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   母がまだ生きていた頃はピアノを習っていた。一年に一度発表会があって、近所の市民会館の小ホールで一年の成果を保護者方に披露した。  演奏を終えると、たくさんの拍手を浴びる。彩音はその拍手が苦手だった。もちろん嫌ではない。でも、なんだかパチパチと音が弾けるたびに体がくすぐられているようでむず痒かったのだ。  今、壇上で潤と一緒に浴びている拍手は、その時よりもずっと大きい。でもピアノの発表会の時と似ている。やっぱりむず痒い。    彩音たちの前に潤の父親が賞状を手にして近づいてきた。初めて近距離で見たけど、やっぱり潤には似ていない。 『では、上村審査員長、まずは選評をお願いします』  田辺さんに促され、潤の父親はマイクに向かった。 「今回、グランプリを決めるに当たって東京チームにするか長野チームにするか審査員の中でも意見が割れましたし、私としても非常に迷いました。正直、技術面では東京チームの方が上でした」  やっぱりそうなんだ。分かりきっていたけど直接言われると少し堪える。 「しかし、料理というのは技術だけではありません。創造性や新しい感性が必要です。その部分で二人の鯉の料理は技術面のマイナスを補うほど素晴らしかった。鯉という難しい食材に果敢に挑み二人で相当に練り上げたレシピだということもわかりました。特に私たち料理人からすると鯉料理に馴染みが薄い。初めて食べる料理から多く勉強させてもらいました。それと、料理以外にも、鯉人倶楽部の2人は参加者の中で最も楽しそうに料理をしていました。それが味にも影響したと思いました」  潤の父親は彩音たちに笑顔を向けた。  この人は愛情深い人だな。そう思った。  それは選評を話している時にも思ったし、審査員席で潤を見る眼差しを見た時も思った。潤が憧れるのもわかる。 『上村審査員長、ありがとうございました。続いて賞状の授与をお願いします。なお、グランプリの副賞としてニューヨークにレストラン研修に行っていただきます』  ニューヨークか。そういえば副賞のニューヨークが和食グランプリに出るキッカケになったのだ。第二理科室でのことを思い出した。  だけど、あの時、一つ潤に隠されていた事実がある。  ニューヨークとは聞いていたけどレストランでの研修とは一切聞いていなかった。すっかり旅行だとばかり思っていた。だからサイトを見て研修と知った時は騙された気分になった。でも、その頃にはすっかりグランプリを目指して一直線だったから、どうでも良くなっていた。 『表彰状 佐久南高校鯉人倶楽部殿 貴チームは出汁を使った和食というテーマに向き合い、感性溢れる料理によりグランプリに選定いたしました。よってここに栄誉を称えます。第1回全日本高校生WASHOKUグランプリ審査員長上村弘隆』  潤の父親は息子に賞状を手渡した。  すると、賞状を受け取った潤の耳元に顔を近づけた。 「おめでとう。よく頑張ったな。待ってるぞ」  拍手にかき消されそうになったけど、彩音には聞こえた。小声だったけど力強い声だった。  潤の後ろ姿が小刻みに震えているように見えた。   「おめでとう潤」  彩音は隣にいる潤にも聞こえないほど小さな声で言った。  閉会式が終わると、会場のいる人たちは散らばり、それぞれのチームの関係者や身内で集まった。  沖縄のチームの二人は悔し涙を流していた。その姿を見ると複雑な気持ちになるし、喜びを表には出しづらい。  潤もいろんな気持ちが交錯しているようで、まだぽわーんとしている。 「おめでとう。すごいな二人とも」  寺沢先生が駆け寄ってきた。彩音にとっては唯一の関係者だ。 「ありがとうございました」  潤が先に礼を言った。  そうだ。ここまで着いてきてくれた寺沢先生にも感謝しなくちゃいけない。 「ありがとうございました」 「何言ってるんだよ。俺は何にもしてないだろ。二人が頑張ったんだ」  何もしてないと言いながらも感慨深げな顔をしている。本心から喜んでくれているのが伝わってくる。 「あっ、そうだ櫻井、お母さんがいらっしゃったな。どこだったかな」  寺沢先生は首をきょろきょろさせた。潤の母親が来ているとは聞いていたけど、大勢の中から見つけ出すことはできなかった。 「あっ、いらっしゃった。あっ」  寺沢先生の視線の先を見ると、潤の母親が宗太と話し込んでいる。何を話しているかは聞こえないけど、潤の母親は笑みを浮かべながらも目に涙を溜めているように見えた。 「潤も行けば」  潤の顔を見ながら言った。 「俺はいいよ。あの二人は久しぶりの再会だしな」  彩音は宗太たちを見た。やっぱり親子だ。どこからどう見ても久しぶりの再会には見えない。 「櫻井、瀬野さん。ちょっと学校に連絡入れるから席を外す」  寺沢先生はポケットから携帯電話を取り出しながら出口に向かった。どこか弾んでいるような歩き方が笑える。  潤と目を合わすと、同じことを思ったようでにやけていた。 「潤」  後ろから声が聞こえたので振り返ると、そこには潤の父親が立っていた。  顔を見るなり彩音にも緊張感が走る。  潤の父親は彩音の方に視線を移した。 「あっ。瀬野さん。どうもありがとうございました。お母さんの思い出の味も本当に美味しかった」 「あっありがとうございます」  声が震える。潤の父親とはいえ、やはり大物料理人の迫力がある。 「これからも潤をよろしくお願いします」  彩音に向けて頭を下げると、今度は潤の方に顔を向けた。 「潤、お前本当によくやったな」  潤の父親は目を細めた。審査員長の時と違い父親の顔をしている。 「うん」  感極まっている父親とは違い、潤はそっけなく答える。照れているのだろうな。 「どうだ。佐久ではうまくやっているか? ごめんな中々連絡できなくて」  潤の父親は申し訳なさそうに言った。 「別にいいよ」  潤はまたそっけなく返した。  ここにはいない方がいいな。親子の会話の邪魔をしてはいけない。  彩音は何も言わずにそーっとその場を離れた。    出口に向かって歩いていると、そうだ自分も父に連絡しようと思い立った。  彩音は荷物置きにバッグを取りに行き、スマホを取り出した。画面をタップすると、ラインのアイコンにたくさん通知が入っていた。  開くと、クラスのみんなからだった。そうかみんなはYouTubeの生配信で見ていたんだ。なんて返信しよう。感謝を伝える言葉ならいくらでもありそうなのに、ふさわしい言葉が浮かばない。彩音はシンプルに「ありがとー」と返した。そっけないけど、多分みんななら彩音らしいと笑ってくれると思った。  グループラインとは別に、彩音はスマホにメッセージを書き込んだ。 「里帆、ありがとう。フランス人の審査員がユニフォームがかっこいいって褒めてくれたよ」  彩音はその文章を送信した。  フランス人シェフに褒められた時、まるで自分のことのようにうれしかった。このユニフォームも一緒に戦ってくれたんだ。彩音は首を折り畳み、ユニフォームを眺めた。    里帆からの返信を待たずに、父に電話をかけた。するとすぐに出た。 「おっ、彩音おめでとう」  父は第一声から祝ってくれた。  父も配信で見ていたんだ。 「ありがとう」 「すごいなあ。うんよかった。よかった。よかった」  父は良かったを繰り返し、彩音は「ありがとう」と何度も返した。本当に嬉しい時って語彙を失うんだ。 「あっ、そうだ。お母さんの鯉こくが審査員長に美味しかったってすごく褒められたよ」 「……」  父はしばらく無言だった。そして 「そうか。良かったな。順子に線香あげとくよ」 「うん。お願い。じゃあ切るね」 「ああ。道中気をつけてな」  父との電話を切った。  父の声を聞いてなんだかホッとして疲れがどっと出た。  歩きながらあの親子はどんな感じかと思い、遠巻きに覗いてみた。  いつのまにか、潤の両親と息子二人が合流して楽しそうに話している。  潤の家族全員が笑っている。どう見ても離れ離れになった家族には見えない。もしかしたらこれを機に関係が変わってくるのかな。そう思うと感動的な光景に見えてきた。  そうだ記念に写真に収めよう。彩音はスマホのカメラを構え、スマホ越しに四人を見た。楽しそうに笑っている家族を見ていると、自分のしていることがものすごく野暮に思えて、カメラモードを閉じた。    父とのわだかまりがなくなった潤はおそらく料理の道に進むと思う。これからは宗太と一緒に同じ方向を歩いて行くのだろうな。あの二人がチームを組んだらきっと最強だ。そんなことを思っていたら、ある名案が浮かんだ。    家族団らんにかまわずに、思い立った勢いのまま、彩音はツカツカと四人の中に歩み寄った。          

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