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「やっぱり八寸かな」    水道の水を止めると潤が独り言のように言った。    彩音は皿をふきんで拭きながら「八寸?」と聞いた。 「うん。ああ、八寸ていうのは前菜のことなんだけどさあ、やっぱり見た目を華やかにした方がいいと思うんだよね。一皿にちょっとずつ色んな物を盛り付けるから手間はかかるけど、それくらいやらなきゃダメな気がしてきた。あと包丁で細工なんかもした方がいいかも。例えばお造りの付け合わせを凝ったりとかさ」    潤は剥きものをする仕草をしてみせた。    八寸と聞いて、すぐに上村宗太の顔が浮かんだ。一皿の中におひたしや、焼き物や、酢の物、押しずしなど、バリエーション豊かな色とりどりの料理を盛り付ける。そこに葉っぱや花などでさらに彩を加えるので、たしかに見栄えはいい。おそらく潤も上村宗太がインスタに上げているような八寸を思い浮かべているのだろう。ただ見栄えはするけど、その分、工程が増える。決勝本番で時間内に作ることができるか疑問だ。 「ああそうだ」潤はそう言うと、バッグの中から分厚い本を取り出し、「これ貸すから見といてよ」と彩音に渡した。                           🐡    潤から借りた本を家に持ち帰って夕食後に部屋で見た。表紙には「八寸・前菜」と書かれている。ペラペラとめくると、潤の言うように、たしかに華やかだ。一皿の上に少しずつたくさんの種類の料理が載せられている。春にはタケノコや菜の花が盛られ、大根を花びらに模ったものや、小さな桜が添えられている。秋には柿を一個丸ごと器として使い、中に白和えを盛り、かぼちゃを銀杏の形に模る。  本の中には、見ただけで気持ちが華やぐような料理が載せられている。  一通り目を通すと一旦本を閉じ、インスタを開き上村宗太の投稿を見た。    彩音が見るかぎり、専門書と同じレベルの料理を上村宗太は作っている。こんな相手と同じ土俵で戦って相手になるのだろうか。そもそも和食グランプリという大会はこういう料理を求めているのか、そこも疑問だった。  もしも、参加者全員が料理の専門書を参考にするとしたら、普通科に通う彩音たちは圧倒的に不利に思える。でも、だからと言って何か具体的に潤に意見できるアイデアはない。もどかしい気持ちのまま彩音は本を閉じた。      翌日、潤は大量に食材を用意し、放課後の家庭科室に顔を出した。どうやら前菜の試作をするつもりらしい。  食材を作業台の上に置くと、潤はいつものように試作する内容を黒板に書いた。潤の背中からやる気がみなぎっている。おそらく前菜の試作にまっしぐらなのだろう。 「とりあえず彩音はこれ小口切りに切っておいて」  黒板にメニューを書き終えると、潤からネギを渡された。多分、飾り切りをはじめとする複雑な調理を潤が担い、簡単な作業を彩音に振っているのだろう。それはまったく問題ないし当たり前だと思う。だけどなんだか気がのらない。 「なんかなあ、違うよなあ」  ねぎを刻みながら彩音の口からぽつりと言葉が漏れた。自分で発した声に驚きながら潤を見た。潤はわかりやすく顔を強張らせた。 「違うよなあって、それってどういうこと」  潤は彩音の目を見ずに口を開いた。短い言葉の中にいら立ちが見える。でも、言うことは言わないといけない。 「なんていうか、うまく言えないけど。こういうのだと他の学校に勝てない気がする」  自分でも思い付きで発言しているのはわかる。でもモヤモヤがあるのはたしかだった。 「いやいやいや、彩音に何がわかるの? 他の学校のことなんて何にも知らないでしょ?」 「まあ、そうだけど」  と答えながらも、上村宗太の顔が浮かんだ。 「それにさ、ほかの学校なんてどうでもいいんだよ自分たちの料理を作ればいいんだから」  自分たちの料理と言っても、どう見たって本を参考にしようとしている。彩音は作業台に広げられている本に目をやった。 「……」  返す言葉なくて変な空気が流れてしまった。 「えっ、何。その反応。この料理がそんなに不満なの? あっ、もしかして難しそうだと思っている? 大丈夫だよ。そんなの決勝の夏までに頑張ればなんとなるって」  潤は励ますように言った。でも、彩音が抱いている違和感はそういうことじゃない。 「うーん。でもさ、多分うち以外の他の学校は調理科でしょ。うちは普通科だし。わたしなんかど素人だしさ。今からで間に合うのかなあ」 「いや、だから、そんなのさ、これから必死で頑張ればいいんじゃないの。書類審査を出した後だって決勝戦まで三か月あるんだし」    珍しく潤はむきになって言い返した。 「そうだけどさ」  彩音は迷った末、スマホを取り出し上村宗太のインスタを開いて潤に渡した。 「ほらっ、これ見て。和食グランプリに出る人だよ。この人、調理科で勉強しているし、家も料理屋なんだよ。こういう人と似たような料理を作っても勝てるとは思えないよ」  潤はたいして見もせずに彩音にスマホを返すと、「はあ」とため息をついた。 「なんかがっかりだよ。まさか彩音がそんなこと言うとは思わなかった」 「何、がっかりって?」 「だってそうじゃん。東京少女のオーディションの時だって、彩音は歌もダンスも未経験だったけど必死に頑張って最終まで残ったんじゃん。あの時の彩音はどこにいったんだよ」    潤の顔が今にも泣きそうでかける言葉が浮かばない。 「俺さあ、そのインスタ見たことあるよ」  潤はうつむきながら続けた。 「彩音は勝てるわけないって言ったけどさ、俺、そいつには絶対に負けたくないんだ」  唇を嚙みながら潤は声を震わせた。  その後は険悪な空気のまま潤が考えてきた料理を作った。飾り切りとかが多くて見た目はいいけど、食べても美味しくないものばかりだった。すべて作り終えると無言のまま自転車で下校した。  俺、そいつには絶対に負けたくない。とういう潤の言葉が気になったが、おそらくグランプリを獲るためには誰にも負けたくないという意味だろう。  どうやら潤のプライドを激しく傷つけてしまったようだ。それは申し訳ない。でも勝つためには言うべきことだったと思う。だけど、悔しいのは、モヤモヤの正体を言葉にできなかったことと、どうやったら上村宗太に勝てるのかが思いつかないことだった。  だけど、「頑張ればいいじゃん」と言った潤の言葉には何とも言えない違和感を覚えていた。    翌日の昼休み。第二理科室に潤は来なかった。その代わりにラインが送られてきた。 「今日学校休んだ。だから試作もなし。というより考えがまとまってないのにむやみに料理しても意味ないからしばらく休もう。また連絡する」  まさか学校を休むとは思わなかった。昨日のことがよほどショックだったのだろうか。だとしたらメンタルが弱すぎるだろ。彩音はあきれてしまった。  潤のひ弱さにうんざりしながら弁当箱を開けた。  自分でいうのもなんだけど、和食グランプリに出場すると決めてから彩音の弁当のクオリティが爆上がりした。彩りを意識するようになったこともそうだけど、味もこだわっている。まず顆粒の出汁は使わず、家でもかならず昆布とカツオから出汁をとる。この出汁のために前よりも早く起きなければいけないし、手間はかかるけど本物の味を知るともう顆粒タイプには戻れない。特に朝食や夕食を嬉しそうに食べる父の顔を見るとやめられない。    彩音は弁当の定番である出汁巻を口に入れた。和食グランプリに出ると決めたあの日、潤の弁当に入っていた出汁巻き卵の味が今も忘れられない。少しでもあの味に近づきたい思うけど、まだまだそこまでには達していない。  手っ取り早く潤にレシピを聞いたら、「ごめんそれは無理」と断られてしまった。  快く教えてくれると思ったから、これにはかなり驚いた。それに「ケチ」と心で毒づいた。だから意地でも同じ味を作ってやろうと作り続けている。わかっていることはこの出汁巻きは出汁も砂糖もたくさん入っていること。  出汁が多いと、玉子液が緩く、火をかけても玉子焼き器の中でもうまく固まらず、ぐちゃぐちゃになってしまう。ここ最近はやっとうまく巻けるようになったけど最初はひどいものだった。  そういえば潤は出汁巻には思い入れがあると言っていた。それがどんな思い入れか聞こうと思っていたのに、いまだに聞けていない。もしかするとそれがレシピを教えられない理由なのかもしれない。  そもそも潤と行動を共にすると、いつだって向こうのペースで彩音の方からなにかを尋ねる隙すらない。    出汁巻き卵を口に運びながら鯉を眺めた。ここ最近、お昼休みには潤がいて、彼が一方的に何か喋っていたから、鯉をゆっくり眺めるのは久しぶりだ。  相変わらず、呑気そうに口をパクパクさせている。  鯉を見ていたら数日前の夕食時に父が発した言葉を思い出した。 「久しぶりに鯉こく飲みたいなあ」  父は味噌汁をすすりながらそう言った。 「えっ、鯉こく? お祝いでもないのに」  彩音は首を傾げた。  鯉こくと言うのは、筒状の鯉を味噌で煮た料理で、簡単に言えば鯉の味噌汁だ。彩音の住む長野県佐久市ではお祝いの時に食べる機会が多い。と言ってもそれも古い話で、今ではお年寄りくらいからしか食べられていない料理だ。 「お祝いじゃなくたっていいじゃないか。順子はよく作ってくれたよ」  父は少しムキになって言い返した。  そうだったけな。もう記憶は薄れているが、そう言われるとよく食べた気もする。でも、幼かった彩音にとって鯉こくはそれほど心が躍る料理ではなかった。 「あっそうだ」と父は突然立ち上がり、台所に向かった。台所からガゾゴソッと音がした。しばらくすると父は戻ってきて、黄ばんだメモを彩音に手渡した。 「なにこれ?」 「鯉こくのレシピ。しかも順子のオリジナル」 「なんでこんなのあるの? しかもオリジナル?」  彩音はメモを見た。そこにはたしかに母の字で作り方が書かれている。 「佐久に嫁ぐためには鯉こくくらい作れなければ駄目だと思ったんだろ。お袋に訊いたりしながら自分のレシピを作ったんだと思うよ。アレンジするところが負けず嫌いの順子のらしいんだよな」 「そうなんだ」  そういえば亡き祖母は厳しそうな人だった。この家に嫁いでから、母は大変だったのかもしれない。でも、勝気な母も負けていなかったはずだ。 「お袋には悪いけど、正直、俺は順子の味の方が好きだったな」  父はしみじみと言った。  あの時の父の表情を思い出すと、夫婦愛を感じて、ちょっと胸が熱くなった。たしかに今思い返してみると、仲の良い夫婦だった。温和で物静かな父と、チャキチャキしていてにぎやかな母。正反対だけど、喧嘩をしているところは見たことがなかった。  それにしてもあんなに元気だった母が突然死んでしまうなんて今でも信じられない。  父のことを思うと、鯉こくを作ってあげたくなる。彩音は水槽で泳ぐ鯉を見ながらそんなことを思った。生きている鯉の前で無残にも筒切りにされた鯉を思い浮かべるのは不謹慎な気もしたけど、練習もないし放課後に鯉を買って帰ろうと思った。  

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