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「おい、潤。おい」  宗太に肩を激しく揺すられた。気持ちがすっかり第二理科室に飛んでいた潤は振動で空港に引き戻された。 「どうしたんだよ。ぼーっとして、おかしいぞ。俺たちこれからニューヨーク研修に行くっていうのに大丈夫か、そんなことで」  宗太に背中を叩かれた。 「大丈夫だよ」  そう答えたが、本当に大丈夫なのだろうか。たしかに指摘された通り、まったく研修する気持ちが出来上がっていない。ずっと彩音のことばかり考えている。 「まあ、何を考えているかはわかるけどな。お前はわかりやすいから」  宗太はニヤッと笑った。  何も反論できなかった。  あの日、第二理科室で潤は彩音に告白をした。 「えっ、何言ってるの」と彩音は困惑していたが、告白をした潤自身も驚いていた。それは、あらかじめ用意していた告白ではなく、突発的に発した言葉だったからだ。  どうしようと内心焦った。だけど声に出してみると、その想いに嘘はないと感じた。 「えーっとそれって返事しなきゃいけないんだよね」  突然の告白に戸惑いながら彩音が言った。  返事か。たしかに告白には返事がつきものだ。だけど、もともと告白するつもりもなかったし、当然、告白の結果なんて考えてもなかった。 「いや、別にいいや」  そう答えた。フラれたら結局友達に戻るんだ。それだったら意味がない。やっぱり結果なんて聞きたくない。 「えっ、いいの? なにそれ。もしかして冗談?」  冗談? 冗談ではない。付き合えたらいいなあと思う。 「いや俺は本気だよ。でも返事はいらない」 「なんなのそれ」  彩音は苦笑いを浮かべた。たしかに意味がわからないだろう。だったら何のための告白なんだと疑問に思うはず。  潤としてはOKだったら返事を聞きたいし、NOだったら聞きたくない。そんな我儘なことを考えていた。 「答えはゆっくり考えてくれていいから」  本当に、ゆーーっくり考えてくれて良い。そう思っていると、彩音がうつむいた。 「潤、実は私12月にオーディションを受けようと思ってて。これからはその挑戦がはじまるから……」  挑戦が始まるから…… ということはNOか? 胸がドキドキを超えてズキズキし始めた。 「だから、オーディションの結果が出るまで待ってほしい」 「おっ、うん。それでいいよ」  セーフ。まだフラれていない。救われた気持ちだった。  答えを出すまで4か月もある。でもそれでも良かった。いやそれが良かった。                               「そんな腑抜けた男を彩音ちゃんはどう思うかね」  またもや宗太の声が潤を現実に引き戻した。 「何だよ腑抜けって」  潤が宗太を睨む。 「だってそうだろ。これからニューヨークで研修だっていうのに、女のことばかり考えてさ。情けないんだよ。そもそも女性っていうのは何かに打ち込む男にグッと来るんだよ。わかってるか?」  宗太の説教じみた言い方に腹が立った。 「ちょっと待った。なに恋愛の達人みたいな言い方してんだよ。だいたい兄ちゃん彼女いたことあんの?」 「はあ、何言ってるんだよ。あっあっあるにきっ決まってるだろ」  その反応でないことがわかった。慌てぶりがあまりにも間抜けだったから、からかってやろうかとも思ったけど、今は兄の恋愛事情なんて心底どうでもいい。  その時、アナウンスが流れた。 「あっ、もう時間だ」  宗太は立ち上がった。  もうすぐ日本を飛び出すのか。はじめての海外なのにそんな実感はいまだにない。潤の心は日本どころかいまだに佐久にある。  告白してからの4ヶ月。学校ではさほど意識しないで過ごせたと思う。勘の鋭そうな穂乃果から何も指摘されなかったということは、お互い自然だったのだと思う。  料理の練習はなくなったけど、ときどき、ぽえむに行ったりカラオケに行ったりと仲良くはしている。でもやっぱりあの頃と比べると接している時間は少ない。  特にここ最近は彩音がオーディションに向けてレッスンを始めたから放課後に会う回数は減った。  そもそも彩音は告白の返事をする気はあるのだろうか。学校で見る限りそうは見えない。まさかなかったことにしようとしているのではないか。それはそれで心配になる。ただそうは言ってもオーディションがまだ終わっていないから返事の催促もできない。  初めての荷物検査に宗太と2人でオロオロしながらも、なんとか無事済ませると、スタッフに指示された通り搭乗口に進んだ。  するとポケットの中でスマホが振動した。スマホを取り出し画面を見ると彩音からの着信だった。心臓がドクドクと動き出した。 「はい、もしもし」と電話に出ると少し前を歩いていた宗太も立ち止まった。 「もしもし潤。オーディションの結果が出たよ」  彩音の声は走った後みたいに弾んでいる。声で結果がわかった。 「うん。どうだった?」  一応聞いてみた。 「合格だった」 「おーおめでとうー」 「まあ、でもすぐにデビューできるわけじゃなくて練習生みたいな扱いだけどね」 「それでも芸能事務所に所属できるんだろ? 凄いよ」  うれしい。うれしいけど、同時に遠くに行ってしまう寂しさがある。 「あとさあ、私、東京の高校に転校しようと思ってる」  えっ。息つく暇もなく衝撃的な告白をされてしまった。  彩音が佐久からいなくなる。距離的にも本当に遠くに行ってしまうんだ。あまりの驚きに思考も動きも止まってしまった。電話の向こうで彩音がなにか喋っているが、ちゃんと聞き取れていない。 「ねえ、潤聞こえてる?」 「あっ、ああうん」  彩音の大声に、潤は我に返った。 「でさ、だからその…… 遠距離でいいよね」 「え? 遠距離?」  潤は聞いた。 「うん。佐久と東京の遠距離」 「えっ、それって…… 」  文字通り受け取ると、遠距離に続く言葉は「恋愛」だ。つまり遠恋!? 「ああ、うっうん。いいよ。もちろんいいよ」  声が震えた。なんだか現実感がない。 「実は前からオーディションに合格したら東京に行くって決めてたんだ。それで、そうなると潤とはもう会うことはなくなっちゃうでしょ。それはなんか嫌だと思ったんだ。だからその……」  彩音は照れ臭そうに言葉を詰まらせた。どうやら彩音も潤と同じことを思っていたんだ。それがたまらなく嬉しい。 「じゃあコイ人倶楽部復活だな」  潤言った。今度は魚の鯉じゃなくて恋愛の恋だ。 「うわっ、何そのベタで臭いセリフ」  彩音が吹き出した。 「笑うなよ」    とは言ったものの、たしかにそう言われても仕方がないほどに臭いセリフだ。言葉にしたことを後悔した。 「まあ、でもさあ、これからは離れ離れだし、別々の挑戦だけどさ。お互いに夢を叶えようよ。って私も臭いこと言ってみた」  彩音も笑った。こんなにテンションの高い彩音は初めてだ。よほどオーディションの結果が嬉しいのだろう。 「まあ、でも良かった」  潤はしみじみと言った。嬉しそうな彩音の声を聞いている内に、やっとオーディションの結果を本心から喜べた。 「ありがとう。じゃあ、そういうことで電話切るね。合格したことお父さんにもまだ伝えていないからさ」 「ああ、わかった。じゃあね」 「じゃあね。いってらっしゃい。がんばってね」  お互い、妙に浮かれた話し方のまま電話を切った。すると、途端に放心状態になった。一本の電話の中に情報が多すぎる。潤は立ち止まったまま呆然とした。   「おーい。潤早くしろよ。遅れるぞ」  遠くで宗太が潤を呼ぶ。 「ああ、ごめーん」  潤は謝りながら歩き始めた。にやけないように気をつけながら歩き、頭でちゃんと整理しようとした。  まず彩音はオーディションに合格した。事務所の練習生になる。そして東京の高校に転校する。さらに告白の返事はOk。ダメだやっぱり情報が多すぎる。  だけどはっきりしているのは晴れて彩音と恋人同士になった。    これもオーディションの結果がよかったからだ。悪かったら結果は違っていたのかもしれない。  だけど、彩音を落とす芸能事務所なんてあるわけがない。あんなに華があって努力家なんだから報われて当然だ。彩音を思うと、無性に自分も頑張りたくなった。この感覚は彩音をオーディションで初めて見た時と同じだ。  よし、彩音に負けないように自分も頑張ろう。強く決心すると潤の歩みがどんどん早くなった。そして、とうとう宗太を追い抜かした。 「おいおいなんだよ」  勢いよく歩く潤に向けて、宗太はあきれた声を出した。潤は振り向いて宗太の目を見た。 「兄ちゃん、俺ちょーすごい料理人になるから」  突然の宣言に宗太はポカンと口を開けた。 「何言ってんだよ突然に。頭おかしくなったか?」  宗太はあきれたように笑った。それに周りの乗客の視線も感じる。それでも全然気にならない。  潤は握り拳にギュッと力を入れると、再び前を向いて歩きだした。      

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