あいがと
2【番長】

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 25年前、平成もまだ1桁だったころ、みどりは新年早々中学2年時に佐賀から東京に転校した。大都会東京のさらに大都会新宿の中学校だ。佐賀で育ったみどりにとっては大都会といえば博多(福岡市)。実際にそういう歌もあるのでそう思っていた。その博多の人口は当時は約130万人、ちなみにみどりのいた佐賀市は人口20万ちょっと。しかし、東京都は1200万…、23区だけでも約800万人だと社会の授業で習った。どんだけ人がいるのか想像もつかないみどりだ。佐賀からいきなり東京、しかも大都会新宿へ。大変なカルチャーショックだった。東京、ましてや新宿なんてTVでしか見たことはなかったみどりだった。  2年1組となったみどりは転校初日に、隣の席の男子生徒が気になった。恋愛感情ではなく、雰囲気が気になった。長身、色白、髪の毛が赤茶色。校則では髪染め禁止って聞いたけど…、不良なのかな、佐賀ではみんな丸坊主だったし…、ちょっとこわもてだなとみどりは思う。さすがに隣なので「百武みどりです。佐賀からきたんで、変な言葉かもしれんけど、よろしくお願いします」と標準語のつもりで方言交じりの挨拶をした。その男子は「岡倉伝之助おかくらでんのすけです。よろしくお願いします。佐賀か…」とだけ無表情で不愛想にいう。みどりは、愛想んこそんなか…(愛想がないな…)、伝之助って名前はお侍さんみたいやわと思うと同時に、目を合わせようとしないその男子の目を見てはっと驚く。  こん人の目はとび色…、がばいきれい…(とてもきれいだ…)、よく見っと顔も端正、さっすが東京ばい(東京だね)、そう思ったみどりだった。  転校生のみどりに、女子たちは色々と校内案内や学校のことを話してくれる。みどりは、もともと社交的な方ではない。それにはどうにもならない理由がある。しかも、ここでは「方言」がでてしまう。中学生ならそうでもないが、方言はからかいの対象となることが多い。みどりには3つ下の小5の妹がいて、その妹といわゆる「標準語」の練習を毎日しているが、どうもイントネーション・アクセントなどは直らない。だから、よけいに無口になってしまう。  そんな中でみどりは「岡倉への注意事項」を聞いた。女子たちは言う。「岡倉は要注意だよ」「女の敵だから悪魔だからね」「口をきいちゃいけないよ」と。なんでだろうと驚くみどりに説明をしてくれた。  去年の中1の時のバレンタインデー、ある女子生徒が岡倉にチョコを渡した。渡したというか机にそっと入れておいた。もちろん本命で、手紙も添えて…。なんと岡倉はそのチョコを捨ててしまったという。「男の中の男にこんなものはいらん!」と言って…。そのチョコを渡した子は「番長」さんの親友だったという。 「番長さん?」  みどりは聞き返す。いつの時代?しかも女子だから「スケバン」?マンガみたいだ、さすが都会だと思う。女子たちは詳しく説明する。この学年は3組学級委員の中田正美なかたまさみという女子生徒が女子内で影響力が強いという。通称「番長」さん。しかし、「番長」といっても怖いわけではなく、成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗、面倒見もよく、先生の信任も厚い、いわゆる優等生。しかし、影響力は強い。あのバレンタイン事件で親友の想いを踏みにじった岡倉に対して「ゆるせない。あいつは悪魔だ。あんなやつ人間ではない。口を聞いてはいけない」と激怒して女子内にそういう命令がでたらしい。その命令を女子は遂行中。そういうわけで女子らは岡とは最低限のコミュニケーションのみにしているという。  そんな話をして女子たちは解散したが、一人、水落春子みずおちはるこさんという明るくて気さくな女子がまだ一緒にいてくれて、勉強のことなども教えてくれる。クリクリの真っ黒い瞳の水落さんは『ムーミン』のあのキャラに似てるなとみどりは思ってしまう。その水落さんと二人だけになった時にまた、「岡倉伝之助」の話題が出たのだった。 「百武さんは、岡倉の隣だよね」 「うん、そうだね」  またさっきの話かなと思うみどりだが水落はちょっと違った。 「驚いたでしょ?」 「えっ、うん…」  何に驚いたかと考えると、名前もそうだし、あの髪の毛、なによりあのとび色の目に驚いたことなどをみどりは考えるが、「注意事項」かなとも思い当たる。 「まあ、そんなわけで岡倉は女子からはハブにされちゃってんだよね…」  少し困ったようにそう言う水落に、みどりはそういえばこの人はさっきの女子たちの話の時は無言だったなと気づく。 「もしかして不良と?(不良なの?)髪も染めとるし…」  みどりは意識せずに方言で聞いてしまう。しかし、水落は方言は理解しているようで普通に答える。 「違うよ。あいつの赤毛は地毛だよ。目の色と同じなんだよね。不良じゃないよ」 「えっ。そうなんだ…。あの、いじめじゃないよね」  この時代はまだ「いじめ」には敏感な時代ではない、しかし「いじめ」が悪以外の何物でもないという認識はむしろ大人より子どもたちの実体験の中にあった。みどり自身もその内向的な性格と趣味から、かつて「いじめ」に近い状態になったことがあったから、もしかしてと思ってしまう。  水落は違うと思うといいながらも、「まあ、悪いのは岡倉なんだけど、岡倉もあいつも意地になってるんだよ。なんか意地の張り合いみたいになっちゃってさ」と言う。  みどりは「そうなんだ…」ととりあえず答える。そう答えるしかない。なぜなら話を聞いただけで、その場にいたわけでもないし、岡倉と意地を張り合っているという「あいつ」が誰だかわからないからだ。  水落はそんなみどりのことは知ってか知らずか、「まあ、そんな感じでさ、女子の「おきて」みたいなもんだよ。岡倉もあいつも昔とはずいぶん変わったからね」と言う。  さらに水落はもう一つ情報をくれた。それは岡倉伝之助の家庭のことだった。伝之助の親は亡くなった。母は幼い日に、父は昨年11月に急死したのだという。岡倉には兄弟もいない。岡倉は今は少し遠い「学園」と呼ばれる養護施設で暮らしていてそこから電車で通っている。いずれは先生から説明があると思うが、岡倉とは幼稚園から一緒の腐れ縁の自分からも伝えておくという。水落はこちらの情報の方をみどりに伝えたかったらしい。  水落は最後に言う。 「ああ、でも伝之助は大丈夫だから。女子とはそんな感じだけど、男子とは仲良く元気にやってるよ。そこは大丈夫だよ」  水落の言葉に、岡倉君のことよく知っているんだな、幼なじみだからかと思うみどりだった。