或る箪笥の一生
第一章 正子と実鈴の物語 (壱)

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「おばあちゃん、前にも訊いたけど、あの箪笥には何が入ってるの?」  孫が指を差した和室の隅に置かれた古びた和箪笥。何千年と受け継がれてきた家宝の一つである。 「前に言ったとおり、おばあちゃんにもわからないのよ」 「またそうやってはぐらかして……お母さんもお父さんも知らないって言うし」 「小さい頃に言われたこと覚えてる? あの箪笥には触っちゃいけませんって」 「そうだけど……」 「おばあちゃん、実鈴みすずがとってもいい子だってこと知ってるのよ」  不服そうな表情を浮かべている孫の頭を撫でると「今度は教えてよね」と、母親の手伝いをするために台所へと駆け出していった。  実鈴が熱心に見つめていた箪笥。そこに秘められた物語を知る人間は私だけである。そして、孫の実鈴に口伝する日が近づいていることを知る人間も私だけなのだ。  箪笥の秘密を受け継いだのは、義母が急逝する二日前の夜。冬が解け、燕の姿を町中で見かけるようになってきた春たけなわの候。三十五年前のことだ。  皆が寝静まった午後十時過ぎ。居間に呼ばれた私は、お盆に急須と湯飲みを二個乗せて廊下を進んだ。昼食時、家族で河原にでも行ってみようかと話していたところだったので、お弁当の打ち合わせだろうかと軽い気持ちで義母の待つ部屋に赴いた。 「お義母さん。正子まさこです」  部屋の前で座して声を掛けるも反応がない。五秒待ってからそっと障子を開くと義母の小さな背中が視界に入った。 「正子です」 「あら、まあ。気がつかなくてごめんなさい。入って入って」  入室を促されると、義母の対面に座した。 「呼んでおいてごめんなさいね」  頬を赤らめた義母がお茶を注いでくれる。 「ありがとうございます。あの、お話というのは?」 「箪笥のことよ」  義母の目線を追うように、私も箪笥に視線を移動させた。 「あれはね、代々受け継がれてきた大切なものなの」 「皆代みなしろの家宝だとか」 「この家とはあまり関係ないかもしれないけれど、そうね。ただ、家宝というのは違っているかもしれないわ。呪具だという説も聞いたことがあるわね。あることないこと尾鰭がついちゃって、真の使い道も未だ一人としてわかっていない。あなたがこの家に来てから、私が抽斗から何かを取り出す姿を見た記憶はある?」 「思い出せる範囲では一度もありません。私は触ったこともありませんし」 「そう。あの箪笥はね、所有者しか触れることも、開けることも出来ないようになっているの」 「それは、どういうことですか?」 「今夜話すことは他言無用。箪笥の秘密を知っている者は、今から二人になってしまう。それがどういう意味を指しているのか理解できるのは数日後のことかしら?」  目尻の皺を深くしてお茶を啜る義母が菩薩のように見えた。勧められるまま湯飲みを手にすると、彼女は訥々と語り出した。    二日後の明朝。義母は布団の中で静かに眠っていた。苦しんだ痕跡など皆無で微笑みを湛えていた。僅かに乱れた毛布を直すために右腕に触れようとして気づく。死後硬直によって固く握られた拳。右手の先を視線で探ると、箪笥の扉が一扇開いていることに気づいた。  義母の話を思い出す。 「箪笥の持ち主は一人だと決まっているの。誰が始まりなのかも決めたのかもわからない。ただ、所有者以外誰も開けられないということだけは周知の事実。あなたも聞いたことがあるでしょう?」 「はい。箪笥を開けると必ず誰かがあの世へ逝くから、一族の間では呪われた箪笥だと忌避されていると聞きました」 「その通りよ。けれど、誰も確認したことはないし真相を知る者も存在しない。遙か昔から噂だけが脈々と受け継がれているの。何故だかわかる?」  左右に大きく首を振る。 「箪笥の秘密は所有している者が次に所有する者へと口伝で引き継いできたの。どうやって持ち主を決めるかはそれぞれ違っているようだけれど、そうして一人だけに語り継がれてきたものだから、何も知らない人間が憶測で話を広げてしまったのね」 「はあ……」  義母の言っていることが全く理解できない。 「何を言っているのかさっぱりって顔ね。私もそうだったから。ただね、これだけは覚えておいて」  居住まいを正した義母に習うように私も背筋を伸ばす。 「箪笥の中には思い出せない、口にできない、形にできないモノがたくさん眠っている。それは後生大事にする為のモノではないけれど、何かを守る為であったり、理解しているだけであったり、とにかく取り出せないモノに変わりはないの」 「はあ……」  再び間の抜けた返事をしてしまう。 「生きている時は決して開けられない。持ち主以外は触れることさえ叶わない。今、オカルト話だと思ったでしょう?」  ふふっと口元を押さえて笑う義母はとても楽しそうだ。  図星を指された私は「すみません」と俯いた。 「いいのよ。あなたに伝えている私だって完璧に理解しているわけじゃないもの。ただ、死の間際になれば全てがわかるってことだけは理解してほしい」 「え?」 「さっき言ったでしょう? 所有者は一人しか存在しないって。そういうことよ」  穏やかに眠る義母は、自身の死期を悟っていたから私に伝承のことを教えてくれたのだろうか。力強く握られた右手。彼女は何を取り出して、何を手にしたのか。それは義母にしかわからない。 「一体何が眠っているのかしら」  孫がいた場所を見つめながら、所有者が変わる日を思った。

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