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   潤のチームは4チーム中、2番目に完成した。  額の汗を袖で拭きながら潤は時計を見た。時間がまだ5分以上も残っている。練習ならともかく、この大舞台でここまでの早いタイムで終えられるとは思っていなかった。  これもすべて彩音のおかげだ。本番中は自分の料理に集中していたから彩音の動きを終始見ていたわけではない。でも、隣から彩音の熱は感じていたし、この60分はその熱に突き動かされ続けた時間だったような気がしている。やっぱり彩音は特別な力を持っている。誘って正解だった。心強い相棒の顔を見ると、火照って真っ赤になっている。  調理を終えた潤は椅子に腰かけながら、審査員席に目をやり、さっき父から発せられた言葉を思い出した。  潤がこの大会に出場することを父がどう思っているのか、本当はずっと気になっていた。当てつけだと思われても仕方がない。でも、父の言葉を聞くかぎり、不の感情は一切なく、純粋に仕事ぶりを喜んでくれていたと思う。それだけで胸がいっぱいだった。もう結果なんてどうでもいいような気さえする。  そう思ったが、隣の彩音を見ると真剣な顔で、まだ調理をしている参加者の動きを、まるで獲物を捕らえるトラみたいな顔で見ている。彩音は結果がどうでもいいなんて思っていない。  どうでもいいなんて思った自分が恥ずかしくなる。  なにはともあれ、無事に調理を終えられてよかった。潤はふーと息を吐きながら、まだ調理中の二組を見た。その二組の中には兄の宗太のチームも含まれている。  宗太は一心不乱に手を動かしている。宗太のチームが何を作っているかはわからないが、表情に余裕がない。おそらく、かなり時間に追われているのだろう。  調理中は宗太の動きを見ている余裕はなかったが、田辺さんの実況で穴子を捌いたことはわかった。それが、大幅な時間ロスに繋がっているのは間違いない。魚を捌く工程は本番前に済ませてもいいはず。それを承知で本番の60分に組み込んだのには、いったいどんな計算があるのだろうか。  残り三分。相方の黒田とともに、盛り付けに入り始めた。黒田は宗太と違って色白でひょろひょろしている。見た感じだと、自己主張があまりなさそうで、仕切りたがりの宗太と真逆と言える。多分それはそれでよいバランスなのだと思った。  意外だったのは、勝負をかけてきた料理が潤の予想と違っていたことだ。予想では、もっと見た目を重視し、得意の包丁技を見せびらかすような八寸や造りを披露するかと思った。しかし、その想像に反し、一品一品どっしりとした骨太な料理が出来上がっているように見える。 『残り二分』  田辺さんがアナウンスした。そこから時を置かずに、「出来ました」と沖縄の那覇ボーイズの元気のよい声が聞こえた。  これで残るは宗太のチームだけ。那覇ボーイズの完成を知った影響か、宗太の顔に焦りの色が濃くなった。その焦りが潤の中にも沸き始め、胸がドキドキと激しく動き始めた。  急げ、急げ。潤は心の中で叫んだ。  会場にいる全員が江戸リアンズを見ている。すると宗太の肘がボウルに触れて床に落ちそうになった。会場から「あっー」と声が上がった。  しかし、寸前のところで宗太が手で押さえた。  間一髪だった。心臓が止まりそうになる。  急げ、でも落ち着け。急げ、でも落ち着け。  自然に拳に力が入る。 「兄ちゃんがんばれ!」  気づくと潤は立ち上がり、声を上げていた。一瞬恥ずかしさも感じたが、そんなことよりも宗太を応援したい気持ちが勝った。 「兄ちゃん頑張れ」  もう一度叫んだ。 「上村さん、頑張れ」  隣で彩音も続いた。  それが伝染したのか、他の参加者や、観覧席からも声援が飛んだ。 『残り、一分。頑張って江戸リアンズ』  田辺さんの実況にも熱が入る。    時計の秒針と競うように二人は手を動かす。宗太が鍋の火を止めた。そしてレードルでお椀に注いだ。 『残り、30秒』  時間はどんどん過ぎてゆく。 『残り10秒、8、7、6』  カウントが始まった。  宗太が三つ葉をお椀の上に散らすと、黒田と顔を見合わせた。 「出来ましたっ」  宗太と黒田が声を合わせた。どのチームよりも大きな声が会場に響いた。 『はい、終了ー』  田辺さんが調理終了を告げると、会場から拍手が沸き起こった。  やっと終わった。自分のことじゃないのに、どっと疲れた。一息つきたいところだが、そうもいかない。これからプレゼンテーションと質疑応答がある。言葉で伝えるスキルも料理人には必要だということでプレゼンも大きな評価の対象になる。  プレゼンでは料理のコンセプトや、想いを審査員に伝える。これは事前に準備できるが、その後に控えている質疑応答は審査員が何を聞いてくるかわからない怖さがある。 『では、順番に審査員の先生に試食していただきましょう。では、まず北海道さつき高校のチーム道民のみなさんの料理です』  いよいよ試食がはじまる。  この大会では、現地の学生が調理補助員を務めてる。その学生たちが北海道のチームの料理を少量ずつ皿に取り分けて審査員のもとに運ぶ。  その間に、北海道チームの二人はマイクの前に立つ。白いコックコートを身にまとった小ざっぱりとした男子二人だった。 『では、審査員の先生方に試食していただいている間に、プレゼンデーションをお願いしたいと思います。緊張している? 大丈夫? 心の準備ができたらどうぞ」  田辺さんは緊張をほぐそうとしているが、北海道チームの二人の顔は強張ったままだ。二人のうちの一人が、マイクの前に立った。 「はい、僕たちはチーム道民は、北海道の素材を活かして、ちゃんちゃん焼きや石狩鍋などの北海道の伝統料理を現代風にアレンジしました」  チーム道民のプレゼンテーションが始まった。他の参加者は開会式の時と同じパイプ椅子に座り、じっと見つめる。 「彩音、緊張してるか」  チーム道民のプレゼン中に彩音に尋ねてみた。 「うん。まあちょっとは」  言う割に、あまり緊張していないことが表情から判明した。  そういえば自分もあまり緊張していない。疲れ切っているのと、ハイになっているので、緊張を忘れているようだ。  プレゼンテーションは彩音と潤が交代で話す。紙を見ないで話した方が審査員に伝わると思い、しっかり暗記したつもりだ。それでも不安なので胸ポケットからメモを取り出す。メモで自分のセリフを確認する潤をよそに、彩音はチーム道民のプレゼンをしっかり聞いている。  プレゼンテーションが終わると、質疑応答に移った。   フランス人のシェフが質問し、チーム道民の一人が答える。  潤は質疑応答に耳を傾けずにメモを何度も読み返した。 『はい。では、チーム道民のお二人でした。会場のみなさんは大きな拍手をー』  チーム道民の審査が終わり、会場から拍手が湧いた。  自分の順番が近づく。少しだけ緊張が高まってきた。 『それでは、続いて江戸リアンズでーす。調理補助のみなさん審査員の先生方に料理の用意をお願いします』  田辺さんの声を合図に、整列していた調理補助の学生が、厨房の中に散らばった。そして、宗太たちもマイクスタンドに歩き出した。  マイクの前に立った宗太の顔から硬さは取れている。むしろすべてを出し尽くして清々しく見える。こんな顔は初めて見た。宗太は穏やかな表情で、審査員の前に料理が運ばれるのを待っている。 『はい。では審査員のみなさんは試食を始めてください』  審査員席に目をやると、父が箸を掴んだのが見えた。 『江戸リアンズは本当にぎりぎりまで調理していたので、疲れたんじゃないですか?』  田辺さんが宗太たちに話を向けると、二人は笑いながら首を横に振った。  これから始まる宗太のプレゼンテーションを見るために、潤はメモを胸ポケットにしまった。 『はい、準備はいいですか? それでは江戸リアンズにプレゼンテーションをしていただきます』  宗太が一歩前に出てマイクスタンドを動かした。宗太のプレゼンテーションが始まる。                 

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