巨大水車大猛進
第4/4話 放出と到達
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 その後、鋼橋の出入口が存在していた地点の少し手前あたりにて、丁字路に出くわした。左折路が一本、陸地の奥のほうに向かって、伸びているのだ。角には、看板が立っており、そこには、「斎六々美術館」「近道」と書かれていた。 (……!)  渾一は、ハンドルを大きく左に回すと、ドリフト気味に丁字路を曲がった。そのまま、猛スピードで突き進んでいく。道路は、急な下り坂となっていた。  数分後、再び、丁字路が見えてきた。道路が、数十メートル前方にて、左右に分岐しているのだ。突き当たりの向こう側では、川が、右から左に流れていた。 (どうやら、川は、さきほどの丁字路より先にて、Uターンしているようだな……おれは、その、Uターンする前の部分から、Uターンした後の部分へ、それらの間を横切り、移動した、というわけだ)  その後、丁字路が近づいてきたところで、右方に視線を遣った。川の上流では、水車が姿を現しており、相変わらず、下流に向かって転がっている。渾一の現在位置からは、数百メートル離れていた。  彼は、交差点を左折すると、再び、川の左岸沿いの車道を走行し始めた。道路の左方には、そこそこ大規模な公園の敷地が広がっていた。数百メートル前方には、経沌州や穏田棟などが見えていた。 (これだけ、差がついていれば、水車が建物に衝突する前に、漣華を避難させられる……見たところ、ここら辺の川底は、傾斜が、とても緩やかだから、やつが急に速度を上げることもないだろう……!)  しばらくしてから、数十メートル前方の車道上に、横断歩道が描かれているのが見えた。それの前後には、押しボタン式の信号機が設けられている。ちょうど、今、点いている電灯が、黄から赤に切り替わったところだ。 (こんな時に……! 誰だ、渡ろうとしているのは……!)  渾一は、左右の歩道を、ばっ、ばっ、と素早く確認した。右側のほうは、無人だったが、左側のほうに、歩行者が一人、いた。小学生くらいの男児で、横断歩道の始点の前に立っている。右手にラジコンカーを、左手にコントローラーを持っていた。 (ちくしょうめ……こうなったら、あの少年が横断歩道を渡るのを、やめさせるしかない……! 彼には、不快な思いをさせてしまうが、こっちだって、娘の命が懸かっているんだ……!)  そう心中で呟くと、渾一は、クラクションのボタンを底まで押し込んだ。びいいい、というような音が、辺りに鳴り響き始めた。  少年は、突然の轟音に、ひどく驚いた。左右の肩を、びくっ、と大きく震わせる。  その拍子に、彼の右手から、ラジコンカーが、ずるっ、と滑り落ちた。それは、車道の上、横断歩道の始点付近に、がしゃっ、と着地した後、ころころ、と動いていき、最終的には、渾一の走行している車線の真ん中あたりで停止した。 (なに……!?)  避けなければ、という焦燥と、このタイミングで急ハンドルを切ったら事故を起こすのではないか、という不安と、いっそのこと撥ね飛ばしてしまったほうが安全ではないか、という期待と、しかし上手く撥ね飛ばせなかった場合はやはり事故に繋がるのではないか、という不安が、一秒の半分も経たないうちに、脳裏を駆け巡った。  そして、迷っている間に、結論がやってきた。オートバイのフロントタイヤが、ラジコンカーに衝突したのだ。 (……!)  がしゃあっ、という音が鳴った。ラジコンカーは、オートバイのフロントタイヤに踏み潰され、ぐちゃぐちゃに大破した。  直後、ずるっ、とタイヤが滑った。ハンドルが、ぐるっ、と大きく右に回転し始める。 (う……!?)  渾一は、慌てて、ハンドルを掴んでいる両手に込めている力を、ぎゅうう、とさらに強めることで、回転を止めた。左に切り、まっすぐな向きに修正する。  しかし、その頃には、もう、右側の歩道に設けられているガードレールが、オートバイの数十センチ前方にまで、迫ってきていた。 (……!)  今度は、各種の感情が脳裏を駆け巡る暇もなかった。オートバイは、ガードレールに衝突した。 (──)  どごしゃあんっ、という音が鳴り響いた。ガードレールは、大きく歪み、奥に向かって傾いた。オートバイは、ぐわっ、と宙に跳ね上がり、そのまま、ぐるんっ、と百八十度ほど前転した。  渾一の体は、シートから、すぽーん、と飛び出した。そのまま、宙を突き進んでいく。あっという間に、歩道を越え、柵を越え、左岸の縁を越えた。 (く……!)  渾一は、手足をじたばたさせた。とうぜん、何の役にも立たなかった。  しばらくしてから、彼は、汰護井川の水面に、ばっしゃあんっ、と突っ込んだ。それから、すぐ、左半身が、どかんっ、と川底に衝突した。以降は、その上を、ごろんごろんごろん、と転がっていった。 (このままじゃ、溺れてしまう……!)  渾一は、手足に渾身の力を込めると、むりやり、体の回転を止めた。急いで、行動を開始する。いったん、起き上がると、すぐさま、しゃがみ込んだ。直後、ばっ、と両膝を一気に伸ばし、川底を蹴りつけて、ジャンプした。  即座に、上半身が、ばしゃあっ、と川面を突き破り、外に飛び出した。ここぞとばかりに、息を、可能な限り、すううう、と吸い込む。  十秒も経たないうちに、上半身は、再び、ざぶんっ、という音を立てて、水没した。渾一は、軽く膝を曲げた状態で、川底に、どっ、と着地した。(もう一回、同じ要領で、呼吸しよう……)しゃがみ込もうとした。  その直前に、気がついた。この地点では、膝を伸ばしきって立った場合、喉仏から上が、川面から出るのだ。 (なんだ、これなら、溺れないな……)そんな安堵は、すぐに消え去った。(そうだ、水車は!?)  渾一は、がばっ、と顔を上げると、ばっ、ばっ、と辺りに視線を遣った。彼は、今、経沌州の端──穏田棟が突き出ている所──の右斜め手前、数メートル離れたあたりにいた。  穏田棟に、目を留める。その一階、ガラス張りである外壁の向こう側の空間は、レストランとなっているようだった。おそらくは、ここが玉藻屋だろう。  外壁の内側には、それに接するようにして、四角テーブルが据えられていた。その、向かって右側に置かれている椅子には、漣華が座っていた。ヘッドフォンを装着しており、顔を右方に向けている。渾一のほうからは、彼女の後頭部しか見えない。  しばらくすると、水車の振動により、辺りの川面が波立ち始めた。建物の中では、天井から吊り下げられている照明が、左右に振れだしていた。入館客や従業員たちが、次々と、水車が転がってきていることに気づき、仰天しては、慌てふためいて、フロアの奥のほうへと逃げていった。  数秒後、漣華は、周囲の様子が尋常でないことに気づいたようだった。彼女は、首を動かし、顔を左方に向けると、ガラス張りである壁越しに、屋外の光景を目にした。  漣華の顔は、一瞬にして、驚愕に染まった。  その直後、水車が、穏田棟に衝突した。  どっごおおおん、という音が鳴り響いた。それから間髪入れずに、穏田棟は、どどどどど、という音を轟かせながら、崩落し始めた。各階では、柱が、真っ二つに折れ、壁が、粉々に砕け、床や天井が、ぐにゃぐにゃに歪み、最後には、フロアそのものが、ぺしゃんこに潰れた。終いには、建物は、十秒も経たないうちに、瓦礫の山と化した。  漣華はというと、水車が穏田棟に衝突した直後、フロアの奥のほうへ向かって、猛スピードで吹っ飛んでいった。よく見えなかったが、彼女の体は、少なくとも三つに分かれているようで、いずれからも、真っ赤な液体が噴き出していた。 (……)  放心していられたのは、数秒間だけだった。ぎいいいい、というような、耳障りな金属音が鳴り始めて、我に返った。それが聞こえてくるほうに、視線を遣る。  音を発しているのは、水車だった。水車は、穏田棟に衝突した後、外輪を、経沌州の手前の端に接触させた状態で、垂直に立っていたはずだった。しかし、それは今や、渾一のいるほうに向かって、だんだんと傾いてきていた。 (……!)  渾一は、ばっ、と体を半回転させた。右岸に向かって、川の中を、ざばっざばっ、と移動し始める。とにかく、水車から、少しでも離れようとした。  しかし、水の抵抗や、水を吸って重くなった衣服、元から重いヘルメットおよびゴーグルなどのせいで、思うように進めなかった。体のあちこちに走っている激痛も、その原因のうちの一つだった。オートバイから吹っ飛んだ後、川底を転がっている時に、いろいろと負傷したに違いなかった。  川面に映り込んでいる水車の影が、みるみるうちに、色濃くなっていった。耳障りな金属音も、どんどん、大きくなっていった。  一秒後、頭頂部に強烈な衝撃を受け、意識が途絶えた。    〈了〉
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