作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 猫というものは、体内に自分だけの時計を持っているものである。  俺のように人間のアナログ時計やらデジタル時計やらがきっちり読める奴もいるが、そんなものをわざと見なくたって問題はないのだ。朝の五時に、ぴったり眼は醒める。そして俺は軽やかな動きで梯子を登ると、ベッドに眠っている男の前でスタンバイするのだ。  奴と来たら、平日なのにぐーすかぴーと呑気に寝ている。目覚ましが鳴った気配もないということは、完全にスマホのアラームを鳴らすのも忘れたのだろう。几帳面な俺は、そんな主人カッコカリに気遣いを忘れない。愛をこめて、毎朝きっちり同じ時間に叩き起こしてやるのだ。 「おっらあああああああああ!メシ、よこせごらああああああああああああ!!」  多分、人間には“ブニャアアアアア!”と猫が甲高く鳴いているようにしか聞こえないのだろうが。俺はそう叫ぶと、助走をつけて男の腹の上にダイブした。  ぐえ!だのぶえ!だの汚い声が聞こえた気がするが無視である。そのまま布団の上で、トランポリンよろしく跳ね回ってやった。ほら、さっさと飯をよこせ人間。俺様は腹がすいている。というか、お前もそのままだと遅刻するがそれでいいのか。 「い、いつもながら……愛が、愛が重たすぎる……クロコ……」  ボロボロになりながら、どうにか布団から這い出す男。新入社員というヤツなんだろう、一年目から遅刻するのはまずいはずではないのか。ほれ、とっとと支度をしろ。そして俺様の飯を用意しろ。俺は不満たっぷりにニャアニャアと鳴いてみせる。  ああ、本当に、どうして俺達の言葉が人間には伝わらないのか。愛が重たいとか言ってるが、ぶっちゃけ俺はお前のことを主人だともなんとも思っていないのだが。せいぜい、飯をくれる同居人、である。 「はいはい。待ってね待ってねー……やっべ、俺寝癖すっご……」  俺の前にエサの入った皿を用意すると、ぶつぶつ言いながら髪を直す男。篠原廉しのはられんというのがそいつの名前だ。実家から東京まで俺を連れてきた張本人。ついでに、黒猫だからといいう超絶安易な理由で“クロコ”なんてセンスのない名前をつけてくれた人物でもある。  上京してきたばかりの、田舎育ちの社会人だ。まだいろいろな意味で若い人物である。まあ、五年しか生きていない俺と比べれば年上ではあるのだろうが、人間の二十代なんてものは俺達からすれば青臭いガキも同然だ。なんといっても、猫は人間よりずっと早いスピードで成熟し、大人になるのである。猫の五歳は、人間ならば充分ベテランのオヤジの領域だ。 「はあ、マジで憂鬱だよな……なんでまだ火曜日なんだよ。早く来いよ休日……しんど……」  ぶつぶつ言いながらもパンにマーガリンを塗っただけの朝食をする廉。朝、こいつの愚痴を聞いてやるのも俺の仕事だ。ぶっちゃけ傍にいるだけなのだが、それでもこいつにとっては話し相手になってくれている気にはなるらしい。なんといっても、癒しのためだけに俺を実家から連れて来るような男である。とにかく猫が好きなのだ。少々過剰でウザいくらいには。 「クロコさあ。今日も散歩行くんだよな?いつもみたく」 「?」 「あー……いやさ。最近やばい事件が続いてるみたいだから、ちょっと心配でさあ」  小首をかしげてやると、話が伝わったと解釈したのか、男は勝手に話を続けた。 「最近、猫が死ぬ事件が続いてるらしいんだよ。片方は野良だったらしいけど、もう片方は散歩中の飼い猫だったって。……てことは、野良猫だけ狙った事件でもないってことだよな。お前にも首輪はつけてるけど、だから狙われないってことはなさそうでさあ。ほんと、酷いことするよな。猫を捕まえて焼き殺すなんてさ」  そういえば、最近近所の猫仲間の間でも噂になっていたことだ。猫が殺される事件が近隣で続いている、と。焼き殺された、ということは犯人は同じ猫ではなく、人間ということである。猫という生き物を害獣だと決め付けて、ゴキブリ以上に嫌う人間がいるらしいという話は聞いたことがあるが――いくらなんでも、焼き殺すというのはあんまりではないか。俺は眉を顰める。――一応言って置く。わかりづらいだけで、猫にもちゃんと眉というものはあるのだ。 「ありえねーよ、生きたまま焼くってナニソレってかんじ。お前らはこんなに可愛いのになあー?」 「ちょ、やめろ!頬すりすんじゃねえ、バカ!」 「いててて!あははお前の猫パンチは今日も強烈だなあ!!愛が痛いぜ!!」 「愛じゃねえつってんだろ!離れろー!!」  ああ、ほんと通じない。猫パンチ食らわせてやってんのになんで自分がガチで愛されてるとか勘違いするのやら。  それでも一応、飯と寝床は提供してもらっている身である。強くは出られないのが悲しい現実なのだが。 「こんなことしてる場合か!七時前の電車に乗るんだろうが、乗り遅れても知らねーぞ!」  ブニャー!と怒鳴ってやれば、やっと時間を思い出したのか、彼はそそくさと皿を片付け歯をみがくと、結局寝癖を直すのも忘れてバタバタと家を出ていった。男とはいえ、一人暮らしだ。鍵をかけ忘れれば一大事である。何を忘れても戸締りだけは忘れない男であるので、そこだけは心配していないのだが。――俺はため息をつきつつテーブルを振り返った。さて。奴が置き忘れたスマートフォンに気づくのはいつだろうか。 「そそっかしいやつ。……まあ、忠告だけは聞いておくけどな」  ふん、とシッポを立てると、俺は玄関に設置された猫用通路に身体をくぐらせた。散歩が大好きな俺のために、廉がわざわざ取り付けてくれたのである。このあたりはなかなか気の利く同居人だ。さすがは俺の子分といったところか。  アパートに通路を出て階段を降りていくと、見慣れた猫がしっぽを振りながら待っていた。 「クロ兄貴ー!おはようさんッス!」  三毛猫のミッキー。ミッキーという名前だが、猫である。自分とは違って野良猫だが、前にこのあたりのワルガキに絡まれていたのを助けてやってからすっかり懐かれてしまった相手だ。自分のことを兄貴分として慕ってくる猫はやたら多いが、こいつは特にそれが顕著である。早い話、金魚のフンのように俺が行くところ何処にだってついてくるのだ。こいつも一応オスだろうに、プライドってものはないのだろうか。 「おはよう。……お前も律儀だよなあ。雨でも雪でも毎日同じトコで待ってるんだからよ」 「そりゃあもう!兄貴と一緒にパトロールすんのが俺の生きがいなんで!」 「安い生きがいだなオイ。お前も二歳になったんだろ。そろそろ嫁の一人でも貰ったらどうなんだよ。ほら、三丁目のベティとかどうだよ。美人だぞ」 「一匹狼の兄貴に言われてもなあ……」  二匹並んで、望月町の一角をパトロールして回る。それが自分達の日課である。ちなみに三丁目のベティというのは、望月町三丁目に飼われているスコティッシュフォールドの灰色猫で、非常にクールな美猫である。この近隣の猫達のアイドル的存在といっても過言ではない。ただし、彼女には怖い弟猫がついている。同じくスコティッシュの茶色猫、イリス。ベティに下手に近づこうもんなら強烈な猫パンチで追い返されること必死。おかげで今でもベティはあんなに美人なのに、未だ処女のまんまであると専ら噂だ。 「ベティは無理ッスよ。高嶺の花すぎるッス。散歩にもちょいちょい出てくるけど、大抵その時はイリスと一緒だしなあ」  アパートから、まっすぐ北に伸びる道を歩いていく。閑静な住宅街。戸建が続く道を、二匹並んでゆっくりと歩いていく。この時間帯だと、時折散歩中の犬ともすれ違うが、喧嘩になることはさほどない。最近の飼い犬は、余計なことをしないように飼い主に厳しく躾けられていることが多いせいだ。犬も犬で、飼い主に嫌われたくなくて必死でご機嫌を伺っていることが少なくない。少し叱られただけでシュンとシッポを下げるし、こっちがちょっと甲高い声で威嚇してやっただけで怯えて逃げ出す始末である。  昔は犬にも勇敢なやつが多かったというのに、最近の連中はなんと情けないことだろう。人間と同じく、草食系というのが増えているのだろうか。もう少し猫を見習えと言いたい。俺達は飼われていようが飼われてなかろうが、上手に人間を利用してうまい具合に生活している。俺に言わせれば、人間に“飼われてる”と思ってる猫なんぞひと握りもいないと思うのだ。大抵の猫は、自分が“人間を慰めてやってる”“人間を助けてやってる”つもりでいるのである。そこが、犬と猫の最大の違いだろう。俺達は人間を利用するために甘えるフリをするだけで、実際は全く媚びへつらうことなんてしない、気高いイキモノなのだから。 「おい、そっちの道は今日はダメだ。左行くぞ」  いつのも道をそのまま直進しようとするミッキーに俺は声をかけた。目の前には、“工事中、迂回してください”の大きな看板がある。俺が何を見てそう判断しかのか気づいたのだろう、ミッキーはさすがっすねえ、と感心したように髭をヒクつかせた。 「クロ兄貴は凄いッスよねえ。人間の言葉も文字もみーんなわかってるんだから。特に文字なんか、大抵の猫は読めないってのに」 「覚えておくと便利なことが多いんだよ。特に、メシをくれる魚屋、ヤキトリ屋、そのへんの判別には大いに役立つぜ。あと一人暮らしの年寄りとかは俺らに甘いからな。それっぽい表札が読めれば儲けモンだろ。お前も勉強してみればいいんじゃね、若いんだし」 「ええ、面倒くさいッスよ。奴らの文字、種類多すぎて頭ぐるぐるするし」  工事現場を迂回して左へ曲がり、いつもより大回りして町内を一周した。猫の集会所と貸している空き地の様子を見て、いつもエサをくれる八百屋のオジさんに挨拶をし、ベティ達の家の前を通過してアパートのところまで戻って来るコースだ。朝に出発して、寄り道を繰り返しながら還る頃には日も高い時刻となっていた。自分とミッキーが一緒に歩き回るエリアはここまでとなる。  というのも。最近ミッキーは、ひそかに通っている場所があるらしい。自分達の縄張りの三丁目と二丁目ではなく、四丁目の方面らしいのだが。 「今日も町は平和でしたー!兄貴、お疲れさまッス!」 「お前今日も四丁目行くのか。よく無事で済むな。あっちのボスに見つかると面倒だぞ」 「大丈夫、見つからないんで!」  そうまでして彼がいつも通う場所というのは何処なのだろう。俺が疑問に思ったことに気づいてか、彼は少し照れたように笑ってみせた。 「んーっと……まあ、その。ちょっと気になる家があって。そこんちの猫と、いつもガラス越しに話してるんスよね。そいつ、檻に入れられててなかなか出して貰えないみたいで、話し相手がいなくて寂しそうだから」  猫の飼い方も人それぞれだが、最近は散歩をさせないという家も珍しくないらしい。ノミを拾ってくるからだとか、そもそも治安が心配だからとか、様々な事情があるらしいが。 「家に閉じ込めるだけじゃなくて、檻に入れたままにしておくのか。そいつも不憫だな。……まあ、そういうことなら仕方ねえ。気をつけろよ。猫もそうだが、最近は物騒な人間もうろついてるらしいしな」 「心配ないッスよ。他の猫ならともかく、俺が殺されるわけないっしょー」 「楽天的な奴め」  その日は、そのままミッキーと別れることになる。確かに、“他の猫ならともかく”ミッキーはそうそう殺されることはないだろうと俺も思っていた。殺されないからといって、酷い目に遭わないとは限らないのだけれど。  世の中には、虫の知らせというのもあるらしい。しかし残念ながら、俺はそういうものを感じ取ることが一切できなかった。  ミッキーは翌日、空き地で無残な遺体となって発見されたのである。  他の猫同様、真っ黒に焦げ付いた悲惨な姿で。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません