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   新幹線あさまが長野駅に到着した。  長野駅に降りた途端、そばつゆの香りがした。なんでも、長野駅は各番線に違う会社の立ち食い蕎麦屋があるらしい。その影響か佐久平駅よりも信州を感じる。    全日本高校生WASHOKUグランプリの決勝大会の開会式が朝の九時からということで、彩音たちは前日に金沢入りする。  駅そばの良い香りに惹かれながらも、今度は新幹線はくたかに乗り換えた。  はくたかに乗り込み、新幹線が走り始めても、潤との会話はない。暇なので外の風景を眺めたり、スマホを見たりして時間を潰した。視線を移動するたびに、ときどき先生の顔が目に入る。  彩音の目の前にいるのは久保先生。ではなく寺沢先生だ。これには理由がある。                   🐡  三日前、本番まであとわずかになり、練習もラストスパートを迎えていた。   いつものように、スマホで時間を計りながら調理を始め、5分ほど経ったころだった。普段なかなか見る機会のない事務員のおばさんがまたもや家庭科室に入ってきた。 「櫻井くん、久保先生から電話」と言って電話の子機を潤に手渡した。 「はい、櫻井です。はい、はい、はい、はい」    潤は不機嫌そうに電話を耳に当てた。受け答えは、はい、はいしか口にしない。でも、顔から血の気がひき、それが良くないニュースだとわかった。  しばらく会話をしてから潤は「はい、わかりました。失礼します」と電話を切り、事務員さんに子機を返した。 「久保先生が坐骨神経痛になっちゃって金沢に行くのは厳しいって」  潤は表情を曇らせた。 「えっ、じゃあどうなるの?」  決勝に出場するためには引率の先生が一人必要だ。久保先生には申し訳ないけど、坐骨神経痛よりも、大会に出られるかどうかが心配だ。 「今から、代わりの先生を探すってさ」  間際になって災難が降りかかってしまった。こんな急に代わりの先生が見つかるのだろうか。万が一見つからなかったらどうなるのだろう。 「まあ、いいや。これは俺らが考えてもしょうがないよ。とりあえず続きをやろう。案外料理してるうちにまた『櫻井くん電話ー』って来るかも」  潤は不安を紛らわせようとしたのか事務員さんのモノマネをした。    その後、再び調理を始めたけど、やっぱり集中できなくて動きにもたつきが出てしまった。    料理がすべて出来上がるまでに、もう一度事務員さんが家庭科室に顔を出すことを期待したが、望んでいた連絡はなかった。  出来上がった料理を、二人とも試食する気になれなくて、料理をタッパーに入れて片付けを始めた。  調理器具を洗い始めても、二人の間には会話はなく、どんよりした空気が漂っていた。  片付けを終え、帰ろうと廊下を出ると、前方から寺沢さんがもったりと歩いてきた。暑さからかいつも以上に気だるそうに見える。  こんな時に寺沢先生を見ると余計に気分が沈む。あまり視界に入れないようにして軽く会釈だけしてすれ違おうとした。すると、 「ちょっと、櫻井、瀬野さん」  寺沢先生に呼び止められた。 「はい」潤が返事をして足を止める。 「和食グランプリの引率だけど、私が引き受けることにしたから」                    🐡    トンネルに差し掛かったので、寺沢先生の顔を見てみた。寺沢先生は座席のネットに入っていた北陸の旅という冊子を読み始めていて、よっぽど集中しているのか、車内が暗くなっても文字を追っていた。    あのあと、久保先生から電話があった。話によると、引率を引き受けてくれる先生が中々見つからず困っていたが、最後にダメもとで連絡した寺沢先生が快く引き受けてくれたとのことだった。  でも、目の前にいる寺沢先生を見ると、とてもじゃないけど快く引き受けてくれたとは思えない。顔の作りの問題かもしれないけれど、どちらかというと渋々付き合っているように見える。  最初に引率のお願いに行ったときは無下に断ったのに、どうして今になって引き受けてくれたのか不思議だった。でも、おかげで今日こうして金沢に向かえているのだから感謝はしなくちゃいけない。  隣を見ると、潤はスマホは見ている。いや、多分何も見てはいない。  朝、佐久平駅で集合したときには微かにあった口数が、今ではほとんどない。むしろゼロと言ってもいい。金沢が近づけば近づくほどに潤の表情が険しくなっているように見えてきた。  新幹線のわずかな揺れが気持ちよくてウトウトしてきた。彩音は目をつむった。するとすぐに眠ってしまい、気づいたころには金沢に到着していた。    到着したことにも気づかずに、潤に体を揺すられて彩音はやっと目を開けた。  すでに座席から立ち上がっていた潤は彩音を見下ろしていた。  そして、「彩音はいいなあ」と呟いた。寝ぼけていたし、瞼が半分しか開いていなかったけど、目が笑っていなかった。それがちょっと気になった。  キャリーバッグを押しながら改札を出て、数時間ぶりに外の空気を吸う。駅の外に出て、あの有名な金沢駅の鼓門を眺めた。時間は五時、ライトアップにはまだ早いけど迫力は十分伝わった。 「すごいっ」  彩音は声を弾ませ、スマホを構えたが、隣にいる潤の表情は冴えない。  一方、寺沢先生は難しい顔で、首から下げていたカメラで鼓門を撮影すると彩音たちに声をかけた。 「じゃあ、ここからは自由行動で行こう。でも、七時半までにはホテルに入るように」  では、と言って寺沢先生はホテルと逆方向を歩いて行った。自分が一緒だと楽しめないと思って気をつかったのだろうか。それか寺沢先生も何かここ金沢で楽しみがあるのかもしれない。 「じゃあ、どこ行く?」  彩音は潤に聞いた。時間的に余裕はないけど兼六園に行きたいと思い、事前に調べていた。今からでも急げば何とかギリギリ間に合う。 「俺はいいや」  潤はそっけなく答えた。 「えっ、そうなの。じゃあどうする? もう夕飯食べる?」  ちぇ、つまんないの。と思ったけど、さすがに一人で観光する気にはならない。 「うん。そうだね。何でもいいから食べてホテルに行こうか」  つまらなそうに潤は返した。  何でもいいから、という潤の投げやりな言葉に彩音は引っかかった。これから料理の大会に出る人間が何でもいいだなんて信じられないセリフだ。  そもそも一体なんなんだこの態度は。ナーバスはわかるけど、せっかく観光地に来ているんだから少しは楽しむ気にはならないのだろうか。  ノリの悪い潤に不満たらたらだった。だから夕食の店は彩音に決めさせてもらった。  歩きながら店を探す。金沢カレー、回転すし、治部煮、美味しそうな、のぼりや看板がたくさんあって悩んだけど、彩音は海鮮丼の店を選んだ。  やっぱり、海なし県の長野県民からすると金沢に来たからには海鮮が食べたくなる。彩音と潤は入口近くのテーブル席につき、お店おすすめの海鮮丼を注文した。  値段的には、地元では中々出せないほどの高額だったけど、せっかくだからと、楽しみに海鮮丼を待った。 「おたたせしましたー」  赤い作務衣の店員さんが海鮮丼を目の前に置いた。  どんぶりの中にはマグロ、甘エビ、いくら、カニなど沢山の魚介が盛られていた。彩音はスマホで写真を撮ってから割り箸を割った。そして丼を手に持つと潤が視界に入った。潤は覇気なく割り箸を割った。まるで、自分の不機嫌を彩音に知らしめるような態度に、とうとう彩音は我慢ならなくなった。 「あのさあ、そんな顔されるとせっかくの海鮮丼が不味くなるんだけど」  彩音は丼を置いてから潤を見た。 「いや、そんなこと言われても、もともとこう言う顔だし、気にしないで食べていいよ」  潤は箸を持って丼を口に運び始めた。食欲がないのか、小鳥みたいな食べ方に彩音はイラつく。 「緊張してるのはわかるけど、そんなんじゃ本番で力出ないよ」  彩音はマグロとご飯をかき込みながら言った。せっかくの食事がやけ食いになっていく。苛立ちから顎に力が入る。 「俺は彩音とは違うんだよ」  潤が小声で呟いた。 「違うって何が?」  入り口ではピンポーンというチャイムと共に新規の客が入ってきて、一瞬ガヤガヤした。  そのガヤガヤをいいことに潤は無言で箸を動かし続けるので、もう一度「どう言う意味?」と尋ねた。ちょっとだけ声を張ったつもりだったけど、思ったよりも怒気を孕んだ物言いになってしまった。  すると、微かに潤の舌打ちが聞こえた。 「ちょっと今チッってやったでしょ」 「やってないよ。いいじゃんもう」  潤も段々と苛立ってきている様子だ。  でも、彩音も引かない。潤を睨み続ける。視線に気づいた潤は箸を置き、はあーとため息をついてから話し始めた。 「俺と彩音じゃ違うの。俺は昨日の夜もなかなか寝付けなかったし、寝不足なのに新幹線の中で居眠りもできないし、海鮮丼だって彩音みたいにモリモリ食べられないんだよ。そういう心臓の男なの俺は」  潤は早口で捲し立てるように言った。 「いやいや、私だって緊張してるよ。昨日だってなかなか寝付けなかったよ。同じじゃん」 「寝付けなかったって何時に寝たの?」 「11時半くらい」 「いや、11時半て普通じゃん。俺は2時だよ」  鼻で笑いながら潤が張り合ってきた。何時に寝たかで威張ってくるなんて、こんなのまるで小学生だ。 「それがなんだって言うの?」 「いや、だから彩音は緊張しなくていいねって話。単純て言うか俺と違ってメンタルが強いんだよ。だいたいさあ、オーディションに出て最終まで残ってる時点で超人なんだよ。それに学校で孤立してても平気な顔してたし」 「ちょっと、そこまで言うの」  彩音はテーブルを叩いた。丼がガチャと音を立て、店員が一瞬こっちを見た。でもかまわずに潤を睨みつけた。さすがに最後の一言にはカチンときた。あの頃だって本当は全然平気じゃなかったのに。    潤は怖気付いたように目を伏せ、 「俺はさ、明日が勝負なんだよ。明日は父親とも会うことになるし…… まあいいや」  潤は途中で話すのをやめた。 「私だって……」  彩音はそこまで口にして言葉を飲み込んだ。  たしかに潤は父親や宗太に複雑な想いを抱えている。  勝敗だけじゃなくて自分の気持ちを父親に伝える滅多にない機会なのかもしれない。それはわかる。わかるけど、自分だって、ここまで必死で練習してきた。絶対にグランプリをとりたいと思っている。それに何より和食グランプリに挑戦することで自分は変われた。前を向くことができた。その集大成として明日に賭ける気持ちは大きい。  でもそんな想いを伝えても今の潤には一つも響かないだろう。    その後は二人とも黙ったまま海鮮丼を食べた。彩音は全部たいらげたけど、潤は半分くらい残していた。  ホテルまでの道中も会話はなく、キャリーバッグのガラガラという音がやけに耳に障った。      

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