爺ちゃんの時計
晴彦の過去

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「まっちゃん、ただいま。お客さん? 重いからちょっと手伝ってちょうだい」  美代子が自転車の荷台に括りつけられた木箱のロープを解きながら言った。 「美代ちゃん? 美代ちゃんだよね、俺だよ、靖彦。松下靖彦。美代ちゃん、変わらないなあ」  靖彦は、興奮のあまり杖を持たずに歩きだし、倒れそうになったところを松子に支えられた。 「えっ、靖彦君? ほんとに靖彦君なの?」  美代子は我が目を疑った。終戦後、靖彦が帰ってきたという噂を聞いた。だが、空襲で家族と婚約者を失った彼は千葉を出ていき、その後消息を絶ったのだ。死んだという噂もあった。  あの日、七夕空襲の前日、敏子は、靖彦と婚約したのだと言った。そして翌日、彼女は空襲の犠牲となった。あの日の敏子の笑顔が忘れられない。  終戦のあの年、何人かに、靖彦の行方を聞きまわってみたが、とうとう消息はつかめなかった。そして翌年の三月に美代子は長野に引っ越してしまったのだ。あれから二十年の歳月が流れた。  今、美代子の目の前にいるのは確かに靖彦だ。髪をバックに撫でつけ、立派な背広を着ているが、あのお調子者の靖彦に間違いない。敏子と同様明るくて、いつも冗談を言って周りを和ませていた坊主頭の晴彦だ。間違いない。  美代子の瞳から涙が溢れだして止まらなかった。それはまるで、戦争で止まってしまった時計がまた動き出したような感覚であった。  二人はお互い、自分達が過ごした戦後二十年間の歳月を語った。 「美代ちゃん、君も苦労したね……最後に敏子を、敏子を見送ってくれてありがとう……そうか、美代ちゃん、美代ちゃんに送ってもらえたのならよかった」  靖彦は泣いていた。声は押し殺していたが、しばらく下を向いて目にハンカチを充てていた。  戦時中、靖彦は陸軍の歩兵としてフィリピン戦線で戦っていたのだという。敏子からは、通信部だから前線には行かない。だから安心だと聞いていた。靖彦にその事を問いただすと、そう言えば敏子が安心するだろうと思ったからだと言った。  靖彦の話は壮絶だった。前線での戦闘は激しく、バタバタと仲間が死んでいく。敵の玉や大砲で死ぬだけではない。飢えて死ぬ者、病気で死ぬ者、傷口が化膿して敗血症で死ぬ者……正に地獄絵図だったという。ジャングルの中で補給が途絶え、食べるものが無かった事が一番辛かったといった。そして自分も右足に弾丸を受け、傷口が化膿していた。まともに歩くこともままならなかったので、死を覚悟したという。  終戦は戦地で知った。米兵がジープに乗って白旗と日の丸の国旗を携え、片言の日本語で戦争は終わったと言って廻って来た。最初は誰も信用しなかったが、その内、一人、二人と投降を始め、最終的に全員が投降して、捕虜として収容されたのだという。  靖彦は足に重傷を負っていた為、医務室で手当てを受ける事ができた。捕虜になる時に、全ての持ち物を捨てさせられて、素っ裸にされ、新しい下着とつなぎを支給された。その時、もう自害することも出来ないのだと悟ったという。  だが好機は訪れた。医務室で靖彦は、米衛生兵のスキをつき、並べられた医療器具を手に取って自害を図った。だがその衛生兵は、靖彦の腕を掴み、死ぬんじゃないと言った。靖彦は少しだけ英語が分かったのだ。  大戦前、靖彦の父親はイギリス人もいる貿易商の倉庫で働いていたので、多少英語が出来たのだという。その父親に英語を教えてもらった。父親が持っていた英語の本が読みたくて、独学で勉強した。その時は楽しくて、いつか外人と英語で話してみたいと思ったのだそうだ。なぜ、自分は英語が分かると言わなかったのか。そうすれば、本当に通信部等に配属され、前線に行く事は無かったのではないか。美代子がそう聞くと、通訳が出来る程ではないし、英語が少しわかるなんて言ったら非国民だと思われると思ったから、誰にも言わなかったのだという。  靖彦が、少し英語ができるのだと知ったその衛生兵は、盛んに話しかけてきたという。歳は靖彦より十歳くらい上だろうか、彼はゆっくりと分かりやすく発音した。半分程だったが、なんとか意味は理解できたという。  戦争は終わった。もう殺しあう必要はない。個人的に私は貴方が憎いわけではない。あなた方もよく戦った。だから、生きて故郷に帰りなさい。親は? 兄弟は? 恋人は? そんな事を聞かれ、片言の英語で答えたのだという。  その米衛生兵は、早く恋人の元に帰りなさい。私が手配してあげます。そう言ったのだという。  重症であった靖彦はその後、他の日本兵のように連日の取り調べを受ける事も無く、早々と日本の地を踏むことができたのだ。だが、あの時、あの衛生兵は、靖彦が英語を話せるという事を上官に報告しなかった。もし、報告していたら、誰よりも激しい取り調べを受けたはずである。  千葉空襲の事は戦地で聞いていたが、日本に帰るまで、家族や敏子の安否はわからなかった。 家族も敏子も亡くなっていた事を知った靖彦は、再度自殺を試みたが、あのアメリカ人衛生兵の事を思い出して踏みとどまったのだという。  自暴自棄に陥った靖彦は千葉を離れ、東京で数年、生きているとも死んでいるとも言えない生活を送っていた。持っていた金が尽きると、千葉の土地を売った。買いたたかれていくらにもならなかったが、どうでもよかった。その金が尽きたら今度こそ死のうと思っていたのだ。そんな時、古傷が痛みだし、とうとう歩けなくなって病院に運ばれた。そう言えば、あの衛生兵が言っていた。応急処置しかしていないから、ちゃんと治療しなければ歩けなくなると。  入院中、晴彦を献身的に看護してくれた貴子という看護婦がいた。晴彦は貴子のおかげで生きる希望を持ち直したのだと言う。  その貴子に偶然再会したのはそれから六年後、終戦から十一年目だった。二人は付き合い始めたが、貴子は、自分には十歳になる子供がいるのだと告白した。だが、それは自分の子供ではない。友人の子だと言った。靖彦はそんな事は構わないと言って、三人の奇妙な同棲生活が始まったのだという。  子供の名前は猛。瞳は茶色だが、髪は薄茶色、顔つきは日本人よりアメリカ人に近い。この子は貴子の友人である昌子の子で、たぶん終戦直後に付き合っていたアメリカ人の子だという。父親は子を認知することなくアメリカに帰ってしまった。二年前、昌子は突然、貴子の元を訪ね、この子を置いて行った。すぐ迎えにくるからと言って二年が経過してしまった。昌子の行方は今もわからないという。  その一年後に靖彦は貴子と結婚した。子供も生まれた。猛も自分の子供として育て、今は大学生だという。  六年前、貴子に進められ、僅かな元手でも可能な英会話教室を始めた。それがあたって、今に至るとの事だった。  松子も美代子の隣で、じっと靖彦の話に耳を傾けていた。 「まっちゃん、汽車の時間は?」 「まだ大丈夫よ。私、お林檎剥いてくる」 「そうね、忘れていたわ。じゃあお願いね」  その後も二人は学生時代の事など積もる話を続けた。 「松下さん。そのアメリカの衛生兵だった人は今どうしているか知っているのですか?」お茶を注ぎながら松子が聞いた。 「事業を始めた頃に私も調べた事があるのですが結局、消息は分からずじまいだった。出来れば生きているうちに会いたいと思っているのだけどね」 「もう一度探してみませんか?」 「えっ?」 「大学の友人で、そういうのやってくれそうな人がいます。以前にも遺品から、その人物を特定して、アメリカに送ったことがあると言っていました。わたし、聞いてみるので、詳しい事を教えて頂けますか?」 「構いませんが、そんな事お願いしてしまっていいのですか?」 「靖彦君、お願いしたら? この子おせっかい大好きだから」 「美代ちゃんと一緒だね」  そう言って靖彦は笑った。 「期待はしないでくださいね」 「勿論です。それよりこれから何処かに行く予定ですか?」 「いえ、下宿に帰るだけです」 「W大の近く?」 「はい」 「美代ちゃん、電話貸してもらえるかな」  松下さんは、自分もこれから東京に帰る。車で来ているので、送らせてくれないかと言った。美代子はそんな訳にはいかないと言って断ったが、松子はすでに乗り気そうだった。  靖彦を迎えにきた車は青いマツダファミリアの新車だった。  運転手は背の高い青年だった。彼は車を降りて二人に挨拶をした。まるで、ファッション雑誌からそのまま出て来たような美しい青年である。見たところ明らかにハーフだ。  彼が、先程の話に出て来た猛だった。M大学の二年生だという。これが、松子と猛の初めての出会いであった。

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