アスター
5・若さと老いと死

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「あ、きみちゃん! 今日も来たんだ~?」  エレベーターから降りると、たまたま廊下を移動していたレナコさんとばったり会った。とてもアンドロイドとは思えない柔らかな笑みに、つられて微笑んでしまう。 「私も梨川さん会いたいし、梨川さんも私に会いたいでしょうから」 「すっごいどや顔」 「あんなに話が合う人なんて、めったにいませんからね」  よそよそしさ全開のアンドロイドたちといるよりは、心が通じた同年代と話すほうが楽しいに決まっている。私はあと三年もない命だ。アンドロイドとの関係に骨を折るよりかは、自分にとって楽しいことや好ましいことに重点を置いて生きたい。このレナコさんは例外だけど。 「だって、きみちゃんって昔の話しかしないじゃない。そりゃ、梨川さんみたいにお年を召した人はいいけどね。若い人向けの話や、今の話は全然しないもん。なんでだろう。二十代で若くて昔の話しかしないのって――」  急に言葉が途切れる。レナコさんはバツが悪そうに顔をしかめてみせた。 「もしかしてきみちゃんって……」  探るような視線を感じる。私はしれっと首をかしげてみた。 「なんですか?」 「ううん、なんでもない。私が考えすぎなんだよね。ごめんね」 「いえいえ。なんだか最近、間違われちゃうんですよねぇ」  自嘲気味に笑う。嘘はあまりつきたくないのだが、ここは仕方ないと自分に言い聞かせた。 「レナコさん。ごめんねなんて言わないでください。私のほうが悪いんですから――」  そう言えたらどんなに楽なんだろう。つくづく出足でつまずいたなぁ。ホント、後の祭りだ。 * * * 「本当、スベスベで心底うらやましい」 「毎回やってますよね」  しかも今日は頬ずりまでしている。めちゃめちゃうっとりなされている九十一歳のお婆様。まあ、私も戸籍上は同い年の老婆なんだけども。 「もしかして嫌かしら?」 「嫌じゃないですよ。減るもんじゃないですし。それに、私と梨川さんの仲じゃないですかー」 「嬉しいことを言うのね。どれ、頭をなでてあげるから出しなさい」  周りから見れば、老婆が孫娘の頭をなでているように見えるのかもしれない。とても微笑ましい光景だ。私も悪い気はしない。お年寄りというのは年の離れた若者や子どもほど愛おしく想い、愛(め)でたくなるものだ。自分に好意的な人間には何かしてあげたくなるのが人情である。 「よく手入れされた髪よねぇ。白髪染めなんか必要もない濡れ烏(がらす)。若いっていいわね」 「褒めても何も出ませんよ」 「いいのいいの。私はきみちゃんが笑ってくれればうれしいのよ。……はあ、若いっていいわね」 「何かありました?」  梨川さんは少しの間黙って苦笑を浮かべていたが、やがて白状した。 「テレビを見てたら、からあげとビールの特集をしてたのよ。だから、思う存分満喫したいなと。叶わぬ願いだけどね」 「若いころはよく食べよく飲んだんですか?」 「それはもう。毎日帰ったらからあげ二十個に、どんぶり飯一杯。ビールや発泡酒は五リッター飲まなきゃ気が済まなかった」  今の細身の体からはともて想像できなかった。 「念のため一時期よ一時期。湾港作業員もしてたころもあって、タバコも一日で二箱以上は吸ってたし、缶コーヒーも四、五本は飲んでたかも」 「うわあ……不健康の塊ですね」 「かなり重労働だったから、せめてものの贅沢だったわ」 「普通の暮らしはできなかったんですか? どうして高収入とはいえ、男社会に飛び込んだんです?」 「お金がかかることをしてたから、仕方がなかったのよ」 「お金がかかることってなんですか?」と聞こうとしたが、梨川さんのほうが言葉の出が早かった。 「よく、テレビや医者が節制しないと長生きできないって言うけど、あれは個人的に嘘だと思うのよ。だって、私がこの歳まで生きながらえてるもの」 「生き証人が目の前にいると、説得力が増しますね」 「あと、いくら毒を喰らっても大丈夫な人間もいる。それに遺伝と運ね。親どころかご先祖様からもらった頑丈な体様様(さまさま)よ。さすがに今の体で飲み食いしたら、久々過ぎてショック死するかもしれないわ」  梨川さんは自分で大笑いする。いやあ、笑えない冗談なんですけど。 「あのね、きみちゃん。実は私……」  不意に真面目な顔になる梨川さん。背中にぞわりとしたものが走った。 「明日でちょうど余命三年なのよ」 「……」  突然の告白に何も言えない。というかなんて声をかけていいのかわからない。驚いて声も出せない私を置き去りにして、梨川さんは続けた。 「テレビで最近『短期的人生再設計支援手術』についてよくやってるじゃない? どうなのかなと思って」 「私に聞かれましても……」  もしかして訝しまれている? そうだよね。私も所詮、今を生きようとしてない。過去にすがって生きようとしている。過去の話をしているほうが心地よいのが本音だ。 「……ごめんね。貴女は昔話が大好きなお嬢さんだもの。手術を受けた人じゃ、ないものね」  別に正体をバラしてもいいんだけど、そのことでここに来れなくなるのはとてもつらい。最初から嘘なんかつかなければよかった。どうして偽名なんて使おうなんて思ったんだろう? あの瞬間の私は何を考えていたのか。……ただ、ここまで来たら吐いたツバは飲めないし、つける嘘はつき通してナンボって誰かも言ってたし。梨川さんと会って話せるなら、地獄に堕ちてもいいや。 「梨川さんは手術を受けたいと?」 「とても、悩んでる」  そりゃそうだ。手術の成功率は百パーセント! 五臓六腑が蘇る! 脳も特殊技術と自動手術(オートサージャリ―)で記憶をそのままに若返ります! ……などなど、今現在世間に出ている手術の情報はどれもこれもいい情報しかない。悪い情報の一つや二つなんか出てもいいはずだが、まったく出てこない。まるで情報統制でもしているかのようである。制度が始まったばかりというのもあるが、これから受けようとしている人たちにとっては不気味で、踏み出せない一因である。 「若返ったらいっしょに飲みましょうよ」  少し軽い調子で言ってみる。さっきの梨川さんの長生きの話ではないが、私だって若返り手術の生き証人だ。手術を受けたとは決して口外にできないけど、言葉で後押しすることはできる。もし梨川さんが手術を受けたら、私も正体を明かして残された時間を仲良く過ごしたい。仲の良い同年代の友人として、だ。 「ありがとう……きみちゃん。そのときは私のそばにいてくれるかしら?」 「もちろんですよ! 梨川さんの最期の瞬間までそばにいますよ」 「心強いわね。きみちゃんとなら、楽しく逝けそうね」 「ねえ、梨川さん。指切りしませんか」 「あら、懐かしいわね。いいわよ」  私の小指と梨川さんの小指が絡む。シワやシミがなくて艶やかな指とそれをひっくり返した対照的な指。けれど私の視界では、梨川さんの若かりしころの指が、ダブって見えた。それから軽いやり取りをしながら別れを告げる。去り際の梨川さんの笑顔がとてもまぶしかったのは、夕焼けのせいだったのだろうか。

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