ブラックジャックパニック
第01/11話 ゲームスタート

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 黒部(くろべ)雀雄(じゃくお)は、両手で握り締めている凶器を、相手の後頭部めがけて、振り下ろした。その時、あまりに緊張していたせいか、彼の視界は、スローモーションのようになっていた。  雀雄は、いわゆる、ブラックジャックと呼ばれるアイテムを使っていた。布袋に、ここのゲームセンターで用いられているメダルが、大量に詰められている。それにより、布袋は、一種の鈍器と化しているのだ。  凶器は、狙いどおりの場所に命中した。どごっ、という音が鳴った。それは、さほど大きくなかったに違いないが、彼にとっては、屋内じゅうに響き渡ったような気がした。  相手の後頭部の、ブラックジャックが当たった箇所が、陥没し、穴が開いた。白い頭蓋骨と、桃色をした脳味噌が、そこから見えた。赤い血が、辺りに飛び散り始めた。  次の瞬間、ぶちっ、という音が鳴った。  一瞬後、凶器の中に詰めていたメダルが、布袋の底から、外へと飛び出してきた。それは、水飛沫のごとく、散り散りになって、辺りに広がっていった。  半秒後、相手が、俯せに倒れ込んだ。  その瞬間、雀雄の視界の速度は、いつもどおりに戻った。ブラックジャックから飛び出したメダルたちが、辺りに落ち、ちゃらんじゃらんじゃらあん、という音を立てた。着地点にそのまま留まる物や、着地点に落ちていたメダルに上からぶつかる物、着地点からころころと転がり出す物などがあった。  彼は、唖然として、床に散らばったメダルたちを眺めていた。両手に持っている布袋は、今や、空気の抜けた風船のごとく、ぺしゃんこになって、垂れ下がっていた。それの底は、大きく裂けていた。  数秒後、雀雄は、「集めなきゃ」と呟いた。「メダル、回収しなきゃ」  そして、さっそく行動を開始した。  今から約一時間前、午後十一時五十八分。  雀雄は、コインパーキングに停めている車の中にいた。  車は、黒いセダンだ。彼は、運転席に座っていた。他には、誰も乗っていない。後部座席には、空のボストンバッグが、複数個、乱雑に置かれていた。  雀雄は、黒い長袖Tシャツと、濃紺をした長ズボンを身に着けていた。灰色をしたスニーカーを履いており、靴紐は蝶々結びにしてあった。  彼は、じっ、と、左手で持っているスマートホンの待ち受け画面に表示されている時計を眺めていた。ひたすら、午前零時を迎えるのを、待つ。  ばっくんばっくん、と、心臓が、肌を突き破り、胸から飛び出すのではないか、と思えるくらい、激しく鼓動していた。ごくり、と飲み込む唾は、ひどく苦かった。軽い吐き気すら催していた。  まあ、緊張するのは、無理もないさ。雀雄は、自分を落ち着かせようとして、そう心の中で呟いた。なにしろ、今夜は、文字どおり、一世一代の大勝負に挑むのだ。とある犯罪組織が運営する、違法な営業を行っているゲームセンターの、店長を殺害し、店に保管されている十億円を奪って、海外へ逃亡する、という大勝負。成功し、大金を持って海外に着けば、大富豪。失敗し、組織に捕まれば、死。いや。ただの死ではない。甚振られるに決まっている。  落ち着け落ち着け。雀雄は、慌てて、すう、はあ、すう、はあ、と深呼吸を繰り返した。失敗したケースについて、思いを巡らせすぎるのはよくない。今は、とにかく、事前に立てた計画を遂行することだけを考えよう。  永遠のようにも刹那のようにも思える時が過ぎ、午前零時となった。雀雄は、右手でスマートホンを弄ると、通話アプリを起動した。登録してある連絡先の中から、「白戸皇二」を選ぶと、電話をかける。  右耳に当てたスピーカーの奥で、呼び出し音が鳴り始めた。もしや、このまま、応答しないんじゃないだろうな。そんな、妄想じみた不安を覚えた。  しかし、それは、数秒と経たないうちに解消された。「もしもし」という、白戸(しらと)皇二(こうじ)の声が聞こえたからだ。「どうしたんですか、黒部さん? こんな時間に、電話なんて、かけてきて?」 「ええと……白戸、今、話して大丈夫か?」 「ええ。かまいませんよ」 「ありがとう。白戸、お前、今、どこにいる?」  雀雄は、そう尋ねたが、ゲームセンターのバックヤードに仕掛けてある盗聴器からの情報により、彼の現在位置は、すでに知っていた。今は、店で、各種ゲーム機のメンテナンスを行っている最中のはずだ。 「クエル・マリラにいますが……」ゲームセンターの名前である。 「店にいるのか! そりゃ、好都合だ!」雀雄は努めて明るい声を出した。「いや、実はな……今日、仕事帰りに、そっちに寄った時、落とし物をしてしまったみたいなんだよ」 「落とし物、ですか?」 「ああ。小さいポーチで、いろいろ、物を収めているんだが……その中に、明日の仕事で、どうしても必要なやつがあってな。悪いが、今から、クエル・マリラに取りに行っても大丈夫か? 落とした場所の見当はついているんだ。ちょっと探して、見つからなかったら、諦めて、帰るから……」  言いながら、雀雄は、もし拒まれたらどうしよう、という不安を抱いた。そうなったら、もう、この計画はお終いだ。  その後すぐさま、いや、その可能性は低いだろう、と心の中で呟いて、自分を安心させた。皇二と知り合い、友人となったのは、三年前だ。それから、現在に至るまで、彼との友情が深まるよう──もちろん、皇二から雀雄に対する物であって、雀雄から皇二に対する物ではない──、いろいろなイベントやアクシデントを起こしてきた。その結果、今や、皇二は、雀雄に対して、絶大な信頼を寄せているはずだった。  予想どおり、皇二は、「大丈夫ですよ、来てもらって」と即答してくれた。とりあえず、軽く安堵する。 「なんでしたら、おれが、それを探して、持って行きましょうか? 見た目と、落とした心当たりのある場所さえ、教えてくれれば……」 「いやいや」雀雄は思わず、首を左右に、ぶんぶん、と振った。そこまでされては、クエル・マリラに行く口実がなくなってしまう。「さすがに、それは悪いよ。おれが行く。ええと──」しばらく沈黙してみせた。「三十分くらいで着くから」 「わかりました──あ、そうだ。今、スペクラ11の警戒レベル、最高の『9』に設定してあるんですよ」  スペクラ11とは、クエル・マリラに備えつけられている防犯装置の一種、所持品検査システムの名前だ。 「黒部さんが、店に入る時だけ、警戒レベル、『8』に下げますね。なんで、スペクラ11の設置されている廊下を通る前と、通った後に、電話、お願いします」 「OKだ」 「いやあ、すみませんね。本当は、警戒レベル、もっと低くしたいんですが……今の時間帯は、『8』と『9』のどちらかしか設定できないようになってるんですよ。やろうと思えば、『7』以下にすることもできるみたいなんですけど、あいにく、おれ、あれの操作には、詳しくなくて……」  やっぱり、皇二にスペクラ11の警戒レベルを下げさせるのは、「8」が限界か。雀雄は、眉間に皺を寄せた。これのせいで、彼を殺害するための凶器を、外から持ち込むことができない。店内で調達する羽目になったのだ。 「いやいや。気にしていないよ」嘘を言った。 「で、警戒レベルは『8』なんで、システムに引っかかりそうな物は、持ち込まないでくださいね。危険物とか、武器になりそうな物とか。小銭を大量に持っているだけでも、検知されてしまうくらい、厳しくなっていますから」 「注意しよう。だが……それだと、店を出る時は、どうすればいい? ポーチを持ったままだと、スペクラ11に引っかからないか?」  本当は、クエル・マリラに入った後、そのまま、そこで皇二を殺すつもりなので、こんなことは、訊く必要がない。しかし、必然的に気になるであろう、帰りの時のことを訊かない、というのは、相手に、不審な印象を抱かせてしまうのではないか。そう考え、あえて、尋ねることにしたのだ。 「そうですねえ……」皇二は、しばし沈黙した。「じゃあ、おれが、いったん、ポーチを、黒部さんから受け取ります。黒部さんは、行きと同じ状態で、スペクラ11の設置されている廊下を通って、退店してください。  で、おれは、関係者用出入口から、クエル・マリラを出ます。その後、黒部さんと落ち合って、ポーチを渡しますね。これでどうでしょう」  客は、店に出入りする時、スペクラ11の設置されている廊下を通る必要がある。しかし、スタッフは、関係者用出入口を使うことで、その廊下を経ずに、出入りすることができる。  雀雄も、最初は、関係者用出入口を使って、クエル・マリラに出入りできないか、と考えた。しかし、検討の結果、それは不可能である、という結論に達した。  関係者用出入口の扉は、客に、勝手に利用されないよう、特殊な生態認証装置で施錠されている。それをクリアする方法が、どうしても、突き止められなかったのだ。 「ああ。それでかまわないぞ。ありがとう」  雀雄は、その後、短い雑談を交わしてから、通話を終えた。スマートホンを、ズボンのポケットにしまう。  それから、二十五分ほどが経過したところで、エンジンをかけ、車を発進させた。ゲームセンターに向かう。  目的地には、五分ほどで到着した。駐車場にセダンを停め、降りる。  長方形をしている駐車場の西隣には、東西に長い直方体の形をした建物があった。大学にある体育館くらいの大きさがある。外壁には、「白戸運送第一倉庫」「クエル・マリラ」と書かれていた。  クエル・マリラは、ただのゲームセンターではない。「ベールイ・レーベチ」という犯罪組織が経営している、違法な店だ。紹介制で、会員資格を有している者しか、遊ぶことができない。よって、何も知らない人が入ってくるのを防ぐため、また、警察に捜索されるのを避けるため、外観は、ただの倉庫を装っていた。  雀雄は、建物の南東の隅、東壁に設置されている正面玄関に向かって、駐車場を歩き始めた。十二月の下旬というだけあって、とても寒かった。しかし、冷気を感じているのは、肌の表面だけだった。体内は、一世一代の大勝負の真っ最中である、という興奮により、暑いくらいに火照っていた。  しばらくして、目的地に到着した。ガラス製の自動ドアをくぐる。  屋内は、暖房が効いていた。普段なら、ほっ、と安堵するところだが、今は、それすら、暑く思えるせいで、無意識的に、疎く感じた。  入ってすぐの所から、通路が、北へと続いていた。それは、建物の北東にまで伸びた所で、行き止まりとなっていた。突き当たりの西壁にも、ガラス製の自動ドアが設けられている。  雀雄が今いる所の西壁には、扉が取りつけられていた。これが、関係者用出入口だ。まったく、こんな便利な物を目の前にしておきながら、素通りしなければならないなんて、歯痒いにもほどがある。  彼は、スマートホンを取り出すと、皇二に電話をかけた。「今、クエル・マリラの正面玄関をくぐったところだ」と伝える。 「わかりました。少しお待ちください」十数秒の沈黙があった。「今、スペクラ11の警戒レベル、『8』に下げたんで、もう、廊下、通ってもらって大丈夫ですよ」 「ずいぶん、早いんだな」雀雄は少なからず驚いて言った。 「ええ。業務用のスマホから操作できるようになってるんで」  雀雄は、その後、皇二と、二言三言交わしてから、通話を終え、スマートホンをズボンのポケットにしまった。廊下を歩き始める。  左右の壁は、全面が鏡張りとなっていた。いわゆる、マジックミラーだ。向こう側には、スペクラ11を構成する、センサーだのカメラだのといった、さまざまな機械が置かれているはずだ。  スペクラ11の特長は、ターゲットに対して、非接触型の検査を行える点だった。例えば、空港の類いでは、金属探知ゲートをくぐったり、手荷物を目視で確認してもらったりする必要がある。しかし、このシステムならば、それが配備されている廊下を、文字どおり通り過ぎるだけで、所持品がチェックされるのだ。  どういう仕組みになっているのか、雀雄には、さっぱりわからない。ただ、わかるのは、スペクラ11は、とても高性能である、ということだ。今までにも、何人か、危険物を持ち込もうとした者や、金目の物を持ち出そうとした者が、このシステムにより検知され、自動で発射される電極弾の餌食となっていた。  しばらくして、何事もなく、通路の突き当たりに辿り着いた。思わず、はああ、と大きな溜め息を吐いた。  彼は、スマートホンを取り出すと、皇二に電話をかけた。スペクラ11の設置されている廊下を抜けたことを、伝える。  ついでに、皇二の現在位置も訊いた。彼は、インテグレーターというアーケードゲーム機の所にいる、とのことだった。  その後、通話を終え、スマートホンをズボンのポケットにしまった。くるり、と体を左方へ四半回転させる。そちらへ歩いていき、自動ドアをくぐった。  扉の向こう側は、ゲームセンターエリアとなっていた。色とりどり、形さまざまなゲーム機が、そこかしこに設置されている。雀雄は、皇二がいるという、インテグレーターのある所を目指して、歩き始めた。  当たり前だが、今まで、彼が、この店に来た時は、すべて、営業中だった。どのマシンも、BGMだのSEだの、多様な音を鳴らしていて、耳を塞ぎたくなるほどに、喧しかったものだ。  しかし、現在は、終業後であるため、ゲーム機は、シャットダウンされている。そのため、辺りは、ひっそりとしていた。  厳密に言えば、どこか遠くから、正確に聴き取ることはできないが、ポップな調子の電子音楽が、聞こえてきている。もしかしたら、例外的に、電源を入れられているマシンが、いくつか、あるのかもしれない。だが、それでも、普段と比べると、はるかに静かだ。  雀雄は、その後も、シャットダウンされているゲーム機たちの間を、歩いていった。ディスプレイがあれば、それは真っ黒。ガラスケースがあれば、それは真っ暗。いずれも、得も言われぬ不気味さを漂わせながら、佇んでいた。彼は、まるで肝試しにでも挑んでいるかのような、心細さを味わっていた。  予想どおり、いくつか、電源を入れられているマシンにも遭遇した。彼は、そのたびに、ほっ、と小さく安堵した。

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