帰りのフェリーの中で新一は、自分の体験を秀美ちゃんに話した。 秀美は時折、涙を浮かべながら新一の話を聞いた。 「新ちゃん、大変だったんだね……帰ってこれて本当に良かった」 「でも、僕が、僕が太平洋戦争末期の大津島に飛ばされた事には、なにか理由があるはずなんだ。ただ、行って帰って来ただけでは歴史にとってリスクがありすぎる。多分……」 歴史の目的に新一は気づいていた。後は確かめるだけだ。 「何? どんな理由? 新ちゃんは何か歴史を変えたの?」 「それについては検証が必要だから、もう少し待ってくれるかな」 「えっ? うん。いいけど」 フェリーが徳山港に着き、下船が開始された時、あの高野という親子が目に入った。高野……高野……もしかしたら? 「秀美ちゃん、ちょっと待ってて」 そう言うと新一は高野親子の元に走った。 「すみません。高野さん。唐突で申し訳ないのですが、高野さんは今日、どうして大津島にいらしたのですか? 差支え無ければ教えていただけませんか?」 「えっ? あ、はい、祖父の命日なんです。亡くなって十年になります。戦争中、大津島にいた事があると聞きまして、私はお爺ちゃん子だったもので一度くらいは見ておこうと思いましてね。宮城から来ました」 高野は少し訝し気な表情であったが、丁寧に教えてくれた。 「その方は、貴方のお爺さんは、大津島で回天の整備兵をされていた方ですか?」 「えっ? そうですが……祖父を知っているのですか?」 「いえ、僕の祖父も戦争中、大津島にいまして。確か、高野という方とよく将棋をしたとそんな話を思い出したものですから」 「間違いありません。祖父は大の将棋好きでしたから。そうですか、奇遇ですね。失礼ですがお爺さんは?」 「元気とは言えませんが、何とか長生きしてくれています。祖父は回天隊員の生き残りです」 「それはそれは。あの、もしよろしければ、近いうち、お爺さんにご挨拶させて頂けないでしょうか?」 この話の流れでは、美緒ちゃん助けてるし、そうなるのも納得だが、高野君の話を新一は爺ちゃんから聞いていない。よって矛盾が生じてしまう。 「ありがとうございます。でもお気遣いは無用です。ですが、もしよろしければ、お爺さんの戦後の軌跡を教えて頂けますか? 祖父に伝えますので」 新一と高野はフェリー乗り場の待合室で十分程会話をした。 あの高野君は戦後、山口県の機械工場に就職し、結婚して男一人、女二人の子供を設けた。そして彼の長男は高校卒業後、宮城県で就職、結婚した。宮城県に家を構えた長男は、潤一さんが五歳の時に、父親をよび寄せ、同居に至った。お爺さんは温厚で面倒見が良く、優しい人だったという。また、とても器用で、潤一さんが小さい頃は竹とんぼや駒など、玩具も作ってくれた記憶があると話してくれた。 高野君。幸せな人生だったんだね。良かった。 「偶然、こんな偶然ってあるんだね。高野さんって、新ちゃんの話に出て来た人でしょ?」近くで話を聞いていた秀美は驚いた。 「うん、中学生くらいに見えたあの高野君。でも、偶然じゃないと思う。多分、必然」 「どうして? 偶然じゃないの?」 「多分だけどね。高野さんが今日、大津島に来なければあの事故は起きなかった。歴史としては、どうしても僕の意識を飛ばしたかったんだと思う。信じられないよね……」 普通の人にこんな事を言っても、頭のおかしな奴くらいにか思われないだろう。 「信じる。だって、あんな手紙見せられて、実際に同じ事が起きたんだよ。信じるなって言うほうが無理」 「うん、あっ、そうだ。今もまた歴史が変わったんだよ。秀美ちゃん。わかる?」 「えっ? 何か変わったの?」 「うん。僕の意識が飛ばされなければ、僕はこうして高野さんと話をする事は無かったはず。今この時間、この待合室にはいなかったと思う」 「あっ、そうか、ちょっとしたことで変わっちゃうんだね」 「でも、あくまでも仮説だけど、ちょっとした変化は歴史にとって想定済み。大筋が変わらなければ構わない。大筋が変わってしまう。または、大きな矛盾が生じてしまう時は、僕が経験したたぐいの事象を起こして、それを修正させる。爺ちゃん諸共、その末裔が消滅しそうになったのは、そのミッションが上手くいかなかった時の保険。歴史が掛けた保険かな」 「新ちゃん凄い、学者になったら?」 「えっ? そうだよね……バカみたいな話だよね……」 新一はまじまじと彼女の顔を覗き込んだ。調子に乗ってしまった。バカかと思われてしまったのか? 「ううん、馬鹿になんてしてないよ。ほんとにそう思ったの」 秀美は新一の訝し気な気配を察したのか、掌を大きく振って否定した。 「そうか、うん。秀美ちゃんは優しいからね」 「そんな事ないですよ」 「この事実を発表して、それを証明出来たら世界は大事だけどね。でも、誰も信じないだろうし、絶対に証明なんてできっこない。秀美ちゃん、さっき話した通り、僕達だって敗戦の事を誰にも伝える事は出来なかったんだよ」 「でもこの手紙は? 証拠にならない?」 秀美は手紙を取り出して新一に渡した。 それは予想していた事だった。だが、目の当たりにすると、やはり驚きを隠せない。 「見てごらん」 新一は手紙を開いて秀美ちゃんに見せた。 「何で……どうして……」 「多分、秀美ちゃんの意識に歴史が反応した。という表現が一番当てはまるかな」 そこに、相良少尉の文字は無く、ただ古い便箋があるだけだった。 「何故、相良君が松野美代子さんに、この手紙を託す事ができたのか? それは彼女が当事者だから。同じく、その子孫である松子さんも秀美ちゃんも、この手紙を読むことが出来た。その事を絶対に口外しないと解っているから。仮に口外しようとしても、それを阻止する力が働くはずだけどね」 「えっ……うん。お婆ちゃんは絶対に口外しちゃダメだって、そう言っていたのに……わたしが、こんな事いったから、こんな大事な手紙がなくなっちゃったの? ごめんなさい……ごめんなさい」 秀美は泣きだしてしまった。 「秀美ちゃん、意外と泣き虫なんだね。でも秀美ちゃんが泣くことはないよ。僕の予想では、遅かれ、早かれ、この手紙は読めなくなってしまうと思っていたから。でも、消えちゃったのにはさすがに驚いたけど」 「ほんとにごめんなさい」 「だから、秀美ちゃんのせいじゃないって。さっき秀美ちゃんはお婆さんから手紙を受け取ったのに、すぐ忘れてしまったって言ったよね?」 「うん。後で思えば、凄く不思議。なんで、なんでそんな大事な手紙の事忘れちゃったんだろう」 「松子さんが秀美ちゃんに手紙を渡すタイミング。それを秀美ちゃんが読むタイミング。それにも、歴史が。何と言っていいかわからないから僕は歴史って言っているけど、その歴史が関与しているんじゃないかなって思う。多分、タイミングを間違うと大きく歴史が変わってしまうか、矛盾が起きてしまうからだと思う」 「不思議……不思議すぎてわたし、よくわからない」 「僕だって、全然わからないよ。でも、僕の、いや、僕と秀美ちゃんのこの記憶。この不思議な出来事の記憶も、いずれ消えてしまうと思う」 秀美ちゃんには言わなかったが、意識がそう囁いた。そんな気がしたのだ。 「そんなの、悲しいな」 「うん、悲しい。僕は相良君の事を忘れたくない。でも、前を向いて歩かなきゃ」 秀美は黙って頷き、新一に抱きついた。 「秀美ちゃん……」 彼女の髪の香りが心地よい。あの時、もう二度と現世に戻れるとは思わなかった。そして消滅を覚悟した。相良君。君は僕の為に……相良君……忘れたくないよ……
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