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   潤のウインクを見て、まさか現実世界でウインクをする人がいるとは思わなかった。潤にそんなキザな一面があったのか。    いや、違う。潤はわざと彩音を笑わそうとしている。その手には乗るか。ツボに入りそうだったけど、なんとか堪えた。でもダメだ。笑ってしまう。  鯉の身と鯉の鱗を油から取り出し触ってみた。うん大丈夫だ。カラッと揚がっている。  鯉の唐揚げを皿に盛り付けてから、小鍋にキノコの出汁に水溶き片栗粉でとろみをつける。そして熱々の餡を唐揚げにかけた。  ここまでは完璧な手順だ。むしろ、いつもよりもスムーズかもしれない。    鯉こくを煮ている間に、潤の仕事のサポートをする。鯉のたたきを彩るトマトやカブを切り、潤に渡す。受け取った潤は「ありがとっ」と言いながらわざと目を細めて笑った。笑ったというより変顔だ。まるで酔っ払いみたいに潤は悪ふざけをする。完全にハイだ。クッキングハイなんて言葉はないかもしれないけど、そんな感じだと思った。もはやキャラ崩壊だ。多分この様子が配信されていることも忘れているのだろう。  でも、ふざけているようでも、仕事は速い。皿の中央にセルクルを置き、中に細かく叩いた鯉と長芋をを詰める。良いペースだ。 『はい、ここで審査員の先生からお話伺っていきましょう。まずは上村審査員長』  上村審査員長と聞いて彩音は審査員席を見た。 『ここまでの参加者の仕事ぶり、どうご覧になっていますか?』  田辺さんは潤の父親にマイクを向ける。 「はい、みなさん非常にキビキビと迷いなく動いているといった印象です。きっと相当に鍛錬を重ねてきたのでしょう」  潤の父親の言葉に彩音は耳を傾けた。 「おい、彩音。手を動かせ」  潤に小突かれて彩音はまな板の上に置いていた野沢菜を刻む。 『なるほど、たしかにみんな良い動きですね。ところで、上村審査員長、なんと江戸リアンズの上村君は息子さんじゃないですか、どうですか? 親御さんとして』  彩音はまた手を止めて審査員席を見た。 「いえ、今日は父親というのは関係なく、いち参加者として審査に徹しています」 『なるほどー。そうですよね』 「それに……」 『はい?』 「実は長男は上村宗太で間違いないのですが、鯉人倶楽部の櫻井潤も息子なんですよ。彼は次男です」  チラッと潤を見ると、今度は潤の手が止まった。審査員席を見るでもなく、電池の切れたロボット人形みたいに停止している。 『えっ、そうだったんですか?』  田辺さんが驚いている。本当に知らなかったらしい。会場にもどよめきがおきる。もしかしたら兄弟の苗字が違うことで、観覧者も色々と勘ぐっているのかもしれない。  潤を見るとまだ止まったままだ。このままだとまずい。 「はい。私もこの大会に彼が出場したことには非常に驚いているんです。でも嬉しいです。久しぶりに彼を見るのですが見違えるようで……」 『あれっ、上村審査員長、目が潤んでいませんか?』  田辺さんが指摘すると潤の父親は首を振って否定した。 「いえいえ、気のせいです。それよりも今は誤って父親の部分を出してしまいました。申し訳ありません。その代わりにあの二人には必要以上に厳しく審査するので他の参加者さんはご安心を」  潤の父親が言うと、会場から笑いが起きた。  なんだ。ちゃんと愛されてるじゃん。ふっと視線を戻すと潤は野菜を盛り付け始めていた。心なしか潤の表情が優しげになったような気がする。  彩音は昆布と一緒に炊いたご飯に刻んだ野沢菜を汁ごと加えて混ぜる。混ざり合ったら茶碗によそう。  潤の前にごはんを盛った茶碗を置くと、待っていましたとばかりにタレにからめた熟成鯉の薄造りを盛り付けた。気持ち良いほどスムーズな連携だ。  ほぼ同時に鯉のたたきと鯉の漬け丼が完成した。  あとは母のレシピを基にした鯉こくだ。そろそろ良い頃合いだ。彩音はオタマで汁をすくいお猪口に注ぎ味見した。 「どう?」  すべての作業を終えた潤が彩音の顔を覗き込んだ。 「うん? 完璧」  紛れもなく母の味だ。ついお正月の光景が浮かびそうになったけど、それは打ち消した。今は感傷に浸っている場合ではない。  彩音はおたまでお椀に汁を注いだ。お椀からおいしそうな湯気が立ち上がった。  最後は冷蔵庫で冷やしていた蕎麦のくず餅に甘じょっぱいタレをかけて、5品すべてが揃った。    大会のルールとして仕上がったら、「出来ました」と知らせることになっている。    彩音と潤は目と目を合わせた。そして二人で声を合わせた。 「出来ました‼︎」

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