小さな金魚鉢 
#27 足りなかった花束

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港の近くのバー、金魚鉢。 オーナーバーテンダーの河内陽かわうちあきらのもとには日々、様々な人がやって来る。 「陽、明日、車貸してくれ」 「ああ、結婚記念日だろ。今日の時点では車の機嫌はいいが明日も機嫌がいいという保証は無いぜ」 陽の愛車は1969年式のフェアレディ2000SR311。陽やブチが生まれた年に作られた真っ赤なオープンカーだ。 「すまんな、毎年。美樹さんがあの車フェアレディで出かけるのが好きなんだよ」 「ブチが結婚する前から毎年恒例行事だから気にするな」 「あとは花屋に電話して…」 「それも恒例行事だな。早めに頼まないと田舎の花屋に何十本も好みの花が並んでいないかもしれんぞ」 「その時は例のヤツで代用するしかないな」 ブチこと井上学が結婚したのは21歳の頃。4歳年上で小学校の先生をしていた美樹さんに一目惚れして口説き落とした。2人の子供はすでに成人して沼津を離れている。 父親が経営する写真館の見習いをしていたブチが美樹さんと出会ったのは、美樹さんが勤めていた小学校の修学旅行のカメラマンとして随行した時のことだ。地方都市の写真館では修学旅行を始めとした学校行事の撮影と、卒業アルバムの作成は大きな仕事だった。とにかく行事の写真の時は小さくても全員がどこかに写っているようにしなければならない。 修学旅行が終わるとすぐにブチは美樹さんを食事に誘ったり、ドライブに誘ってみたが忙しいことを理由に軽く躱されていた。 それでも何度か誘ううちに 「3月28日、私の誕生日にデートしてくれる? 夕方迎えに来てよ、飲みに行きたいな」 「OK、任せとけ!」 迎えに行くといっても、ブチの車は仕事用の軽のワンボックスで誕生日の初デートに適しているとは言いにくい。 そこでブチが考えたのが陽のオープンカーを借りることだった。その当時でも新車から20年以上経過して取り扱いには些かコツがいる。エンストでもしたら雰囲気は丸つぶれだ。前日、陽を助手席に乗せて街中を少し流した。 陽の家のガレージから車を借りて、陽の家に戻って来て、金魚鉢で飲む。帰りは酔い覚ましに歩けばいい。何とも安易なデートプランだったが、その頃のブチにとっては脳みそフル回転の作戦だった。 美樹さんの誕生日当日。 「じゃあ、迎えに行ってくる」 「おい、ブチ。花束ぐらい用意してあるんだろうな?」 「花と言えばバラか?歳の数の赤い薔薇だよな。花屋に寄ってくよ」 安易なプランにベタなプレゼントを頭に描いたブチが出掛けていった。 20分ほどでフェアレディのエキゾーストが近づいて来た。エンジンを掛けたままブチが店に飛び込んでくる。 「陽、赤い薔薇が足りない!20本しか花屋にないんだ!」 「そいつは大変だな。美樹さん24歳になるんだよな?」 「ああ、そうだ。庭に咲いてるとでも言うのか?」 「生憎、うちの庭にバラはない。とりあえず20本の花束持って来いよ。俺が細工してやるから」 「わかった…… お前に全てを賭ける」 「大袈裟だな。今は種明かしはしない。とにかく席に掛けたら、マスター、例のヤツを!って言うんだ。忘れるな」 フェアレディのエキゾーストが小さく消えて行く。 日が暮れて風が出てきた。 満開を迎えた桜がハラハラと舞う。フェアレディのヒーターは屋根を開けた状態でもかなり暖かいはずだ。西浦あたりの急坂のカーブで傾いて肩でも触れればテンションも上がる。 立ち上がりで3速、ゆったりした加速。金魚鉢は近い。 ブチがドアを開け、先に美樹さんが入ってくる。 学校帰りにたまに見かけるスーツ姿と違って、革のライダースジャケットに黒のスリムのデニムパンツ、ロックテイストのファッションだった。 「いらっしゃいませ」 「こんばんは」 カウンターの真ん中に美樹さん、右手にブチが腰掛けた。 陽はブチに目で何かを伝える。 「マスター、例のヤツを」 陽はカウンターの下からシャンパンクーラーを取り出しブチに渡す。 シャンパンクーラーの中には20本の薔薇。迎えに行った時と何も変わっていない。 ブチは泣きそうな眼で助けを求める。 イヤ、花束にしては重い。 「井上さんの仰る通りご用意してあります」 ブチは仕掛けを理解し、 「美樹さん、お誕生日おめでとう。」 シャンパンクーラーのまま、美樹さんに花束を渡す。 「何これ、重っ!」 ブチは正直だ。 「薔薇が20本しかなかったから……」 「学くん…」 美樹さんは仕掛けに気づいた。 「24本あるじゃない」 薔薇に隠れるように黒いラベルのボトルが入っている。 Four Roses black label。 4本の赤い薔薇が描かれている。 20本の生花とラベルの4本。 そこには確かに24本の赤い薔薇の花束があった。 「へへっ」 カウンターの中に陽の姿はない。 「学くん、年下のくせに生意気よ」 美樹さんはブチの額に軽く口づけし、ライダースジャケットのフロントファスナーを半分下げた。 中に着ていたTシャツは偶然にもFour Rosesのラベルがプリントされていた。 「このラベルの由来を知ってる?」 ブチは頭を横に振る。 「じゃあ、後でマスターに教えてもらって」 それから1年後のこの日、2人は結婚した。 春休み中なら生徒たちのショックを最小限にできるという配慮もあったとのことだ。 それから毎年、陽の車でドライブしてから金魚鉢でFour Rosesで乾杯するのが、井上夫妻の結婚記念日のささやかな楽しみになっている。

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