その日、全校朝礼があった。雨だったので体育館に全生徒が集合。学校あるあるだが、校長先生の話は妙に長い…しかも、面白くはない。 みどりは、家事などの疲労もあったのか、なんだか調子が悪い。昨日も家事を済ませて宿題をしたら日付が変わっていた…。寝不足もある。 なんだか眠いな…、早く座りたいなと思ったとき、ふっと目の前が暗くなったみどりだった。 気が付くとみどりは白い天井が見えた。どこ?と思い横を向くとカーテンが閉まっている。病院?と一瞬思い、起き上がると保健の先生がカーテンをそっと開けて「百武さん、大丈夫?よく寝てたわね」と声をかけてくれる。みどりは貧血のような症状で倒れて「大丈夫です」と無意識に言いってそのまま3時間も寝ていたらしい。もう昼休み。先生には、「寝不足ね。ちゃんと寝なきゃ」と当たり前のことを言われる。みどりは…今のうちにはそれができんと心でつぶやきながらも「すいません」と謝る。心が暗くなるみどりだが、養護の先生が教えてくれたことで少し心が晴れた。みどりが倒れた時、とっさに支えてくれた人がいたという。水落春子だった。春子は調子が悪そうなみどりに気づいていて保健室に行こうと声をかけようと近づいたらしい、その瞬間にみどりは気を失い、水落はなりふり構わず抱きついて無防備に倒れるのを防いでくれたという。そんな話を聞いているとき、ドアをたたく音と「すいませーん」と声が聞こえる。 「あっ、あの声は…、うわさをすればかしらね。どうぞー」 水落が顔を出す。一人だ。「みどりちゃん、もう、大丈夫なの?」と優しく声をかけてくれる。給食を持ってきてくれていた。 「うん、ちょっと貧血気味で…、あっ、あいがと、水落さん」 そういうみどりに笑顔で「よかった」と水落は笑顔を見せ「わたしもここで食べてもいいですか?」と養護の先生に聞く。先生は「いいわよー。そうだ、水落さん、わたしも給食を食べて来るからお留守番お願いできる?」という。水落は自分の給食を取りに戻りすぐに帰って来た。 水落は心配そうに聞く。 「給食、食べられる?」 「うん、少し食べようかな…」 そう言ってベッドから起き上がって給食の置かれたテーブルに行く。水落はそばに来てくれる。みどりが倒れても支えるつもりのようだ。そんな水落を見てみどりは思う。よく考えれば転校してきた自分にまず声をかけてくれたのも、男子が自分をバカにしたのをかばってくれたのも、駅のホームのことを穏便にごまかしてくれたのも、この水落だったと。 給食は揚げパン揚げパンと中華スープにチーズだ。しかし、この揚げパンという給食はみどりのいた佐賀では見かけないメニューだった。東京で給食で出て、おいしさに驚いたのだった。そんな話をしながら二人で食べた。 「そっか、佐賀では給食にでないんだー」 「はい。お菓子みたいで、東京ってすごかって思いました」 「すごくないよ。お互いに「普通」が違うだけだよ」 水落の言葉にみどりは思わず聞き返す。 「「普通」が違うんですか?」 「そうだよ。例えばさ、みどりちゃんは方言を時々使うけど、佐賀じゃそれが普通でしょ」 「うん…」 「だからお互いに「普通」が違う。きっと、普通ってないんだよ。そんなありもしないものはどうでもいいよ。だから、みどりちゃんはどんどん方言使いなよ。少なくともわたしはそういう考えの自由人だから大丈夫だよ!」 その言葉にみどりは思わずうるっと来て顔を伏せてしまう。うれしかったから、暖かかったから。今のみどりには特にそう感じられる。 みどりは絞り出すような声で言う。 「あの、なんでうちなんかに、そんなにやさしく…」 水落は意外な質問にややとまどいながら考える。 「えっ、そうだね、なんでだろうね?きっと理由はない…。あっ、でも、あえて言えば…」 「な、なんですか?」 「言葉と笑顔かな?」 「どがんことですか?」 みどりは方言丸出しで聞いてしまう。 水落はみどりをじっと見て言う。 「気を悪くしたらごめんね。初めて話した時、みどりちゃんは標準語と方言が交じっていた。なんかその言葉がわたしにはまっさらで気持ちよく感じられたんだ。たぶん、それって一生懸命練習したってことかなって思って…。ここになじんでいこうって。それにさ、わたしと話をした時、みどりちゃんは、はにかんで笑ってくれた。「あいがと」って言って。その言葉もとっても暖かくてさー、八重歯もステキでね、もうそれで大好きになっちゃったんだ。あっ、容姿のことなんか言っちゃってごめん…。まあ、スナフキン顔のわたしが言うことなんで許して…」 そう言ってごめんという仕草で片手を立てる水落を見てみどりは言う。 「あいがと…、水落さん…」 「そうその調子。どんどん方言で話しなよ!ここは二人なんだしね!まあ、そういうわけだから、わたしの一方的な想いかもね」 「そいは違います。うちも水落さんのことがばい好いとうよ」 「あハハッ、あいがと!お互い熱い告白だね!じゃあ、いいじゃん。仲よくしよう!友だちだしさ」 「はい…、ばってん、うちは、水落さんに迷惑ばかけすぎとる…」 みどりの言葉に水落は笑顔を消して当たり前のように言う。 「迷惑?迷惑ってかけるものでしょ?」 「えっ?」 「そうだよ。わたしなんか、たくさんの人に迷惑かけてるよ。こんなガサツな女だからさ。人間出来てないから、正美とは違うよ。でもさ、その正美だってそうだよ。迷惑かけないで生きてる人なんかいないんだよ」 「でも…」 「みどりちゃん、かけたくないのは迷惑じゃなく「心配」じゃないかな?」 その言葉にみどりははっとしてつぶやく。 「そうかも…」 「うん、わたしはそう思うよ。そうはいっても迷惑もかけたくないよね。そうだ、みどりちゃんは迷惑をけるのとかけられるのとどっちがいい?どっちも無いにこしたことはないけどさー」 「かけられた方がよかです…。迷惑かけられる人になりたかです」 「だよねー。わたしもそうなんだ。だったらいつかなろうよ!だから、今は迷惑をかける人でいいんだよ」 「なして?」 「ちゃんと迷惑をかけてきた人は、迷惑をかけられてもいいと心から思える人になるって、わたしの「あこがれの人」は言ってたよ。だから、わたしも今は迷惑はかけてもいいと思ってる。でもね、いつか必ず迷惑かけられてもいいと思える人になるんだ。だから、わたしもみどりちゃんに迷惑かけるかもよ!」 水落の言葉にでた「あこがれの人」が少し気になるみどりだが、水落さんは人と言葉をこんなにもしっかり受け止められるんだ、だからわたしが調子悪いのを気づいてくれたんだとよくわかった。 「水落さん、ようけ迷惑かけてくれん!(たくさん迷惑かけてください!)」 思わずそう言うみどりに、水落はにこっとする。 「ふふっ、じゃあ、早速…。ご迷惑かもしれませんが、手を見せて、みどりちゃん」 「えっ、はい…」 言われるままみどりは水落に手を見せる。まじまじとみどりの手を見て水落は言う。 「やっぱり。荒れてるね…」 「なんか荒れちゃって…」 少し恥ずかしそうに答えるみどりに、水落は「いいもんあるんだよねー」と言いながらポケットから平べったい青い缶を取り出して見せる。 「わが家は、包帯や消毒薬とか薬局の物品の卸をやってるの。だからハンドクリームの試供品もいっぱいあるんだよ。さあ、手を出して!」 みどりはいわれるままに手を出すと水落はハンドクリームを塗ってくれる。水落は塗りながら「試供品だから遠慮なくどうぞ、でもあとで感想は聞かせてね。わたしも卸の娘だからね」と言う。なんだか塗られているととても暖かくて、みどりはほろりとして「うちはまた、迷惑かけてますね」という。 みどりの涙に気づきいた水落は笑顔で答える。 「わたしもだよね。みどりちゃんを泣かしちゃったしさ。迷惑だね」 「そげなこつは…。ばってん、こげな迷惑は、がばいよかですね」 「うん、そうだよねー、がばよか。これでよしっ。で、みどりちゃん、約束だからね」 「はい。うちも水落さんもたくさん迷惑かけられる人にいつかなりましょう!」 みどりは涙ながらに満面の笑みで力ずよく答える。 「いい顔だね。さあ、揚げパン食べようか!」 「うん!」 そう言って二人は色んな話をしながら笑顔で揚げパンをほおばった。こんなにおいしい給食ははじめてだと思ったみどりだった。 この青い缶のハンドクリームは、この後、みどりの人生でどんなにつらい時でも心の支えになってくれた。みどりとハルが大人になり、遠く離れ、会えなくても、ハルはみどりにハンドクリームを送り続けてくれた。『だんなさん』の仕事の関係で海外にいた時もだ。「ようけ迷惑かけてくれん!(たくさん迷惑かけてね!)」と書き添えて…。どこでも手に入るなんでもないハンドクリームだが、水落からもらうことでみどりは前に進んで来れたのだった。 今回の東京のおみやげにもちゃんと青い缶はメッセージとともに添えられていた。そう、ハルこと水落春子はいつでもみどりのそばにいたのだった。