その日もみどりは、妹に朝ご飯を食べさせ、早めに送り出すと急いで洗濯物を干す。先日の水落とのことでみどりは少し元気が出ていた。水落がくれたハンドクリームの青い缶を見つめながらみどりは思う。伝之助くんも水落さんも中田さんもわたしを見ていてくれるんだ、頑張ろうと。そう思って洗濯物を干していた。そんな時だった、ベランダのサンダルの緒の部分が切れ、よろけてパラソルを落としてしまった。洗濯物は汚れていた。みどりは落ちた洗濯物を拾いながら思ってしまう。 「神様はなんでこがんことすっとじゃろう…うちらはなにか悪かことでもしたんじゃろうか…。せめて何が悪かこつか教えて欲しいわ…、そんで、構わないでほしか…」そうつぶやくとみどりは、洗濯物を拾う手をとめた。 そして、洗濯物は放置して、部屋に入る。横になる。 (もうよか。寝ろう…(寝よう)。学校はどがんでんよか(どうでもいいや)) そう心でつぶやいて寝ることにした。この前みたいに寝て起きたらいいことがあるかもしれないと思ったから。そのままみどりは眠ることにした。 それからどれくらいたったのかわからない。ピンポーンという呼び鈴でみどりは目が覚める。みどりの団地にはインターホンはない。目をこすりながら起き上がり、みどりはドアをあけた。とたんに中田と水落の顔が目に入る。一瞬みどりは「夢?」と思ったが、中田が抱きついて言う。 「みどりーっ、大丈夫?心配したんだから!」 水落も中田の後ろで言う。 「みどりちゃん、大丈夫だった?」 何が何だかわからないみどりは、「へっ?」と言う感じだ。そして自分に抱きつく中田の方の向こうにとび色の目の男子生徒が見える。伝之助は「よかった」と言っている。 「みどりちゃん、大丈夫?お話いいかしら?」 中年の女性が声をかけて来る。中田の母だ。なんどか挨拶をしたことがあるのでみどりはおぼえている。 「あっ、はい。…って、今何時ですか?」 「もう1時よ!」 みどりに抱きついていた手を離した中田は涙をぬぐいながら言う。水落も「もしかして、寝てたの?」と聞く。 「たぶん…そうなのかな?」 そんな感じのみどりだ。みどりはとり急ぎ中田家に行くことになった。みどりは中田のお母さんにすべて事情を話す。お母さんは聞き終えて言う。 「よく話してくれたわ。気づかなくてごめんね。でも、もう大丈夫だからね」 なんだかその一言で本当に大丈夫な気がみどりにはしていた。話し終えて中田の母が学校に電話をする。中田と水落はみどりと家に行って片付けなど手伝いをする。妹が帰ってきたら驚くからだ。片付けには洗濯物もあるので伝之助は中田家で待機、中田母とともに先生に電話で事情を話す役目とした。水落が伝之助にそう命じ、伝之助も素直に従っていた。 片付けながら中田と水落がここに来た事情を話してくれた。朝、みどりが登校していないことは出欠確認でわかっていた。水落は遅刻かなとは思っていたが気になったのでお昼の休みに職員室で担任に「百武さんは体調不良で欠席ですか?」と聞いたところ。そうみたいだとの返事だった。みたいという言葉からこいつはちゃんと確認をとってないなと察した水落は、さらに聞いた「あの件は確認してくれましたか?」と。担任は少しうざったそうな顔をして「ああ、あれか?大丈夫かって聞いたら大丈夫だと答えてた。なんかあったら言ってくれって伝えたよ」との返答だったという。担任はこのあと空き時間にでも電話をかけてみるよと言う。それを聞いて水落はこりゃダメだと思ったという。 みどりはなるほどと思う。 「だから昨日は担任から電話があったんだ…大丈夫かって聞かれたんだ」 中田は「みどりはなんて答えたの?」と聞く。 「大丈夫ですって答えた…」 みどりの答えに「そう答えるしかないよね…」、「そうよね…」と水落も中田もさもありなんという感じだ。みどりは気になることを水落に聞いた。 「水落さん、あの件って?…それに、なんでうちのことわかったん?」 「もう、春子でいいよ。この前さ、みどりの「手」を見てなんか気になった。あの手荒れは、普通じゃないって思ったんだ。だから、担任に言ったんだ。何か困ってるかもしれないって…。なのにあのバカ担任は…。そんな聞き方じゃ言えるわけないじゃん!あっ、ごめん…ありがた迷惑ってやつだよね。わたしガサツだから、許して」 そう言って申し訳なさそうにする水落にみどりはおもわずうれしくて泣きながら言う。 「そんな、がばいよか迷惑ばい。あいがと、…春子、正美」 「いいのよ。わたしはおまけよ。すべては伝之助よ」 「うん、そう。伝之助だ」 二人はうんと相槌を打つ。そういえばなんで伝之助はここに?とみどりは思い当たる。 「伝之助くんが?」 「うん、そう、あいつが動いたんだよ」 水落と中田は語る。水落は担任がダメなら行くしかない!人生初のエスケープだな、と決意して職員室を出ようとした時、伝之助がいつのまにかいて担任に言った。 「早退します。急用です、家事都合です!」 それだけ言って伝之助は職員室を急ぎ足で出て行く。担任は「おい、お前、ちょっと待て、ふざけるな!」と叫ぶ。その瞬間、水落も「わたしもでーす!」と言って伝之助のあとを追った。伝之助は走って昇降口ではなく3組に向かった。水落は岡倉の行動の意味が解ったので「わたしは先に行ってるよ!」と声をかける、「たのむ」と岡倉は答えて授業直前でみんなもいるのに3組に向かった。 3組では中田は突然入って来た岡倉に「中田さん!みどりさんが無断で休みなんだ。すぐにおばさんに伝えてくれ、様子を見に行ってくれって。たのみます!この通りです」と頭を下げられたという。あまりのことに一瞬固まっていた中田だがすぐに「わかったわ!」と返事をし、ちょうど授業に来た先生に「家事都合で早退します」とだけ言って、学校にある公衆電話で家に連絡を入れ、岡倉も中田も全速力でみどりの家に向かったという。 水落、岡倉、中田は結局はほぼ同時に団地に到着、全速力で走ったのでものの10分で着いた。ちょうど中田の母がみどりの家に向かう途中だったので合流。4人は息を切らせながらたどり着いたというわけだった。 「そこまでうちのことを…うちはまた迷…」 みどりの言葉を水落はさえぎる。 「その先はいっちゃだめだよ。みどり!」 水落の言葉の意味を悟ったみどりは言いなおす。 「うん、じゃあ、あいがと。うちはいつか迷惑いっぱいかけられる人になるばい。春子との約束ばい」 みどりの言葉に中田ははっとして「その言葉って…」と言いながらみどりではなく春子を見る。 春子はその視線を受け取って言う。 「そうだよ、正美。あの人の言葉。文字通り、死んだってあの人を忘れるもんかい!」 「誰?」 思わず聞いてしまうみどりに水落はきっぱり言う。 「岡倉善之助さん!」 「へっ…、伝之助じゃなか?」 みどりの質問に中田は「お父様よ…」と短く補足をする。 水落はうなずきながら言う。 「善之助さんは、わたしの『あこがれの人』。もう直接は会えないけど、わたしの中では生きてる、だって言葉はいのちなんだから!」 春子は美しくはない話だけどと言いながらも熱く語る。幼稚園の頃、岡倉の住む官舎で、父善之助がいるときは伝之助と中田と水落はよく遊んだ。善之助さんは必ず一緒に遊んでくれた。善之助さんは、まだ幼かった水落が「あいがと」と言うのを気に入っていて「なんだか暖かくていい言葉だね、おじちゃんもそう言おう」と言って本当に使っていた。そんなやさしい人だったという。 その日も善之助さんは3人に絵本「手袋を買いに」を読んでくれていた。本来なら感動の話なのだが、冒頭の「おててがチンチンする」というセリフにバカ伝之助5歳は、強い興味を示し、中田は恥ずかしそうにし、春子は大爆笑していた。その時、春子は、笑いすぎてなぜかゲロを吐いてしまい、伝之助はもろにかぶってしまった。伝之助はマンガに出て来る心の広い主人公とは違い、普通の反応を示した。「うわっ、なんだよきたねぇなー」と言いながら泣きだしてしまったのだ。中田はどうしていいか分からずやっぱり泣き出す。もはや阿鼻叫喚だ…。春子は幼いながらにわたしはなんて悪いことをしてしまったんだろうとやっぱり泣き出しそうになったとき、善之助さんはいった。 「大丈夫!ハルちゃん。気持ち悪かったのかい!気づかずにごめん」と。そう言ってまず自分が汚れるのも構わずに春子をやさしく着替えさせて寝かせてくれた。そのあと中田をやさしくなだめながら伝之助を着替えさせていた。なんだかその姿がかっこよかったと水落は目を輝かせて言う。 やがて水落の母が迎えに来て「とんだご迷惑を」とお詫びをした時、善之助は「ご迷惑だなんてそんなことはないですよ。こちらこそ、いつも伝之助と遊んでくださって、ハルちゃんはとってもいい子ですね」と言っていた。その時、子どもながらに罪悪感にかられていた水落はさみしそうに言った「おじちゃん、ご迷惑だよ。ハルはご迷惑かけた。悪い子だよ、いい子じゃないよ」と。そう言ってうつむく春子に、善之助さんは身をかがめて言ってくれた。 「そんなことはないよ。ハルちゃんはいい人になりたい?」 「なりたい!」 「じゃあ、今は『ご迷惑』をいっぱいかけて、大きくなったらいっぱい『ご迷惑』をかけられる人になるといいよ。いいんだよ迷惑はかけるものなんだよ。みんなそう。みんな迷惑をかけたから迷惑をかけられてもいいなって笑っていられる人になるんだよ。それがいい人だと思うな」 「おじちゃんも『ご迷惑』をかけたの?」 「おじちゃんは今もいっぱいかけてるよ。ハルちゃんにもかけてるよ」 「えっ、どんな?」 「伝之助がさみしくないのはハルちゃんたちのおかげだ。本当はおじちゃんがさみしくないようにしなきゃいけないのにね。というわけであの迷惑の塊の伝之助の面倒をハルちゃんに見てもらっているというわけ。ねっおじちゃんは迷惑かけてるでしょ。いつもあいがと、ハルちゃん!」 そう言って俳優のようなステキな笑顔を見せた。 「ご迷惑じゃないよ。伝之助と遊ぶと楽しいよー」 そう言って笑う春子に「じゃあ、春子ちゃんはもういい人になってるよ。だってご迷惑を心の底から楽しいって言えるんだよ、すごいな!」と、善之助さんがまたとんでもなく美しい笑顔を見せて頭をなでてくれた時、水落春子5歳は恋に落ちたという。 わたしはこの人に一生ついていく…。奥さん亡くして独身だから将来は結婚してもらおう、愛の前に歳の差なんてどうでもいい、伝之助は息子として面倒を見ていこうと一方的かつ本気で思い続けていたという…。 その話に中田もみどりも感動して泣いてしまう…。中田は水落が伝之助のお父さんのことを好きなのは聞いていたが、半分冗談で、主にルックスが原因だと思っていたのだ。初めて聞いた一途な想いに猛烈に感動してしまった。 みどりは春子がなぜやさしいのか、わかった気がした。この人はもともと他人のつらさがわかる人。そしてそれを放っておかない人だとよくわかった。たとえ自分が無視されても人を無視しない人…。この人はまさに春とともに現れるスナフキンなんだと思うのだった。 そんな水落の思い出話を聞きながら片付けは終了。岡倉もみどりの家の中に入る許可をもらう。岡倉が来るなり中田と水落はジーとみて言う。 「顔はそっくりなのよね…」 「中身はまだまだだね!」 訳が分からず「へっ?」と言う顔の岡倉が面白くて女子3人は大笑いをした。 その後は夕方に担任が来て中田の両親同席の元、中田家でみどりと今後のことについて話すことになった。3人は翌日に担任から指導と言うことになったらしい。3人は解散となるが、別れる時、中田は「伝之助、話があるの」と声をかけていた。岡倉も「おれもある。少し話そう」と言っていた。二人は屋上へ向かったようだった。 水落は先生とみどりの話し合いが終わるまで、妹のあかねと留守番をしてくれる。水落はあかねに、「わたしはある程度九州弁わかるから、バンバン使いなさい。わからない言葉はおしえてね」と言って、あかねをよろこばせている。 「じゃあ、あかねをお願いします」 みどりは中田家に向かう時に水落に声をかける。水落は言う。 「みどり、大丈夫だよ、わたしにはわかるよ。腐れ縁だからねー」 「えっ?なんが?」 なぜか赤くなるみどりに水落は「もう、わかってるでしょ!」と笑顔を見せる。 「…あいがと、春子」 そう言って笑顔で答えるみどりだった。 この後、対応はスムーズに進んだ。担任の先生は「なんで言ってくれなかったんだ」と少し怒り気味に言い、みどりはすなおに「すいません」と謝る。謝りながらも、中田さんのお母さんとは正反対ばいと思うみどりだった。 翌日に先生と中田の両親がみどりの母のもとにお見舞いに行き、「行政をたよりましょう」と説得してくれた。母は「そんな、世間様にご迷惑をおかけしては…」とひたすら遠慮したが、先生よりも、中田の両親が熱心に説得してくれたのだった。中田の父が母に言っていた言葉がみどりには印象的に残った。 「わたしら大人が迷惑かけあって生きていく姿を見せなきゃいけないと思います。うちの子もみどりちゃんもあかねちゃんも、そういう姿を見て、迷惑をかけられるステキな大人になっていくんです。もう時代はわたしらの時とは違うんですよ。次の時代をつくるのはあの子らですから」 お母さんはその言葉に納得したようだった。 お母さんの入院中、みどりたちは中田の母や水落の母に家事を手伝ってもらいながら学校に通うことができた。2週間後にお母さんが退院してからはまた3人で家で暮らせるようになったが、家事などを行政のサービスの人がやってくれることになった。本当にありがたい。みどりは、いつか「社会」の一員になって迷惑をかけられる人になろうと改めて「約束」を思い出すのだった。本当にありがたい。みどりは、いつか「社会」の一員になって迷惑をかけられる人になろうと改めて「約束」を思い出すのだった。