小さな金魚鉢 
#19 TASK TAKS-2

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前嶋が陽のプランに乗る腹は昨日のうちに固まった。 今日は朝から商店街を抜けて野中羅紗店のおばちゃんに年始の挨拶に向かう。 「よう、仕立屋! 元気そうだな」 「ブチさん、明けましておめでとうございます」 「陽から港の店のこと、聞いたか?」 「ええ、昨日」 「なんだか浮かない顔だな?」 「この街の人って、どうしてこんなに親切なのかなって? ブチさんも河内さんも、野中のおばちゃんも」 「気にすんな、ただの自己満足のお節介だ。中でコーヒー飲んでけよ」 ブチの写真館は去年、改装してコインランドリーと洗濯代行、それにクリーニングの取次店をやっていた。 「カメラ屋の時代は終わったからな。これからはコインランドリーだ。見てくれよ、この洗濯乾燥機。伊豆の特産品だ」 「近くで作ってるんですか?」 「伊豆の大仁おおひとだ」 「お金はどこに入れるんですか?」 「こっちの精算機で1,000円札も電子マネーも使えるぜ、だからコインランドリーじゃなくてマルチペイランドリーだな。わかりにくいからコインランドリーって看板だけどな!」 ブチさんの笑い方はいつも大声で、豪快で、聞いているだけで元気をもらえる。 お客さんの洗濯物を預かる洗濯代行は免許がいるから妻の美樹がクリーニング師の試験に合格して、その後もいろいろ勉強していようだ。 「あっちがオープンするときには、俺は1階の奥でカメラと時計の修理、それからオーダーメイドの時計もやる予定だ」 「えっ、時計のオーダーメイドなんてできるんですか?」 「中身ムーブメントは市販のモノだがケースの装飾や文字盤も針もオリジナルだ。カメラの修理と同じ細かい作業なら任せとけ」 そう言いながらブチさんは妖しげに指を動かした。 「じゃあ、野中のおばちゃんの所に行ってきます。コーヒーご馳走さまでした」 ブチのコインランドリーから駅の方角に3分ほど歩けば野中羅紗店にたどり着く。 相変わらず閉まっているシャッターの横を通り抜けて奥の玄関のインターホンを押すと、返事もなく勢いよくおばちゃんが飛び出してきた。 「あーら、経人くん。明けましておめでとう。いつ見てもいい男だねぇ」 「明けましておめでとうございます」 前嶋はまるで我が家のように座敷へ上がり、まずは仏壇に線香を上げて手を合わせた。 「経人くん、これ、お年玉」 去年も一昨年もおばちゃんは俺にお年玉をくれた。何度断っても許してはくれないので、今年は素直にありがたくいただいた。 「あんたも、陽くんの港のお店に入るんでしょ?」 「ええ、もちろん」 「私もあと30年若かったら手伝うんだけどね」 野中のおばちゃんはもう70歳を超えているが、まだまだ色気がある。メールもネットも使いこなして若い人に手芸を教えたり、趣味で始めた織物の作品をフリマアプリで売ったりもしている。 「陽くんはね、昔から酒場は生き物だって言ってたのよ。だからお客様の話しを聞きながらお酒を出すのが楽しいって。経人くんがこの街に来てから街自体が少し変わった気がするの」 「どう変わったんですか?」 「吹いてる風よ。新しい風が吹いている感じ。とっくの昔に寂れてしまった訳は外から人が入って来なくなったから。みんなあなたをすぐに受け入れたのは…… あなたが何かを運んで来ると感じたからでしょうね。私は一目で気に入ったわ、この街にこんなイケメンいないから」 「えぇ~、そこですか?」 陽が新しい店に付けたTASKタスク TAKSタックスという名前に込めた想いをもう一度噛み締めてみる。 前嶋はこの街で出会った人、今までに出会った人たちの想いを聞きながら形に出来ているだろうか?羊飼い、糸から生地、縫い上げてスーツになる。その行程に携わる人たちに託された自分がしっかりお客様に渡すことができているだろうかと自身に問いかけた。 誰かのタスクを助く、誰かのタスクを誰かに託して繋ぐ。 陽もブチも同じようなことを言ってた。 「旅先とかで知らないおっさんに缶コーヒーとかご馳走になるだろ?いつかまた会ったらお返ししようとか思ってても、なかなか会えないんだ。名前も知らんし、顔だってそのうち忘れちまう。だからな、そのおっさんに返すのは諦めて誰かに缶コーヒーをご馳走すればいいんじゃねえか?」 缶コーヒー1本の借りは缶コーヒー1本返せば自分の気が済むという意味なのだ。前嶋ががこの街の人から受けた恩は長い時間掛けて返せばいい。 「ねぇ、経人くん。おばちゃんね、何年かあなたのことを見て来て気がついたことがあるの。あなた最近…… 『なんとなく』って言わなくなったわ」 気持ちの中で『なんとなく』と思うことはよくあった。流されやすいタイプだと思うこともある前嶋だったが口に出して 「なんとなく」 と言っているつもりはあまりなかった。 「おばちゃんは、あんたが口に出さなくてもわかるの。息子みたいで孫みたいで、彼氏みたいな存在だから。あなたはもうこの街の経糸のひとり」 おばちゃんの言葉は重い。 重いから想いになる。 なんとなく・・・・・・という気持ちを引っ込めてしっかり 「はい」 と返事をした。

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