーン》 「別にオマリーさんに食べさせてもらってるわけじゃないよ。国民の当然の権利さ。生活保護は神聖なんだ。国民は障害者を養う義務がある。僕が障害者だということはみんなが認めている。僕は国民に愛されている。国民のペットなのさ。そうさ、生活保護を止める気なんかこれっぽっちもないさ。なんで僕が働く必要があるの、障害者なのに。健常者より障害者の方が偉いんだよ。だって健常者は働かないと生きていけないのに、僕らは働かなくてもお金が稼げて生きていけるんだからね。特権階級なんだから。財閥の御子息が働かなくても生活できるのと一緒だよ。僕が道を歩くとモーゼのように人の波が割れてひれ伏すのさ。僕は彼らの日頃の悪い行いを許してあげる。そうすると人々は心が軽くなって安らぐのさ。僕はイエス・キリストの生まれ変わりなんじゃないかと思う。この国の人々の救い主なんだよ」 《オマリー》 「幸せな奴だ、この馬鹿め。狂人の多くに多幸感があるというデータがある。狂人は狂人らしく、障害者は障害者らしく生きてほしいね。だがこいつらを養うのに国はいくら出したら追いつけるのだろう? 何という無駄だ」  ボクオーンは酒井真希に夢中だった。彼の頭の中には裸の真希がいた。彼が夢見ていたのは、彼女の両足を大きく開いて女性器を舐め、自分の性器をぶちこむことだった。彼女は彼の世界の妃だった。  ボクオーンの状態がこのように悪くなったのは八年前に勤めていた会社で上司に「この役立たず、お前はみんなに嫌われているぞ。ミスも多いし、辞めた方がいいんじゃないか。お前がいなくなればみんながせいせいする」と大声で仕事中に怒鳴られてからだった。ボクオーンはその言葉で体を引きつらせ硬直し床に倒れた。そしてその日のうちに会社を辞め、それから自分自身に引きこもり、自分の王国を作り、その王国と現実の世界を同一視するようになった。そもそも彼にとってみれば現実と幻想は区別がなかった。引きこもっていれば世間の荒波を遠ざけ、世間の目を気にせずに王国の王様になっていられた。 『真希さん、僕のことどのくらい愛しているかなぁ。もっと手をつないだりして写真でも撮りたいな。二人の記念のものを残したいんだ。結婚する前にいろいろな所へ行きたいな。温泉に二人で入りたい。裸の二人を写真に残しとくんだ。彼女のあそこどうなっているかなぁ。陰唇広げて膣を舐めたいなぁ、他の女性と全く違ってきれいでいい香りがするんだろうな』  ボクオーンは長々と独り言を言った。 「先生、僕はもう一歩も歩けないんです。障害者年金を認めてもらえないのなら僕はここから動きません。僕はまっとうな障害者ですよ、生活保護だって不正受給者ではありません。僕はぎりぎりの生活をしているんです。国民は健康で文化的な生活をする権利があるんじゃないですか。もう僕は気が狂いそうです。先生は僕が狂ってもいいんですか」 「君みたいな患者で働いている人はいっぱいいますよ。生活を切り詰めれば生活保護でやっていけるでしょう。狂人はね、自分が狂人だとは言わないの。抗不安薬を出しときますから今日はここまでですね」 ボクオーンは大声でわめき始めた。 「ここの医者は藪医者だぞぉ。騙されるな、医師免許も持っていないんだ。薬を出すだけのマシーンだ。ここに通うと殺されるぞぉ」  すると看護師が彼の周りを取り囲み身動きできないようにした。それでも彼は暴れて、椅子やら花瓶やらを放り投げ、窓ガラスを割った。やがて警察官が来て彼は器物損壊で現行犯逮捕された。パトカーの中で低い声で「うーっ」とうなり声を出していた。 署内の一室でボクオーンはくだを巻いていた。 「なんで僕を捕まえるの? 悪いのはあの悪徳医者でしょう。いつも3分診療で適当に薬を出し私腹を肥やそうとしている。ああいうのは医師免許を取り上げなくちゃいけないんだよ」  警察官が言った。 「診察室の中まで我々は関知しない。問題は君が暴れて器物を損壊したことだ。割れたガラスでケガをした人もいる」 「僕は障害者なんだ。暴れることぐらいなんだ! 死人が出たわけじゃなし。弁償すればいいんでしょう。しますよ、僕は生活保護者なんだから何でもタダだからね」 「馬鹿か、お前、あんたが自費で弁償するんだよ。障害者だからって免れることは出来ない」 「あれれ、警察官のくせに言葉遣いが悪いね。ちゃんと名前で呼んでくださいね、さもないとあんた消えちゃうよ。まあいい、僕が払うとしますね、でも返済能力ないから税金で賄うしかないね」 「少しずつでもお前が払っていくことになるんだよ。いくら生活保護者に対して甘い国だからと言って障害者のケツまでぬぐう必要はない。お前がしたことに対してお前が責任を取るんだよ。当然のことだろうが」 「えーっ、払えないよ、というか払う気ないよ。おじさんたち払えばいいよ、あんたたちも国民の税金で食っているんだから。もう僕なんかに関わらずに仕事しなさい。税金泥棒って言われちゃうよ」  警察官は机を激しく叩いた。 「甘えるな、性根を叩きなおす必要があるようだな」  彼はそう言うと書類を見せ、署名をするように言った。  ボクオーンは文字を読むのが大嫌いだった。その書類には漢字が並んでいた。彼は平仮名とカタカナだけ読んだ。よく分からないが弁償せよ、ということなんだろうと思った。彼は生活保護者に責任能力はないと思い込んでいたのでサインをした。彼はその日のうちに釈放された。  彼は警察官のように正義を振りかざして生きている人が大嫌いだった。この馬鹿め、法律の中でしか生きられない芋虫みたいなやつだなぁ。俺は法律なんかに縛られずに生きられんだ。だって俺は永遠の障害者だからな。俺は羽根を持っている。芋虫と違って大空を羽ばたけるんだ。みんな俺のことを尊敬の目で仰ぎ見ている。警察官が何だ! 生活保護者で障害年金をもらっている人が一番偉いんだ。働かないで食える人間が一番偉いんだ。みんな俺にひれ伏する。俺に逆らわなければ許してやるよ。俺は世界の救世主なんだからな。

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