作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

   知可が無言で構えた。やっぱりキックボクシングの構えだ。頬骨の高さにガードをあげている。 (まだ、この程度か……)  里美は軽い失望と落胆を覚えた。  郷原美咲とかいう看護師に習ってからまだ日が浅いことがわかる。  構えはなんとかサマになっているが、肩や肘、腰のあたりに無駄な力みがある。これでは威力のあるパンチやキックはだせない。 (『羽衣はごろも』で充分かわせる)  里美が修めた空手――常念流じょうねんりゅう空手の運足法『羽衣』を遣えば、相手の攻撃を触れずして流すことができる。  里美は自然な歩調でこちらから知可との距離を詰めた。町中で知人に逢ったかのような淀みのない動作だ。  スッシャーーッ!!  案の定、知可が歩み寄ってくる里美に右ストレートを放ってきた。  里美は踏み出した右足を軸にして鮮やかにターンした。  コットンリネンのスカートがふわりと舞う。まさしく羽衣のような身のこなしだ。  知可はたたらを踏んで小石にけつまずき、派手にすっ転んだ。  乾いた地面に頭から突っ込み砂埃が舞う。  純白の服を汚さないよう軽く跳んで里美は知可に振り向いた。  渾身の一撃をかわされ、しかもみじめに地を這わされて、さぞや悔しげに顔を歪めているかと思いきや―― 「ッ?!」  知可はこちらを向いて嗤っていた。してやったりといわんばかりの小面憎い顔だ。 「ふん!」  きっと、ただの強がりに違いない。  里美はスカートの裾を払って背を向けた。出迎えの教官たちに軽くあいさつして柵門の外にでる。  後方で門がぴしゃりとしまった。  もう振り向いてはいけない。  自分は新たな人生の一歩をこれから踏み出すのだ。  その決意を胸に桟橋の方に足を向けた、そのとき――  がくん、と腰が崩れ落ちた。  アスファルトに膝を突き、口を手で覆う。  口中に生暖かいものがあふれ、鉄さび臭い味がする。  里美はがはっとそれを吐き出した。  大量の血に混じって白い粒が地面に転がった。  折れた右の奥歯だ。 「あ…あのとき……!」 『羽衣』でかわしたと思ったあのとき、知可は肘を里美に叩き込んでいたのだ。 「あのガキ!!」  すべてはフェイクだったのだ。わざと構えに隙をつくり、相手の実力を低く見積もらせる。  その上で軌道のみえるテレフォンパンチを仕掛け、かわさせる。里美は出所しようとしているところだから、そこから攻撃に転じようとはしない。  かわした時点で一瞬の隙が生じる。そこへすかさず本命の肘を見舞ったのだ。  相手の描いた画にまんまとはまってしまった。おかげで白のブラウスやスカートは血まみれだ。提げていた白のバックにも血が飛び散り、まだら模様の染みになっている。 「くそったれがッ!!!」  朱に染まった歯をむき出しにして柵門の方にもどりかける。  だが――  足がとまった。やっと、仮釈放を得られたのだ。もどって殴りつけたところで無駄に刑期が伸びるだけだろう。  ……もう、関係ない。なんの関係もないんだ。  そう自分にきつく言い聞かせると、里美は桟橋に向かった。  血まみれの白のスカートを颯爽と翻して……。   第16話につづく

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません