しかし、そうは問屋が卸さなかった。家は、スピードを下げていきながらも、完全に動かなくなる前に、展示場の端に到達してしまったのだ。 そのまま、カーディーラーの敷地を飛び出す。そこより先は、背の低い草が生い茂る、急勾配の下り斜面となっていた。 家の転がる速度が、一気に上がった。 「ぐお……!」一寿は、走るスピードを上げた。 十数秒後、どしっ、という音がして、部屋全体に衝撃が走った。それからは、家の転がる速度が、目に見えて下がり始めた。 (なんだ……?)一寿は大窓の外の光景を確認した。 カーディーラーの後方、急勾配の斜面を下りた所には、ボウリング場があった。家は、それの敷地に辿り着いて、施設の右手を、ごろんごろん、と転がっている最中だった。 進路上には、ボウリングのピンを模した、高さ五メートルほどのオブジェがあった。数は十本で、上から見たら三角形になるように建てられている。 (やばい、ぶつかる……!) 心の中で、そう叫んだが、どうにも対処のしようがない。それから十秒と経たないうちに、家は、オブジェに突っ込んだ。 どがしゃどがしゃどがしゃあん、という音を立てて、ピンを左に右に薙ぎ倒しながら、家は突き進んでいった。 (どうせなら、この衝撃で、止まってくれ……!) そう願ったが、叶わなかった。家は、十本あったオブジェすべてを薙ぎ倒した後も、スピードこそ、かなり落ちてはいたものの、ころころころ、と転がっていた。 敷地の境界に立てられているフェンスを、がしゃあん、と破壊する。歩道に入り、そのまま車道に下りた。 アスファルトを横切ると、反対側の歩道に乗り上げる。それも越えると、ろくに手入れのなされていない、背の低い草が生い茂る地帯に突入した。 そこは、勾配の緩やかな下り斜面となっていた。ごろごろごろ、と、家が転がっていく。だんだんスピードが上がっていることが、リビングじゅうを走り回る一寿にも感じられた。 (ぐう……いったい、どうやったら止まるんだ?!)彼は、心の中で叫んだ。 その直後、体が、ふわり、と、宙に浮かんだ。 「うおっ?!」 思わず、手足をばたつかせる。周囲を、ばっ、と見回すと、小物類も、一寿と同じようにして、浮かんでいた。どうやら、家そのものが、自由落下しているらしい。 (何が起きている?!)彼は、大窓から外の光景を確認した。 ボウリング場の後方、道の向こう側に広がっている斜面は、途中で、高さ五メートルほどの、垂直な崖となっていた。家は、そこから飛び降りている最中だった。 そして、落下していく先には、スキーのジャンプ台があった。 「まずい!」 そう叫んでから一瞬後、家は、ジャンプ台の上部に、どしいん、と着地した。スターティングゲートを、どがあん、と破壊する。 ごろごろごろごろごろごろごろごろ、と、家は、アプローチを高速で下りていった。一寿はもはや、リビングを走ることなど、とうていできなかった。体が、他の小物類と一緒に、室内を転がり回るのに、抗えない。 それでもなんとか、死ににくいようにしよう、と思い、膝を曲げて身を丸め、頭を両手で覆った。それでも、体のあちこちが、床や天井、壁、小物類などと衝突した。左脛が、があん、と、何か硬い物にぶつかったり、右足が、ぼふ、と、何か柔らかい物に突っ込んだり、股間が、どごっ、と、何か重たい物で殴られたりした。 しかし、回転に翻弄されていたのは、わずか数秒のことだった。その後再び、リビングは無重力状態となった。 一寿は、体を丸めながらも、なんとか頭を上げ、大窓の外の光景を確認した。家は、空中を飛行していた。ジャンプ台から飛び出したに違いなかった。 「ぬおお……!」 さすがに、これほど大きなジャンプをしては、家は、地面にぶつかった衝撃で、崩落するだろう。そうなれば、一寿は瓦礫に埋もれる。圧死するかもしれないし、それは避けられたとしても、大怪我を負って、失血死なりショック死なりをするかもしれない。あるいは、それ以前の問題として、家が着地した時に、体が、床や天井、壁などに激突し、それで息絶えてしまうかもしれない。また、いずれの場合においても、仮に絶命しなかったとしても、重い後遺症が残る可能性がある。 (なんとかして、ショックに備えないと……!)彼は、逆さまになった部屋の中を、ふわふわ、と浮かんだまま、周囲を、さっ、さっ、と見回した。 近くの宙を、枕や掛布団、マットレスなどといった寝具一式が、漂っていた。 (あれだ!) 一寿は、右手を伸ばした。マットレスを、がし、と掴むと、ぐい、と手元に引き寄せる。 それを、広げたり畳んだりして、変形させる。最終的に、その中に自分の体を包み込んだ。これで、多少は衝撃を和らげられるはずだ。 一秒後、ばっしゃああ、という轟音が、鼓膜を劈いた。 そして、その〇・一秒後には、どしいん、という強い衝撃を、マットレス越しに、背中に食らった。 「ぎいっ!」 変な声が出た。マットレスを掴んでいる左右の手を、広げてしまいそうになる。必死に力を込め、握り締め続けた。 上方から、小物類が落ちてきたらしい。ぼとぼとぼと、という音とともに、軽い衝撃の連続を、腹のあたりに、マットレス越しに受けた。 すでに、無重力状態が失せていることを感じていた。また、家の回転も止まっていた。一寿が、今、寝転がっている面が、床・壁・天井のいずれなのかは、わからなかったが、ほとんど水平となっていることは、間違いなかった。 (妙だな……家は、さっき着地したんだろうが……それにしては、回転が、ぴたり、と止まった。てっきり、着地した後もしばらくは、慣性で移動し続ける、と思っていたのに……。 それに……何だ、さっきの、ばっしゃああ、という水音は? 家が落ちた所に、池の類いでもあったのか?) それからも一寿は、マットレスに包まったまま、その場を動かなかった。しかし、十数秒が経過しても、周囲の環境が変化したような様子は感じられなかった。どうやら、さいわいにも、家の崩落は免れたらしい。 (……そろそろ、外に出たほうがいいのだろうか? いや、でも、そうした途端に、タイミング悪く、家が崩れ始めるかもしれないし……) そう、考えを巡らせている最中に、一寿は突然、背中に、びちゃ、というような水気を感じた。 「わっ?!」 思わず、小さく叫んだ。マットレスの、一寿の背中が接している部分が、いつの間にやら、濡れているのだ。 「何だ?!」 一寿は、ばっ、とマットレスを撥ね退けた。周囲を確認する。 家は、ちょうど百八十度、ひっくり返った状態になっていた。床が天井の位置、天井が床の位置にあり、どちらもほぼ水平である。彼は、ドーム状になっている天井の、壁との境目より少し離れた所に、いた。左方にはダイニングテーブル、右方にはベッドがある。 「な……?!」一寿は、口を、あんぐり、と開けた。 天井には、水が溜まっていた。 目を凝らして、それの様子を、よく観察する。ドーム状である天井の天頂に、大きな穴が開いていた。どうやら、そこから、水がリビングに流れ込んできているようだ。 一寿は、大窓に視線を遣った。外の光景を確認する。
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