クロネコノダンザイ
<第二十三話>

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 明かりの少ない住宅街の道を、砂まみれの靴下で一心不乱に走る俺。自転車は壊れてしまって使えないし、スニーカーは猫どもに奪われてそれっきりだ。靴下であるだけ、裸足でないだけまだマシであるのかもしれないが――それでも走るたび道路の冷たさと砂利が足の裏を刺し、砂だらけ土まみれになるのが不快であることに違いはない。  そういえばこの靴下も、そこそこ高いものをババアに買わせたんじゃなかっただろうか――なんてことを今言い出してもどうにもならない。これだけ外を走り回ってしまっては、もう洗濯しても汚れが落ちないような気がしている。 ――ち、ちくしょ……畜生……!  真っ白な猫は、それだけで非常に目立つ。完全に真っ白な猫というのは初めて見るような気がしている。大抵、白っぽく見える猫であってもどこかしら黒や茶色の模様が入っていることが多いというのに。  ゆえに明かりが少ない夜の道であっても、あの白猫を追いかけるのはさほど難しいことではなかった。むしろ、あの猫はわざと自分に追いかけられるように仕向けているのだろうか。俺が疲れて息を吐くたび立ち止まっているし、わざと街灯の明かりの下に入っていっているような気がする。 ――お、俺様を……コケにしやがって!  こいつだけは許さない。人の自転車を壊した上で、ジーパンは破くわ人の顔にションベンをひっかけるわ。今までたくさん礼儀知らずの猫を見てきたが、ここまで非常識で最低の猫は初めて見る。真っ白で綺麗な見た目だからといって調子に乗っているのだろうか。それとも、そいつに限らず猫総てで俺を馬鹿にして、翻弄しているとでもいうのか。  あの白猫をズタズタに引き裂いて殺してやる――その怒りだけで追いかけて走り回ってきたが、さすがに俺の体力も限界に達しつつあった。どこをどうやって走ったのかまるで覚えていない。何分走ったか、それとも何時間も経過したか。俺が足を止めようとすると、何故か後ろから横からとそれ以外の猫が飛びかかってきて俺を転ばせるのである。爪で引っ掻かれたせいであちこち服もボロボロだ。すきま風だらけのジーパンが寒くて仕方ない。ダメージジーンズでももう少しマシな穴が空いているだろうというレベルである。 ――ざけんな……ふざけんじゃ、ねえ……!  反撃の為にスプレーを浴びせてやろうとはしたが、白猫は俺の射程距離には絶対入ってこない。妨害してくる猫達も、ほぼほぼヒット&アウェイを保っているせいで、俺がスプレーを構えた頃には姿を消しているのである。まるで、誰かが猫達に統制の取れた動きを命じているかのようだ。 ――ここまでコケにされて黙ってたまるか。連中をみんな捕まえてやらなくちゃ気がすまねえ……でも、このままじゃ完全にナメられっぱなしで終わっちまう……!!  俺は考える。奴らをどうすれば出し抜けるのかということを。とりあえず、一匹でも捕まえないといけない。ただ、俺が仕掛けた罠に捕まってくれる様子はないし、明らかに俺のことを敵だと思っているらしい連中はなかなか距離を詰めてくれる気配もない。スプレーは効果的だが、射程範囲に近づいてくれなければどうにもならないし、下手な使い方をすれば被害を被るのは俺自身だ。  そして何より、靴下だけで町を走り回るのには限界がある。――これは、ムカつくが一度家に戻って装備を整えるしかないのではないか。 「ニャーウ?」  俺がそう考え始めた瞬間だ。逃げ続けていた白猫が、何か言いたげにこちらへと振り向き――なんと、近づいてきたではないか。 「ニャア、ナーァ、ナァナァナー?」 「猫語で話されたってわかるかよ、人間のコトバ話せや低脳どもが……!」  怒りが再燃し、スプレーを構えて前に飛び出そうとする。が、その瞬間再び俺はつんのめることになった。――ビリビリビリ、とジーンズの裾が引き裂かれる音がする。俺をひっかけた別の茶トラ猫は、ジーンズを引き裂いた爪をぺろぺろ舐めてご満悦ではないか。 「ざ、ざっけんなあ!!」  俺は、怒りの対象をそちらに変えた。白猫が捕まらないことも腹が立って仕方ないし、今日はなんて厄日なのだろう。ションベンをひっかけられた顔もなんだかヒリヒリしてきた。早く家に帰りたい、風呂に入りたい、でもこいつらを捕まえないで逃げ帰るなんてそんなことは――! 「!!」  俺はその茶トラ猫を追いかけ、道を抜けていた。一気に眼球を突き刺す眩しい光。そこは、駅前の通りだった。いつの間にか俺は、猫を追いかけて駅の近くまで来ていたらしい。この遅い時間でも、駅前はかなりの数の人がいる。特にコンビニの前では、少し悪ぶった風の学生達もいるし、携帯で取引先に連絡しているらしいサラリーマンもいる。望月町は治安の悪い町でもないし、まだ営業しているレストランや居酒屋もある。コートを来た若い女性と俺、目があった。瞬間。 「きゃ、きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?へ、変態――っ!!」 「え……え?」  突如、凄まじい悲鳴が上がった。その声を聞きつけて、他の通行人達も一斉にこちらを向く。そして、男も女も構わず叫び声のようなものが響くことになる。何で、と思った。今まで気持ち悪いとかブサイクと虐められたことはあったが、悲鳴を上げて変態とまで呼ばれたことはないというのに――。 ――う、嘘だろ……。  冷水を浴びせられたように、俺は我に返っていた。あちこち砂まみれ、泥まみれ、靴もはいていない有様の俺。いや、問題はそこではない。  猫どもに引き裂かれたジーパンは。思い切り、俺の尻と股間の布地を引き裂いていたのである。毛むくじゃらで、処理したこともない足が太もものあたりまで露出している。股間と尻からは、少し黄ばんだ白いブリーフががっつり見えている。  全身が冷たくなり、次の瞬間俺の顔は湯気だ立つほど真っ赤になった。 「くそ、……くそおおお!」  猫どころの騒ぎではない。俺は、だいぶ離れてしまった我が家に向けて、一目散に逃げ出したのだった。  ***  あの猫達は、一体どうするつもりなのだろうか。  檻の中でどうにかまるまりながら、私はぼんやりとした意識の中でそう思っていた。あのクロコ、とかいう黒い猫。それからその友達らしき、アザミとアカという二匹の猫も。 『お願い。……ミッキーさんがどうなったか、全部知って貴方達は此処に来たんでしょう。私に関わったら、私を助けようとしたら、みんな同じ末路を辿ることになるの。……もう、いい。私なんかのために犠牲になったりしないで。私はもう、誰かにた助けて貰う価値なんてない猫なの、だから……』  私はそう言って、あのクロコ達を追い返そうとした。彼らの目は正義感と怒りに燃えていた。あのミッキーと同じ目だとすぐに分かった、でも。  だからこそ、私は怖かったのだ。もう二度と、私なんかのせいで誰かが惨たらしく死ぬのはゴメンだった。私のように自分勝手で、生きていても誰かを助けることもできないような猫は。そして、こんな排泄物まみれで、手入れもされていないような猫は。とっくに生きる価値も、助けてもらう価値もないのである。こんな私の為に、もっと長く生きられる筈の猫達が――もっと他の誰かを幸せにできるはずの猫達が。巻き込まれて死ぬなんて、そんなことは絶対許されていいはずがないのである。  そう、私は確かにそれを伝えたのだ。それなのに。 『リコ。お前がどう思ったところで、関係ねぇんだよ。悪いけどな』  きっぱりと。揺らがぬ眼でクロコは告げたのだ。 『お前が自分自身をどんなに卑下しようが、ミッキーがお前を全力で助けたいと願っていたことは事実だ。あいつが命を賭けたお前を、例えお前自身であっても貶めたりするんじゃねえよ。お前は、あいつは無駄死にだったって言いたいのか?……お前自身はもう、絶対、確実に、ミッキーの為にできることなんか何もねえと本気でそう思うのか?』  あれが、三丁目のボス。  そして、本当の強者であると、私はそう悟ったのである。 『申し訳ないと思うなら生きろ。生きて、お前が貰ったモンをどうすれば誰かに返せるのか必死こいて考えやがれ。償いをするんじゃねえ。報恩をするために生きろ。……そうすればきっと、お前はいつかお前自身を許せるようになる。俺達が、それまでずっと傍にいてやる』 ――本当に、馬鹿だなあ。  目頭が熱くなる。成功するわけがない。相手は人間だ。道具もあるし知恵もある、体も大きい。そんな人間を相手に、ちっぽけな猫が一体何をできるというのだろう。  自分を助けるなんて、そんなこと出来るわけがない。誰も彼もきっとまたあの矢吹雄介に捕まって酷い目に遭わされるに決まっているのである。それなのに。もう、そんなことわかりきっているというのに。 ――なんで、私は……涙が出るんだろう。何で、まだ……諦めきれないの?  期待したら、裏切られることがわかっている。そのはずだった――それなのに。 「リコ!」  声がした。私ははっとして顔を上げる。驚いたのは、声がした方向が窓の向こうではなく――部屋の中であったからだ。 「……うそ」  どうやって、この家に、この部屋に侵入したのだろう。唖然とする私に、彼は――黒猫のクロコは。闇の中であってもらんらんと輝く眼でもって、ニヤリと笑ってみせたのである。 「よう、お姫様。約束通り、このクロコ様が助けに来てやったぜ?」

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