作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

「彩音、今日の夕飯はどこかで買った?」  夕食時、父は炊き込みご飯を口に入れた瞬間、箸を止めた。  我が家の夕飯は、市役所に務める父と彩音が交代で作っている。母が亡くなってからは父も料理にだいぶ慣れ、味にうるさくなってきた。いや、そうでなくとも相当な味覚音痴でないかぎり違いに気づくだろう。 「ううん。自分で作ったよ」  半分本当で、半分嘘。    今日の夕飯は鶏肉とゴボウの炊き込みご飯と本物の出汁でつくった味噌汁だ。もちろん炊き込みご飯は学校で作ったものだ。  潤は放課後に作った料理をタッパーに入れて持たせてくれた。おかげで夕飯を作る手間が省けた。それに出汁も持たせてくれたので、それを使って味噌汁も作った。 「あのさ、お父さん。私ねえ和食グランプリっていう高校生の大会に出る。だからこれからは毎日私が夕飯作るからね」    箸を動かし続けている父に、彩音はそう告げた。なんの前触れもなくいきなり和食グランプリと言われて、戸惑うかと思ったが、父の反応はあっさりしたものだった。 「そっか。がんばれよ」 「えっそれだけ? 驚かないの?」 「驚かないよ。だって去年はガールズグループのオーディションだっただろ。それと比べればまったくだよ。だってそれ部活みたいなものだろ?」  そっか。あの時の突拍子のなさと比べれば、普通の高校生らしいといえるのかもしれない。 「それにしてもうまいなあプロみたいな味だ」  父は喜んで味噌汁をすすった。  父の言うように、いつもと同じ味噌を使っているのに、いつもよりはるかに美味しい味噌汁になった。いつもの顆粒だしとは一味も二味も違う。  味は美味しいのに、なんだか気落ちしてしまう。それは自分の甘さへの落胆だと思う。  毎日料理をしてるからと言って軽く考えていた自分が恥ずかしい。それを今日は目の当たりにした。  それに潤の作った弁当を食べた時点で分かっていたけど、腕の違いをまじまじと見せつけられた。これでは足手まといになってしまう。そう思うと悔しくて仕方がなかった。    その夜、ベッドに入ってからスマホを開いた。寝る前はだいたいインスタをチェックする。彩音のアカウントは東京少女のオーディションの時に開設したもの。しかし落選後は一切投稿せずに、見る専門になっていた。  タイムラインを見ていても和食グランプリのことが頭をよぎる。  毎日、料理をしているといってもちゃんと和食のことを知っているわけではないし、意識して勉強しようと思ったこともない。ちゃんと勉強しなきゃだめだ。彩音は勉強がてら「和食」で検索をかけてみた。すると無数の#和食が出てきた。  料亭の美しい料理や、プロ顔負けの主婦の料理、さらには不格好だけど何故か食欲をそそる男飯など、和食と言ってもピンからキリまで投稿されている。彩音はぼーっと投稿を見ていた。すると一つ気になるアカウントがあった。  アカウント名は上村宗太。目に留まったのは現役高校生だったからだ。プロフィールによると都内の高校の調理科に通っているらしい。  上村宗太の投稿はすべて料理の写真なのだが、どれも料亭で出てきそうな美しい和食だった。高校生が作ったとはまったく思えない。カブを菊に見立てた煮物や、川で泳いでいるようにうねる鮎の塩焼き、さらにはタイの姿造りまでアップされている。  世の中にはすごい人がいるものだなあ。感心しながら、彩音は上村宗太の投稿を夢中で見た。たくさん投稿されているので、今晩中にすべて見るのは無理だ。彩音は上村宗太をフォローしてから眠りについた。                     🐡    卒業式まであとわずか五日。  調理の練習を始めてから二週間ほどだった。放課後は毎日潤と試作を繰り返している。潤にとっては試作かもしれないが彩音にとっては料理の基本特訓だ。最初は「うまいうまい」と褒めてくれた潤も日を追うごとに要求が増してくる。 「彩音、もっと細く切らなきゃダメだよ」  キュウリを細切りしていると潤に注意された。  毎日のことだけど、指摘されるとちょっとイラっとする。  玉ねぎをみじん切りにする。大根を拍子切にする。カブを六方にむく。これくらい簡単だと思っていたし、自分ではできている気でいた。でも潤は彩音の仕事に満足してくれない。  潤から言わせると、そもそもの基本がなっていないらしい。今までは誰に習ったわけでもなく、すべて自己流だった。包丁の持ち方や、食材をおさえる手の置き方、さらに立ち方まですべて一から直される。 「彩音、姿勢っ」  と注意する言い方は、ダンスレッスンのトレーナーを思い出させる。オーディション合宿のダンスのトレーナーのカズヤさんは昔一世を風靡したダンスユニットのメンバーで、彩音もテレビでよく見ていた人だった。テレビでは笑顔の印象が強かったが、実際はかなり厳しく、レッスン中に笑顔を見せることはほとんどなかった。腕の伸ばし方から、首の向き、ほんのわずかなズレも許さないカズヤさんの鬼指導に、泣かされた子も多い。まさに鬼だった。  あそこまでではないにしろ、潤も今ではすっかり鬼になっていて、それと同時に呼び方も「瀬野さん」から「彩音」に変わった。その呼ばれ方もだんだんと慣れてきたけど、自分だけ呼び捨てにされるのは悔しいから、彩音も「潤」と呼び捨てにするようになった。でも、呼び方のせいか距離はだいぶ縮まり、言いたいことを言えるようになった気はする。    全日本高校WASHOKUグランプリは書類審査を通過すると、決勝大会はプロの審査員の前で料理を作る。書類審査に記載するレシピを決勝戦で再現するので、勝負は書類審査の内容でほとんどが決まるといっても過言ではない。(と潤が言っていた)  決勝は一時間で三食分を完成させる。当日は実力差から考えて彩音は潤の補佐をすることになりそうだが、時間との勝負でもあるので彩音が手際よく仕事をしないと完全な形で料理を仕上げることはできないだろう。 「彩音は手に力を入れすぎなんだよ。それじゃあ食材を傷つけているだけ。もっと肩の力を抜いて。それでいてスピーディーにね」  ことあるごとに潤はそう繰り返す。口を酸っぱくとはこのことだな。  肩の力を抜いて。これもカズヤさんがよく言っていた。つくづく料理とダンスは共通点が多い。  いつまでも注意されてばかりでは悔しいから、家では自主練として大家族の食事並みに野菜を刻んでいる。だからここ数日の我が家の味噌汁は具沢山だし、野菜炒めの割合が多い。  たくさん包丁を扱えば扱うほど指に傷が増える。衛生上、ここ最近、左手はいつもビニール手袋に包まれている。 「でも、まあ前よりはだいぶうまくなったね」  キュウリを持ち上げて潤はほほ笑んだ。ちょっときつく言い過ぎたと思うと、フォローするように褒めてくれる。こういうケアも鬼トレーナーと似ている。カズヤさんもレッスン以外では優しい人だった。  努力が実って褒められると、嬉しい。嬉しいけれど、こんなことで喜んでしまう自分が嫌だ。それは実力差があるから仕方がないけど、同級生なのに、これでは師匠と弟子だ。少しでも近づいてやる。彩音は闘志に満ちていた。                                        🐡 「もっと凝ったことやった方がいいのかなあ」  一通り料理を作り終えると、潤は鍋をスポンジで洗いながらつぶやいた。この日は鯛茶漬けを作った。鯛の刺身をごまだれで合えたものを土鍋で炊いたご飯にのせる。そこに昆布と鯛のアラから取った出汁をかける。  最初にラインで送ってもらった本番用のメニューは完全に白紙状態になっていた。潤の頭の中では色んなレシピがぐるぐるしているようで毎日のようにレシピを考えては試作をしている。  引率を引き受けてくれた久保先生にはほぼ毎回試食をしてもらっていて、ついさっきも家庭科室に呼んで鯛茶漬けを試食してもらった。 「ちょっとこれはもうプロだよ。これなら優勝できるんじゃない」  毎回、久保先生は食べ終えると至福の笑みを彩音たちに向けてくれる。試食と言ってもアドバイスは一切ない。鶏肉の皮が嫌いとか、青魚が好きとか好みの話はあるけど基本は褒めるだけ。喜んでくれるのはいいが、潤は不満顔だった。 「なんか手ごたえがあるんだかないんだかわかんないよなあ」心ここにあらずな表情で潤は水道の水で食器についた泡を流している。  潤の言うこともわかるような気がする。実際、久保先生の反応通り、潤の作る料理はどれも美味しい。凝っているしお店で出されても文句はない。でも、だからといってグランプリをとれるどうかはわからない。  第一回大会ということもあって主催者がどんな料理を求めているかわからない。おそらく潤だって手探り状態なのだと思う。その証拠に日を追うごとに表情が不安げになっている。  それも無理はない。東京少女のオーディションの時と違って、ライバルの姿が見えないのは不安だ。あのころは、隣で踊るレベルの高い参加者のパフォーマンスを見て、焦りを感じながらも、自分のレベルと比較することができたし、参考にすることもできた。でも、和食グランプリではなにも見えない。せめてライバルの動向が見られたらなあと思う。    でも、一人だけライバルになるかもしれない人がいる。  それはインスタでフォローしている上村宗太だ。  このアカウントを発見してから、上村宗太の投稿をみることが日課になっていた。美しい盛り付けは見ているだけで勉強になるし、同じ高校生がこれだけの料理を作れるという事実は彩音を勇気づけた。  上村宗太がライバルになるということを知ったのは三日前だった。いつも通り投稿を見ていると、驚きのハッシュタグが付いていた。 #全日本高校生WASHOKUグランプリ  それ以上細かいことが書かれているわけではないけど、和食グランプリに出場することは間違いなさそうだ。  それまで勉強させてもらおうと思って見ていた人がライバルになる。勇気づけられていたはずなのに、突然の強敵出現に焦る気持ちが沸く。  ときおり上村宗太本人の姿も投稿で見ることができるが、坊主頭で顔が四角くていかつい。正直、自分と一歳しか違わないとは思えないほど老けている。  仮に「料理屋の主人です」と言われても疑わないかもしれない。見た目だけでも強敵に見えるが、料理は繊細そのものだ。特に、たくさんの料理がちょっとずつ盛られた八寸が美しい(八寸と言う言葉も最近覚えた)。  大根を薄く剥いた巻物や、キュウリを亀に模したものなど、包丁遣いが得意なのか見た目だけで圧倒される。味は食べてみないとわからないけど、写真を見ているかぎり、彩音と潤のペアはあきらかに負けている。  いくら潤の料理が上手いと言ってもしょせん普通科の高校に通う学生だ。調理科で毎日料理に触れている上村に敵うのだろうか。上村がライバルになってから、彼のインスタを見れば見るほどグランプリという目標が遠ざかっている気がして気分が沈む。  それにインスタ上にははっきりと記されていないけど、上村宗太の家はどうやら料亭を営んでいる。ときどき学校以外の写真も写るが、背景がステンレスの壁で覆われており、あきらかに料理屋の厨房だとわかる。それに撮影場所もあきらかに高級料亭の一室なのだ。  サラブレッドともなると、もはや勝負にならないとすら思えてきた。彩音はちらっと潤を見た。潤はうつろ気な表情でブツブツ言っている。  ますます不安になった。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません