作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

  「じゃあ、行くぞ」  潤はスマホを取り出し作業台の上に置いた。タップしたら調理開始だ。  ここまではいつも通りだけど、今日は状況が違う。丸椅子に座った里帆、穂乃果それから三山、小沢の四人が彩音たちをじっと見ている。たった四人の視線でも緊張がぐっと増す。  彩音は小さく深呼吸をしてから潤に目で合図した。すると、おろし立ての黒い作務衣を着た潤がスマホをタップした。       🐟    三日前のこと。  里帆から「明々後日は何時から何時まで家庭科室にいる?」とのラインが届いた。  ラインを見ながら、きっとユニフォームが完成したのだろうなと察した。  ユニフォームのデザインに潤は一切タッチしていなくて、彩音と里帆の間だけで打ち合わせをした。ユニホームに対して、具体的にイメージがあるわけではなかったけど、色は黒がいいと希望した。  おそらく他の学校は白衣が多いと思う。それなら真逆の黒にすれば目立てると思ったのだ。これもオーディションの経験が活きている。  オーディションで一緒になった候補者たちのほとんどは、すでに幾度ものオーディション経験があり、中でも東京少女に選ばれたリナからは、目立つことがいかに大切かを教えてもらった。  そんなリナは二次審査まではロングヘアだったのに、候補者のほぼ全員がロングだと知ると、バッサリと髪を短くして合宿に参加した。それが功を奏したかはわからないけど、エピソードとしてとても印象的だった。  色以外のデザインは里帆が色々と提案してくれたので、それ以上彩音が頭を悩ませることはなかった。  里帆からのラインに「11時から13時ならいるよ」と返信すると、 「じゃあ、十一時に行くね」と里帆からハートいっぱいのラインが返ってきた。  その時、ある案が彩音には浮かんだ。十一時に来るのなら里帆に観客役と試食をしてもらえばどうだろう。歌やダンスもそうだけど、人に見られている時と見られていない時では意識がまったく違う。少しでも人の目に慣れる必要があると感じた。  さっそく彩音は里帆にその旨をラインすると、すぐに返信が来た。ラインにはうさぎのキャラクターが親指を立てたスタンプが貼られていた。  スタンプを見ながら、里帆が来てくれるなら、いっそのこと他のメンバーにも頼んでみようと思った。観客役は一人でも多い方がいい。 「みんな明々後日の11時に試食会をします」とグループラインに送信すると、みんな喜んで引き受けてくれた。    四つの視線は当然気になったけど、できるだけ意識しないように、素速く体を動かす。  まず、彩音は水と片栗粉、信州産のそば粉、砂糖の入った鍋を火にかけ練り始めた。練り上げて冷やせばそば粉のくず餅が出来上がる。  これは書類審査のレシピにはない、この日限定の料理だ。「出汁を使った和食」という大会のコンセプトからは外れるが、せっかくみんなが試食してくれるなら締めに甘いものも食べてもらいたいと思い、特別にメニューに組み込んだ。  普段作らないそば粉のくず餅の影響で、多少手間取ったが、ミスはなくタイムも59分とぎりぎり時間内に間に合った。 「お待たせ―」  潤がおぼんで料理を運ぶ。冷房は効いているのに、潤の額から汗が流れた。やっぱりみんなに見られて力が入ったのだろう。 「うわーっ美味そう」  三山が声を上げた。 「うん、すごい味噌汁のいい匂い。たまらん」  小沢が鼻をクンクンさせた。  相当に待ちわびていたようで、男子だけじゃなくて女子の視線も「早く食べさせろ」と言っているようだった。  料理に早く手を付けたくて、わちゃわちゃしている三人とは違い里帆だけは表情が硬い。 「どうだった? 動きづらくない?」  ユニフォームを作った里帆が不安そうに聞いた。 「うん。大丈夫。全然動きづらくない。ねえ、潤」  彩音が潤に目を向けると 「うん。快適。それにこの背中の鯉がいいねえ」  作務衣の背中には金色の筆字で描かれた鯉の模様を施した。黒地の作務衣に金色がよく映える。それにチーム名の鯉人倶楽部らしくて気の利いたデザインだ。 「ねえ、冷めないうちに食べよーよ」  小沢が声を掛け、「はやくはやく」と穂乃果も続いた。 「わかった。じゃあ、どうぞお召し上がりください」  潤が言うと、三人分の料理を小皿に取り分けて食べ始めた。  みんなが箸を持った瞬間から緊張した。ラスボスの池亀さんと久保先生は絶賛してくれたけど、鯉に馴染みの薄い高校生がどんな感想を持つか興味もあったが怖くもあった。  ちらっと横を見ると、潤も四人の食べている姿を固唾をのんで眺めている。 「から揚げ、うまっ」  三山がいち早くリアクションをしてくれた。 「これも美味しいよ」  穂乃果がどんぶりを持ち上げながら言った。 「この味噌汁も」  小沢が笑顔で言ったので、 「それ鯉こくって言うんだよ」と彩音は教えた。  みんなが美味しい美味しいと食べてくれて料理はあっという間になくなった。  どう評価されたかは表情でわかった。 「鯉ってほとんど食べたことなかったけど美味しいね」  里帆が器を重ねながら言った。 「うん、うまかった。俺、鯉って初めて食べたかも」    小沢が言った。 「私も。食わず嫌いで」と穂乃果が続けた。  さらに三山が確信をつくコメントをした。 「ていうか、俺ぶっちゃけ苦手だった。なんか骨が多くて食べづらいイメージで」 「たしかに」  里帆も同調した。  全員の感想をまとめると鯉に馴染みがなかったり、苦手意識があったけど美味しかったということだ。表情から見てもその言葉に嘘はないだろう。  横を見ると、潤もホッとしたように小さく笑った。その顔を見て、やっと肩の力が抜けた。 「あっ、そうだ。彩音、蕎麦くず餅」 「あっ、忘れてた」  彩音は冷蔵庫から器に盛って冷やしておいた蕎麦のくずもちを取り出し、みんなの前に置いた。 「これは、今日のために作ったスイーツ。そばのくず餅の上にきな粉をかけてあります」  スイーツという言葉に反応して、女子から「やったー」と拍手が起こった。  鯉こくや漬け丼などしょっぱい料理が多いから甘いものが食べたくなる。そう思って用意した料理だった。 「あっ、これ、もちもちで美味しい」  急遽作ったそばくず餅も好評でよかった。本番へのいい弾みになりそうだ。 「鯉人倶楽部のお二人さん、なんか締めの一言を」  みんなが食べ終わったのを見計らったように三山が言った。 「えっ、なんだよ、あらたまって。嫌だよ」  潤は照れながら拒否した。 「いいじゃん。今日は壮行会だぞ」  三山はニヤリと笑った。 「潤、なんか言って」  彩音は潤の腰のあたりをぽんぽんと軽く叩いた。多分今日で本番前にみんなと会うのは最後になる。潤にはびしっと宣言してほしい。 「はあ、なんで」 「早く言いなよ」 「おい、そこ何二人でコソコソといちゃいちゃしてるんだよ」  小声で話し合っていたから小沢に突っ込まれてしまった。 「イチャイチャしてないし」潤は笑いながら言い返し、すぐに真顔をに戻した。 「じゃあ、ちょっと聞いて」潤は立ち上がった。彩音も一緒に立ち上がる。 「えーまず。今日は僕たちのためにお集まりくださりありがとうございます」  潤が頭を下げたので、彩音も続けた。  すると、穂乃果が、「結婚式の挨拶みたい」と笑った。里帆も、「ホントホント」と笑ったが、潤は相手にせず続けた。 「えー里帆ちゃん、ユニフォームありがとう。これを着てトロフィーを掲げたいと思います」  イエーイとみんなが声を上げた。 「あと、みんなも今日はありがとう。みんなが喜んでくれて自信になりました。グランプリ獲ったらまた、ぽえむでお祝いしましょう」  潤はさっきまで照れていたのに別人のように堂々と宣言した。すると四人から拍手が起こった。 「よし、じゃあここで小沢から、三三七拍子」  唐突に三山が言ったので、いつもみたいに小沢をいじったのかと思った。しかし、小沢はすっと立ち上がった。 「えっ」  戸惑った彩音が声を出した。もしかしてネタか? 「小沢ってあーみえて中学のとき応援団長だったんだって」  耳元で潤が教えてくれた。  華奢でチャラい小沢が応援団長。どちらかというと三山の方がそれっぽい。 「ご紹介に預かりました応援団長の小沢です」  小沢が言うと周りから笑いが起きた。 「いよっ団長」「団長」と言う声も掛かる。 「では」  ふーっと息を吐くと小沢は股を開き、両拳を腰元に当てた。 「鯉人倶楽部のグランプリを応援してー、三三七拍子」  後退りしそうなほどの迫力だった。学ランとハチマキがあれば完全に応援団長だ。  小沢の声量にも驚いたけど、みんなが息を合わせて手拍子していることも驚いた。まさか事前に練習した? その姿が浮かび、笑いそうになる。  三三七拍子のリズムが終わった。  潤が拍手したのを機に、そこにいる全員から拍手が沸き起こった。  拍手を聞きながら、これは現実なのかな? と思った。拍手の輪に自分がいる。この光景が不思議でしかたがなかった。  ちょうど一年前は孤立していた時期だった。当時は絵に描いたような学校生活なんて諦めていたし、友達との楽しい交流なんてなくても良いと思っていた。それなのに、ここにきてこんなにステキな輪に入れてもらえるなんて思いもしなかった。  多分本心では諦めてなんていなかった。あれは自分への強がりだったんだ。  彩音の体がプルプルと震えた。気持ちの高ぶりと共に、拍手はどんどん大きくなっていった。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません