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 非常用持ち出しリュックに限界まで食べ物や飲み物を詰めて、あたしはチャリで駅まで飛ばした。ここからはタクシーだ。 「ゼロポイントまで! 急いでください!」  汚れた軍服に身を包んだあたしを、運転手さんが嫌そうな目でチラ見したのがわかった。乗車拒否されなかっただけマシだ。 「サバゲー、ってやつですか?」 「ああ、まあ……」 「本物の軍人みたいですね」 「あは、は」  本物の軍人じゃないけど、本物の軍服ですよ……。弾まない会話が止み、景色は徐々に山道になっていく。  行ったからって、どうなるものじゃないかもしれないけど。  また過去に行けるなんて確信してるわけじゃないし、行けるとしたってあの時代に行けるとも限らない。  経線上の、どこに飛ぶかだって定かじゃない。飛んだら全然違う場所の違う時代で、もっと最悪な事態に巻き込まれて、もう戻ってこられないかもしれない。  それでも、行ける可能性がゼロじゃないなら。  昇さんに会えるなら、助けられるかもしれない。  ううん!  助けなきゃ!  それに、まだ伝えてない。あなたが好きですって、言ってない。  伝えたい。  そして。  令和の日本を見たいって言ってた昇さんと、一緒に生きたい。だってあと1年ちょっとで戦争は終わるんだから。  そこまでなんとか生き延びれば、あとは戦後のどさくさであたしもあの時代の人間になって、東京オリンピック見て、一緒に歳をとるんだ。  晶は生まれ変わりだなんて言ったけど、あたしは。あの時代で、あの昇さんと生きたい。 「雨、降ってきましたねぇ。今日は雷雨らしいですよ」  運転手さんがまた声を掛けてきたけど、それに返事をする余裕はなくて。  徐々に波打ちだす窓ガラスを見つめて、早く、早くと心の中で車を急かしていた。 ***  ゼロポイントは観光スポットなんていっても、実際に来てみたらただの広場というか公園だった。  しかも遊具があるような公園じゃなく、ちょっと犬の散歩でもしようか、みたいなただの整備された緑地。  標識のところまで来たら人がいた。観光なら仕方ないけどなんか嫌だな、なんて思ったら晶だった。  鬼みたいな顔して立ってる。  ごめん、晶。  晶が昇さんの生まれ変わりなんていわれても、ピンとこないんだよ。  あたしが今、大好きで大好きで助けたくてしかたないのは、昭和19年にいる、昇さんなんだよ。 「行くな!」 「来ないで!」  叫ぶみたいな晶の声に、気持ちが揺らいだ。 『町田、やよが意識戻るまでの間ね、ずっと言ってたんだよ。こいつがこんな目に遭ってるのは俺のせいなんだ、って』  玲奈が言ってたあれは、もっと早く生まれ変わりを言い出していればってことだよね。  潮干狩りで遠くに行くなって言ったのも、あそこでタイムスリップすることがわかっていたから。 「弥生!」  あ……。  晶の顔、まるで渡河に失敗したときの昇さんみたいな表情。  一瞬だけ、晶と昇さんが重なって見えた。  もうこっちには戻らないって決めたのに、そんな顔されたら……。 「俺、さっき言いそびれたこと言いに来た!」 「え?」 「だから行くな!」  言いそびれたこと? 「俺は……っ――」  ピシャーーーーーッ!!  物凄い閃光と、まるで爆弾が落ちたみたいな音と地響き。すぐ側の標識に落雷した。  激しい雨の中で、標識が燃え上がる。  雨の飛沫と、炎と、煙で、晶が見えなくなる。  バチバチと焼ける音で、声も聞こえなくなった。  蒸し暑い……。 「ゴホッ」  あたしは煙を吸い込んでしまって、意識が遠のくのを感じた。  ああ。  火事は煙を吸って倒れるのが一番の死因だってテレビでやってたな。  だけどきっと、これでもしかしたらまたタイムスリップできる、そんな気がした。  お願い!  もう一度、もう一回だけでいいから。  昇さんのところへ!  遠のく意識の中、あたしはただ、それだけを強く願った。 ***  辺りは酷く焦げ臭くて、蒸れていた。  そうだ。落雷で……。  あたし、生きてる……?  横たわった体や手のひらに、不快な泥の感触。頬にはり付いた枯れ葉を肩で拭って、顔を上げる。  ここは……ゼロポイント?  違う、この臭いは、爆撃の……間違いない。戦場の臭いだ。  来れた、来れたんだ!  指の横を、ブローチみたいなメタリックの昆虫がのそのそと通り過ぎた。見上げれば、空に向かって高くそびえる樹々。鬱蒼と葉が茂って、あちこちにツタが絡んだ深い森。  遠くで、フルートみたいに透き通った涼しげな鳥の声がする。南の島ならどこも同じかもしれないけど、きっと。  信じよう。  自分を。  信じるしかない。  奇跡を。  立ち上がり、軍服の脚についた泥を払って、あたしは3度目の大地を踏みしめた。 ***  飛んできた地点が140度ちょうど。地図で確かめた距離は真横に直線で30~40㎞くらいのところだった。  目標のサルミはゲニムから北西のほうにあるから、その方角を目指す。磁石が合っていれば、この方向でいいはず。  問題は……昇さんが元気なら、もうかなり先まで歩いて行ってしまっていそうだということと、サルミまでは惨劇のトル川以外にもその手前に少なくとも4本、大きめの河があるということ。  そろそろ雨季が終わる時期みたいだけど、この湿りようをみるとまだまだ油断できない。  ひとりで渡河ができるのかということ。浮き輪も持って来るべきだったな。  玲奈と去年の夏に、インスタ映えとか言って色違いで買ったドーナツ柄の浮き輪が頭に浮かんだ。  インスタ、やってないけど。  映えもクソもない濁流の中で、坊主頭のあたしが可愛いドーナツに掴まってプカプカ浮かぶのを想像してしまった。  今はそんなのよりもっと、船についてるみたいな、岩に当たっても破けない実用的なやつが欲しいよ。  そんなこと考えたってしかたない。あるもので行くしかないんだし。  ……あたしの手には地図と磁石がある。だけど現在位置の目印になるものがない。  だから奇跡を信じて進むしかない。どうか昇さんに、会わせて……! ***  あたしが飛んだ地点は今さっきまで空襲に遭っていたようだった。あちこちから空に煙が昇っているのが見える。  少し歩くごとにゲニムから歩いてきたであろう人たちが斃れていた。  考えたくなかったけど、昇さんじゃないことを確かめるためにひとりひとり、顔を見て回った。  調べて、どんなところかわかっていたはずなのに、実際の現場は言葉なんかで言い尽くせるようなものじゃなかった。  最悪すぎて、気が遠くなりそう。  爆撃以前に果てたような人も少なくなくて、ウジの巣になりながら雨に打たれた頭の部分が白骨化している人もいた。  まだ、息がある人もいるけれど、目を合わすのもままならないほど衰弱して、かろうじて呼吸だけしてる、そんな人たち。  うわごとのようにお経を呟いている人や、あたしを見てサルミまで連れて行ってくれと縋ってくる人もいた。  だけどみんなもう大した腕力はなくて、あたしが軽く振り払うだけで折れ曲がるように崩れ落ちていった。 「ごめんなさいっ!」  死んでしまった人より、生きている人の方がものすごい異臭を放っている。  優しくしてあげたかったけど、何日も洗っていない体臭と排泄物の臭いが混ざって、強烈すぎて無理だった。  ゲニムの前に逝ったみんなはこんなじゃなかったから、もしかしたらまだ幸せだったのかもしれないとさえ思った。  あたしは昇さんに生きていて欲しいと思いながら、嫌なことも考えてしまっていた。  もし生きていても、さっきみたいな異臭がするような状態だったら?  寒気がした。  昇さんにじゃない。  無理かもしれない、なんて考えが頭をよぎった自分にだ。  鼻から、嫌な臭いが消えない。  頭から、嫌な考えが消えない。  べっとりと、湿った枯れ葉みたいにまとわりついて消えない。  ああもう!  ここまで来て、なに考えてるんだろう。気分を替えなきゃ。リュックをおろして、中からとっておきの一品を取り出した。 「冷たい……」  移動時間的にまだいくらも経ってないから、炭酸が喉ではじける。この時代も、ラムネとかあるよね? いかにも昭和っぽい感じするし。  冷蔵庫に2本入ってたから、ガラスが割れたら困るなと思いつつ持ってきた。昇さんに飲ませてあげたい。未来のお菓子もたくさん持ってきた。  ラムネが冷えてるうちに、昇さんに会いたい……。 ***  文字通り、いくつもの屍を超えて、あたしは歩き続けた。  途中、銃弾を受けて頭から血を流している人がいた。  近くに銃を持ったアメリカ軍がいるのかもしれないと思って、すごく怖かった。  もちろん今だって怖い。それでも進むんだ。明るいうちに、出来るだけ前へ行かなきゃ。  サルミの方角に、陽が傾いている。そっか。赤道より南にある島は、北を通って西に沈むんだ……。  赤くなる空にタイムリミットを感じて、ふと、思ってしまった。  俯いて、足が止まる。  昇さんの命日、つまり死んでしまった日は明日。でもそれって、明日の何時? 誰かと一緒にいて死んだの? それとも死んでしまってから、誰かが見つけた? だとしたら、もう死んでしまってる可能性だってある。  ぶんぶんと首を振る。  嫌だよ!  そんなの嫌だ!  ここまできたのに。振り払っても振り払っても、ネガティブな思考が頭から離れてくれない。  ニューギニアのことなんか調べなきゃよかった。知らなければよかった。  追い打ちをかけるように、絶望的な言葉ばかりが並ぶ画面を思い出してしまう。  ここへ来てから、死体ともう死にそうな人にしか会ってない。生きてる人はきっと、もうとっくに河を越えてどんどん先に進んでるんだ。  戦死報告書の日付が明日なら、昇さんが生きてたってさっきの人たちみたいに異臭を放って行き倒れてる頃だ。  奇跡なんか信じて、バカみたい。  あたし、何しに来たんだろう……。  そもそも、なんで会えるなんて思ってたんだろう。  こんなに広くて、ただ歩くだけでも迷子になりそうなジャングルの中で人探しなんて、最初っから無理だったんだよ。  涙が、あとからあとから湧いてくる。  瞬きをするたびにぽろぽろと、地面にこぼれ落ちていく。  なんの涙?  後悔?  淋しさ?  違う。  違わないけど、情けなさかも。  それから会うのが怖い。  さっき一瞬思ってしまった自分の考えが、本音なんじゃないかって。  昇さんを見つけられない不甲斐なさ、情けなさ、それに、死を前にして垂れ流す昇さんを見たら、それまでの気持ちが嘘みたいに消えてしまうんじゃないかって。  だって。  あたしはあの人たちを見て。  気持ち悪いって、思ってしまったんだ。  まだ会えてもいない昇さんに対して、会ったらこんなふうに思ってしまうんじゃないかなんて考えてる自分が情けなくて、そんな理由で探すのを躊躇ってる自分が恥ずかしい。  こんな気持ちじゃ、会えるとしたって会えないよ。 ***  結局、自分の気持ちのせいで目的を見失ったあたしは、あの後、どこへ行くでもなくただ、歩いて。  暗くなっても歩けるように灯りも持ってきたのに、それも使わず、食事もとらずに、日没とほぼ同時に寝袋を広げて眠りについた。  悪いことばかりが頭に浮かんでなかなか寝付けなかったけど、いつの間にか朝。  ……あたし、いつから眠ってたんだろう。  起きても、特にすることはない。  だけどなぜか歩いていた。  たった2週間足らずの生活だったけど、ここであたしは毎日、日の出とともに活動を始めて、歩き続けてた。  それが、間をあけた今でも、体で覚えているみたい。  昇さんは今日、死ぬ。  ううん、きっともう……。  よそう。  とにかくあたしはもう、また何かの偶然で戻れることがない限り、ここで死ぬんだ。  昇さんと同じ土の上で死ねるなら、それでいいじゃない。  なんとなく、そんなことをぼーっと考えながら、歩いていた。  昨日と違って寄り道をしていないから、どんどん進む。  進んだって意味はないけど。  進む理由がなくても、生きる意味がなくても、お腹は減る。  太陽が真上にきて、あたしはリュックからチョコクッキーを取り出し、噛り付いた。  昇さんと食べようと思って持ってきたけど、ちまちま食べる理由もない。  そう思って、サクサクとやけ食いみたいに何枚も食べた。 「弥生?」  え?  聞き覚えのある声。  そしてこの時代であたしをこの名前で呼ぶ人は、ひとりしかいない。  あたしが思うよりも先に、涙腺がその人が誰なのかを理解した。  瞬きもできずに見開いた目から、涙があふれ、頬を伝っていく。  涙を拭くのも忘れて、その声を反芻する。  弥生、弥生、弥生……  緊張で体がうまく動かなくて、あたしはスローモーションみたいにゆっくりと、少しずつ振り向いた。  視界の端に、軍服姿の男の人。  真っ直ぐに、立っている。  血を流してもいなくて、汚れてるけど、少なくともここまでは臭ってこない。  髪と髭が少し伸びてるけど、この彫りの深い顔立ち―― 「昇さん!」 「お前、戻ったんじゃなかったのか? 何しに、うわっ!」  生きてた!  生きてた生きてた生きてた!!  あたしは嬉しさのあまり犬みたいに飛び掛かって、昇さんを倒してしまった。  再会した昇さんはとても元気そうで、とても明日死んでしまうなんて思えないくらい。  あたしのみっともない心はこの際横に置いておいて、なんとしても昇さんに生き延びてもらおう、そう思った。

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