作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

   美味しい鯉料理を食べてから彩音のモチベーションは上がっていた。いつもより練習に向かう足取りが軽い。  意気揚々と家庭科室の扉を開けると、約束の時間よりだいぶ早く入ったつもりだったが、潤はすでに来ていた。  しかし、いつもだったら黒板になにか書いているはずなのに、椅子に座ってぼーっと考え事をしている。  彩音の頭の中には昨夜から試してみたい料理が浮かんでいた。そのアイデアをくれたのは、まさに池亀さんだ。昨日、最初に口にした、から揚げを食べてから、何かアレンジができないかとずっと考えていた。  池亀さんのから揚げも万人にうける美味しさはあるけど、そこをもう一工夫したいと思った。そう思っていると、夕食時の父との会話の中にヒントがあった。 「へー。鯉料理を食べてきたのか」  昼にラスボスで食事をしたことを話したら父が思いのほか反応を示した。 「そんなに、うれしいの?」  なんとなくご機嫌になった父に彩音は尋ねた。 「ああ、まあそれは佐久の人間だから、名産を使ってくれればうれしいよ。それでもしもグランプリをとれれば全国にも佐久鯉の名前が広まるかもしれないし」 「それ前も言ってたよね」 「そうだっけ」    父はそう言うと、彩音の作った野菜炒めに箸を伸ばした。思えば池亀さんも鯉を使うことを喜んでいた。人によって個人差はあるものの、佐久市民にとって鯉はやっぱり特別な食材なのだろう。  そう考えると、鯉以外の他の地元食材をどんどん使うのもありかもしれない。郷土色も出るし、審査にも有利に働く気がした。  考え込みながら父を見ると、野菜炒めに入っていたシメジを口に入れた。その時に閃いた。   「じゃあ、私は試作始めるからね」  考え事をしている白衣姿の潤に声を掛けてから、作業を始めた。まずは三種類のキノコを細かく刻む。    彩音は家庭科室に来る前にスーパーに寄り、野菜のコーナーに直行した。長野のスーパーにはキノコがたくさん置かれている。シイタケ、シメジ、舞茸、えのき、エリンギの定番キノコから、ヒラタケやヤマブシタケという珍しいキノコもある。その中から三種類を選んだ。  佐久に関係はないけれど、長野県といえばキノコというイメージがある。キノコで餡を作れば郷土色もぐっと高まるはずだ。  餡の味付けは悩んだ末に、甘酢あんかけにした。だし、醤油、砂糖、酢で味付けしたタレの中に、細かく切ったしめじ、シイタケ、エノキを加える。片栗粉でとろみをつければできあがりだ。  から揚げの方は、潤に手伝ってもらった。鯉は小骨が多いので細かく包丁を入れる。そうしないと嚙んだ時、小骨が口の中に残るからだ。  一口サイズに切った鯉に片栗粉をつけて高温の油で揚げる。カラッと揚がった鯉のから揚げを皿に盛り付け、そこに熱々のキノコ入り甘酢餡をかける。 「じゃあ、食べてみようよ。テーマはTHE信州。佐久鯉に信州産のキノコを加えた甘酢餡を掛けました」  彩音は料理の説明しながら作業台にコトンと皿を置いた。それに二人で箸を伸ばす。 「熱っ」    から揚げは思った以上に熱かった。彩音はハフハフ言いながらから揚げを飲みこんだ。  ラスボスのから揚げも美味しい。でもこれはこれで美味しい。というか、かなりいいかもしない。言葉に出さずに自画自賛したけれど、潤の反応が気になった。 「うん。めちゃくちゃ美味い」  潤は絶賛しながらまた箸を伸ばした。だけど、どこか元気がないし表情が冴えない。 「えっ、何。その反応は。本当は美味しくないの?」  お世辞をいうタイプだとは思えないけど、反応がおかしい。 「いや、本当に美味しいよ」  潤は覇気のない声で言った。  なんだか言葉と表情が一致していなくて違和感はあるけど、これ以上問い詰めようはない。腑に落ちないけれど、彩音の試作は終わったから、片づけに入った。  その間も、潤は鯉の刺身を切って口に入れては首をひねったり、考え込んだりと、料理として形になるような試作はとうとうできなかった。  多分、また悩んでいるのだと思う。潤は思っていることがすぐに表情や態度に出る。普段は強気なのに、メンタルが金魚すくいの網みたいに脆いから、躓くと、思いつめてしまう。  潤は気を落としたまま、片づけを終えて、この日は解散になった。  その夜、潤から「試作は一週間休む」とのラインが届いた。  画面にこの文章が表示されたとき、「またか」と思ったし、どれだけメンタルが弱いんだ。と怒りすら覚えた。彩音はスマホをベッドの上に投げつけた。  毛布に沈むスマホをすぐに拾い、潤になんと返答しようか考えると、潤からもう一通ラインが届いていた。 「ラスボスで一週間修行する。彩音は包丁使いの練習しといて」  そういうことか。彩音は「了解」とラインを返した。  ラスボスで修行。なんだかRPGか少年漫画みたいな響きだ。  たしかに、それもいいかもしれない。潤は信州のことを知らなさ過ぎる。それなのに、郷土色を出すなんて無理がある。ラスボスは鯉料理以外にも信州の食材をたくさん使っていそうだし、ちょうどいい。  潤の成長に期待しつつ、彩音はラインを閉じ、インスタのアイコンをタップした。  今日の上村宗太はどんな料理をアップしているのか見てやろうと思った。自分の試作が上手くいったものだから、強気でタップする。  潤の兄、上村宗太の料理画像を見るつもりだった。しかし、タイムラインの一番上に出てきた投稿に彩音の目が釘付けになった。    それはマナの投稿だった。マナは東京少女のオーディションで彩音とともに最終まで残ったが、共に落選した一つ年上の参加者だ。    当時からよく被っていた黒いキャップにダボっとした白いTシャツを合わせたマナは、何かのチラシを持って映っている。  彩音は文面を読むために下にスクロールした。 「みなさん。お久しぶりです。マナです。しばらくお休みしていましたけど、充電期間終了です。私は次の目標に向かって走り出しています。  あの時、私と同じ悔しい思いをしたメンバーとまた会えるのを楽しみにしてます」  はっきりとは書かれていないけど、おそらく何かのオーディションを受けるのだろう。そして、「あの時のメンバー」に彩音が含まれていることは明白だった。  コメント欄を見ると、フォロワーも内容を察しているようで、「マナちゃんオーディション頑張れ」や「あの時の感動を再び」などの応援コメントで溢れていた。中には「アヤネちゃんもずっと更新止まってるけど元気かな」など彩音に対してのコメントまであった。  別に自分に対してのコメントを見たいわけじゃないけど、書き込まれているコメントすべてに目を通した。ほぼすべてが、新しい挑戦へ向かうマナへのエールだった。  マナの顔を見るのは久しぶりだった。落選した時は彩音以上に落ち込んでいるように見えたけど、元気そうでよかった。  懐かしさがこみあげ、マナと親しくなった日のことを思い出した。    あれは去年の春休みのことだった。東京少女オーディションで三次まで残ったメンバーは、審査の一環として三週間、山中湖にほど近い民宿で合宿をした。その時の部屋割りで彩音とマナは同部屋だった。  候補者の大半が、東京や神奈川、愛知、大阪などの大都市出身だった中で、彩音と同じ地方出身は群馬県出身のマナだけだった。だからというわけではないかもしれないけど、気が合っていたと思う。未経験者の彩音と違い、マナはダンススクールに通っていたので、部屋で振り付けを教えてもらっていた。もしかしたらマナがいなかったら合宿を最後までやり通せなかったかもしれない。心強い存在だったし、二人でデビュー出来たら楽しいだろうなと思っていた。  気が合っていた。そう思ってはいたけど、親友ではなく、戦友だった。あくまで同じ目標があっての絆だったので、二人そろって落選してからは連絡は途絶えていた。  だから、「あの時のメンバーと会えることを楽しみにしてます」はマナからの久しぶりの呼びかけだった。    マナはまた動き出している。彩音はベッドに倒れこみ、枕に顔をうずめた。  心臓が激しく動き始めた。鼓動は布団の中でドクドクドクと大きくなっていった。  

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません