温泉地の駅へと列車が到着、私と翔子ちゃんは列車を降りて駅の改札へ向かうと莉子ちゃんが手を振っておおはしゃぎで出迎えてくれました。 「キャーッ!!来た来た。思ったより早く着いたから来るまでひとりで淋しかったわ」 「莉子ちゃんいつになくテンション高いね。目指す温泉地はまだまだ先だからいくらかセーブしといたほうがいいよ」 と、私も莉子ちゃんの顔が見れて嬉しくなりました。 「イエーイ!莉子ちゃん久しぶり!」 と、改札を通ると翔子ちゃんは莉子ちゃんとハイタッチしました。 私も両手で彼女とハイタッチしました。 「今回は翔子ちゃんが仕切りやね。よろしく。せやけど京都住んどった私も鬼燈温泉て知らんのよ。何でもかなりの山奥と?」 「京都のほうが近いのにそうなのね?ここからかなり遠くて今夜は近くのキャンプ場で一晩寝泊まりするから本番は明日ね」 と、私。 「よっしゃあ!なら今夜は早く寝ますか?」 と、思わず東京弁が出た莉子ちゃん、でもイントネーションは京都弁のままでした。 駅前のバス停からバスに乗り10分、今日の目的地のキャンプ場に着きました。 といってもキャンプらしい事はしません。バンガローで寝るだけで、今夜と明日の朝の食事も来る途中の駅近くの売店で買った物で済ませる事にします。 「割りと綺麗な部屋ね」 私たちの泊まるバンガローは清潔そのものでした。 買ってきたご飯を広げて食べながら明日の作戦会議。 「キャンプ場の売店でも色々売ってるから明日のお昼ご飯とか飲み物はそこで調達するとして温泉地に行くまで途中にホントに何もないのよ。そこは頭に入れとこう」 何故そんな所へ好き好んで私たちは行くのでしょう? 「途中船で川も下るんやね。川口浩探険隊みたいやわ、『水曜スペシャル』か」※1 と、クリームパンを頬張りながら莉子ちゃん。 「でも大分県の秘湯の時みたいに難しくないってね?翔子ちゃん?」 焼きそばパンをパクパク食べながら私は翔子ちゃんに聞きました。 「それだといいけど…」 と、翔子ちゃん。 「え~、連れないな…ホントに大丈夫よね?」 と、さっきと話が違うので動揺を隠せない私。 「嘘ウソ…大丈夫!道も迷うことないから安心して楽よ」 「もう…翔子ちゃんたらびっくりさせないで…」 「ごめんご免…前の大分のがまだ引っ掛かってるのね、紀水香ちゃん」 その辺の翔子ちゃんのキャラクターは親戚なので分かってはいるのですが…正直そのキャラクターを私はあまり好まない時もあるのです…少しだけ。 「でも何処かで道を外れでもしたらほんまアカンよね?」 と、莉子ちゃん、確かにそうです。 「そこはあたしが責任もって温泉地まで2人を連れていきますので任せなさい!」 「それ聞いて安心した。私は2回目だからあれだけど明日は莉子ちゃんのサポートもお願いね」 と、私はお願いした。 「分かりました!」 と、ドンと胸を軽く叩いた翔子ちゃんはゲホゲホといって少し噎せました。 「翔子ちゃん頼もしいわ」 と、莉子ちゃんは女の子が女の子に惚れるかのような台詞を呟きました。 それから部屋にはテレビもないので私たちは布団を敷いて早く寝ました。 翌朝。 キャンプ場で迎える朝日は格別でした。 「早起きした甲斐があったなー」 「そやね。こう見ると朝焼けも夕焼けに負けへんくらい綺麗やわ」 「よーし、今日は頑張るぞ!」 と、みんな朝日を浴びながらラジオ体操をして朝御飯を食べて少し休んだら出発することにしました。 「レッツゴー!」 と、バス停でバスを降りると翔子ちゃんを先頭に私たちは山道を歩き始めました。 「ピクニックだ、ハイキングだ♪ヤッホーヤッホー♪」 道なき道でなくちゃんとした山道でした。道標も至るところにあり、これなら迷わないかと私も莉子ちゃんも安心しました。 そう思うと森林浴の直中に居るせいか、心がウキウキしてきました。 「丘を越え行こうよ~♪口笛吹きつつ~♪空は澄み青空~♪」※2 足取りは軽快、そして川へと到着。 「川だー!船着き場はあそこだ」 と、翔子ちゃんが指差す方向にその船着き場はありました。 木造の古びた屋根の造りのその船着き場は大きな丸太の木を横倒しにしたベンチなどがあり、地元の人の手作り感満載で地方の田舎の川に来たんだなと実感しました。 こんなの夏休みでしか体験出来ません。 「船来るの何時?」 「木の看板の板に時刻表が書いてあるけど後30分くらいだね」 「そう、2時間3時間待つより全然いいわね。それより素敵な景色ね」 川のせせらぎの音が何かの楽器の音のようで心地よいです。 大自然のど真ん中、そしてそのまた奥に目指す鬼燈温泉はあるのです。 「思ったより川の流れは緩やかだ。秩父の長瀞(ながとろ)の川より静かな流れだからこれなら船に乗っても恐くないね」 と、翔子ちゃん。 「なんだ翔子ちゃん、以外とこういうの怖がりか~?」 と、莉子ちゃん。 私たちは素敵な景色を眺めがら船が来るのを待ちました。 「そろそろもう来てもいい頃だけど。来た?」 と、翔子ちゃんは時計を見ながら。 「まだや。来ん」 時間になっても船はまだ来ません。 「来ないね」 「このまま来なかったり。私たち以外にお客さんも全然来ないじゃない?ホントに営業してるのかな」 私は不安になってきました。 「その辺は地元の観光局に電話で確認したから大丈夫と思う」 「そうなんや。でももし来んままやったから温泉旅行はどうなる?」 「中止?」 「温泉旅行が川遊びに変わるかな?」 「ならさっきのキャンプ場でええやん」 と、苦笑した莉子ちゃん。 「確かに……あれ?あれそうじゃない?」 私の目線の向こうに船らしきものが見えました。 「来た?!」 「ほんまや。船やっと来た」 それは10人乗りくらいの観光客向けのというよりは地元民の移動手段といった具合の簡素な木の船でした。 白髪頭の男性の船頭さんがひとり船の船主に立っていて船を船着き場に停めると手を差し出してきて 「乗り」 と、言ってきたので私たちも手を差し出して船頭さんの手を掴み 「よっこらしょっ」 と、その船に乗りました。 「運賃払わなくていいのかな?」 「何も言わないからいいんじゃない?」 それから船は出発しました。 緩い流れの川面を滑るその木の船はまるで揺りかごのような優しい揺れで山手線などの電車のガタゴトの揺れに馴染んでる私には新鮮な感覚でした。 (これが旅よね。いい感じ) 「ええな」 「最高」 周りは川のせせらぎと鳥の鳴き声ぐらいで静かでした。 これだけでもここに来た甲斐があったなと私は思いました。 川を下っていると船頭さんが私たちのほうを向いて話しかけてきました。 「どっから来たん?東京?」 船頭さんは進行方向に背を向けながら後ろ手で器用に櫓(ろ)を漕いでます 「はい、そうです。東京から来たんですけど、この川を下った先の鬼橙温泉に私たち行くんです」 と、リーダーの翔子ちゃんが船頭さんに言いました。 「鬼燈温泉?」 と、言って船頭さんは首を少し傾げました。 「この先ですよね?鬼燈温泉って」 と、翔子ちゃんは念を押して聞きました。 「……鬼燈温泉ね」 と、船頭さんは櫓を漕ぐのを止めて顎に手を当て上を向いて考えてます。 (どうしたんだろう?まさか地元の人も知らないのかしら?) 「……おじさん知らん?」 と、莉子ちゃんも不安になってるようです。 すると 「…あ、ひょっとして彼処か?…あんな処に行くんかい?お嬢さんら」 と、思い出したように船頭さんは言いました。 「…ええ、この川を下った先ですよね?」 (流石の翔子ちゃんも少し動揺してる?) 「そうだが…ホントに彼処に行くんか?」 「ええ…はい。おじさんは行ったことはあるんですか?鬼燈温泉」 「…ない。普通行かん、あんなとこ。温泉なら他にもあるし」 「…そうなんだ」 「そうなんや」 「そうなの?鬼燈温泉てどんな所何ですか?」 私は船頭さんに聞いた。 「…彼処はたしかに温泉は出とってるけど…温泉地やないで」 「え?どういう事?」 と、莉子ちゃん。 「あんたら、関東の人やから草津温泉とか箱根の温泉街とか想像してるか?でもあんな立派なもん違うぞ」 「……そうなんですか?ならどんなのですか?」 と、莉子ちゃん。 「何と言うか…まあ何と言うかな彼処は…」 船頭さんのその歯切れの悪さに私たちは不安な気分に襲われました。 「…………」 私たちは言葉がなくなりました。 「あの…地元の人も行かないんですか?」 翔子ちゃんが聞きました。 「うん、行った言うの聞かんもんな。絶界の地やで誰も寄り付かん」 そうなの? 「温泉旅館があるって聞いたんですけど?ありますよね?」 「確かにあるけど、旅館やなくて温泉宿やで、本当に彼処に泊まるんか?」 その言葉に私は少し絶句しました。 「………」 「…まあ、行くんなら途中まで連れてったるがな」 と、また船頭さんは櫓を漕ぎ始めました。 「………」 「大丈夫なん?翔子ちゃん」 と、莉子ちゃんも少し顔が青いです。 「温泉旅館はあるのは確認済みなので大丈夫…でもそうか、地元の人でも行かないか」 「翔子ちゃん鬼燈温泉て何で知ったの?」 私は今更ながらの質問を彼女にしました。 「同じ温泉マニアの人が書いた旅日記の本の中に書いてあったのを見つけたのがきっかけで、近所の図書館で色々調べてたら鬼燈温泉という所だって分かったからそれで」 「そういうのに惹かれるのは翔子ちゃんだからそうなんだろうけど、鬼燈温泉の私たちの泊まる旅館の写真とか見たの?」 「それが…探したけど見てないんだな」 「…文章だけ?」 莉子ちゃんも聞きます。 「うん」 「そうなんや。ならどんな宿か翔子ちゃんも知らんのね?」 「かなり古い旅館というのは知ってる。今も営業もしてるのもそう」 「300年くらいの歴史の温泉やからね。中で働いてる人は流石にそんな高齢やないと思うけど」 下調べはしっかりしてるようにも思えるのですが、その翔子ちゃんもいくぶん不安な様子は隠せませんでした。 でもここまで来たら行くしかありません。 さっきまでの陽気で朗らかな気分は私たちから消えてしまいました。 ※1 当時のTBSの特別番組(毎週水曜日) ※2 イギリス民謡「ピクニック」より(訳詞 萩原英一)