『なんでも屋』の西京無敵さん
第一話 死にたくなった若者・綾野透 8

 送られてきた住所には、親不孝通りと、そう記されてある。  親不孝通りは、福岡の中心地・天神に程近い繁華街だ。その名の由来は、昔飲み屋で聞いたことがあった。  なんでもひと昔前、通りにたくさんの予備校があって、夜な夜な若者たちがディスコへ繰り出していた。勉強もせずに、遊び飲み歩く親不孝者たちの町。故に、親不孝通り。  俺も、これからその親不孝者となる──  そんな親不孝通りまでは、タクシーを利用した。自宅アパートから歩き出してすぐにも、後ろからノロノロとタクシーが走ってきたので、ちょうど良いと乗り込んだのだ。普段はもったいないから決して乗ったりはしないが、人生の最後くらい奮発してもいいだろう。綾野は惜しむことなく運賃を支払った。  そうして歩くこと数分、路地裏を幾つか曲がったところに、そのビルはあった。白い建物で、比較的新しめ。なんでも屋のビルとは大違いだなと、心持ち気分が軽くなった。ビルへ入る。指定されたのは、四階の「七色内科」だ。死ぬ前に健康診断でもするのか? 死ぬ前に健康診断など、ちゃんちゃらおかしい話だが。  綾野は「まさかな」と、四階の「七色内科」へ向かう。  中はどこにでもありそうな内科の光景。外観と比べると、少しじめっと印象だった。陰鬱とした雰囲気で、受付に座っている女性は綾野が訪れたというのに「こんにちわ」のひと言もない。待ち合いには、誰もいなかった。白い看護服を着ているあたり、看護服なのだろうが。胸元のネームプレートには「桃乃」とある。  気を取り直して、綾野は受付の女性に「西京さんの紹介です」と告げる。女は俯いたまま、「伺っております」とだけ返した。無愛想な女だ。  数分後、「診察室へどうぞ」と受付の女性に案内される。綾野の不信感が、徐々に高まっていく。そんな綾野の気持ちなど知る由もないだろう彼女は、「どうぞ」と診察室の扉を開く。 「では、先に健康診断を始めますね」  本当に健康診断が始まった。 「あの、すみません」 「はい?」 「どうして、健康診断をする必要があるんですか?」 「どうしてって、健康状態をチェックすることに、いちいち理由が必要ですか?」  痛いところをつかれる。  ただ綾野が聞きたかったのは、「これから死ぬはずの自分が、どうして健康診断を受ける必要があるのか?」ということだ。  そもそもの話、彼女は俺のことについてどこまで知っているのだろうか? 「ちなみにですけど、」 「なんですか」 「西京さんから、なにか聞いてますか?」 「ええ。綾野さんが診察にいらっしゃるのでよろしくと、そう聞いております」 「他には?」 「大事な商品ですので、丁重に扱うように、と」  商品? 「では、無駄話もこのくらいにして。まずは採血から始めさせていただきます」  強制的に話は打ち切られ、女は淡々と健康診断を進めていく。「少し、チクッとしますね」と、腕に注射針を刺される。これが、とんでもなく痛かった。しかも刺す箇所を間違っていたのだろうか、「もう一度チクッとしますね」と悪びれもない様子で言ってくる。  これには、温厚な綾野もさすがに黙ってはいられなかった。 「ちょっと、さすがにこれはないだろ。あんた、それでも看護士か」 「看護士ではありません、桃乃です」 「なっ、あんたなぁ……」  言葉を失った。また、こんなにも適当そうな女でも医療従事者が務まるのかと、やる瀬無さを抱く。  これならまだ、俺が看護士になった方がマシかもしれない──  だが、それを今更言っても仕方がない。いろいろと思うところ、言いたいことはあったが、構うことの方がアホらしい。真っ赤に腫れた注射針の跡を、恨めしく睨むだけ。  その後二時間ほど続いた健康診断中、綾野が口を開くことはなかった。 「では、先生を呼んで参ります」  やっと健康診断が終わった。桃乃のぎこちなさがそうさせたのか、綾野はドッと疲れていた。  が、その疲れも、数秒後にはどこかへ飛んでいく。 「どうも~」  そんな声とともに、強い香水の匂いが綾野の鼻腔を刺激した。  綾野は、目を疑った。  七色の長髪に、厚化粧。俗に言う、オカマと呼ばれる見た目をしている。尚且つ異様だったのは、プロレスラーのようなガタイのよさだ。 「あら、良い男」  ハスキーボイスと、その異質な発言。だったらやはり、彼はオカマなのだろうか。 「聞いてるわ、無敵ちゃんの紹介ね」 「えっと、ああ……」 「色男だとは聞いていたけど、予想以上の上玉だわ。綾野透、名前も可愛い」  褒められることに悪い気はしないが、それがオカマだと話が違ってくる。 「あたしは『七色孔雀(なないろ くじゃく)』よ。よろしくね、透ちゃん」 「なないろ、くじゃく……本名ですか?」 「さあ、どうでしょうね」  発言に一々不安を覚える。  綾野は、西京無敵と初めて出会ったときと同様の感覚を思い出していた。怪しい。 「すみません、俺なにも聞いてなくて……これから一体、ここでなにをするんですか?」 「あら、無敵ちゃんになにも聞いてないの?」 「自分の口から教えられないと、そう聞きましたが」 「そう。なら、そういうことなのね」 「そういうこと、とは?」  孔雀は、真っ赤なルージュに染まった唇を歪ませた。言った。 「ちなみに、注射って好きかしら?」 「えっと、いえ、別に」  今しがた嫌いになりました、なんて言えるわけがない。 「じゃあ、打つものと打たないで済むのなら、どうする?」 「そりゃあ、打たない方ですが」 「そうよね。なるべくなら、打ちたくないはずよね」 「はぁ」  話の意図が見えないまま、孔雀は話し続ける 「でも、子供の頃を思い出してみて頂戴。予防接種って、必ず打たないといけないじゃない。どんなに、注射嫌いでもね。泣いて喚いても、結局は打つのよ。問題は、その過程ね。注射嫌いの子供に、『これから注射を打ちに行きますよ』って、透ちゃんなら伝える?」 「子供はいないので、その辺はよく分かりませんが、」 「そうよね。伝えないわよね、普通」  会話になっていなかった。 「だから今回も、そういうことよ。注射を打つという現実からは逃れられないけれど、その場に来てしまえば結局は打つ羽目になる。だってそのつもりがあってここへ来たんだもの、当然よね」 「すみません。一体、なんの話ですか……」 「だから、注射の話よ?」  と、孔雀はデスクに並んである銀トレイの、その中から一本の注射機を取り出した。 「大丈夫よ。痛みは、一瞬だけ。チクッとして、すっと、それでお終い」  綾野の全身に、電流が走った。 「……まさかそれ、毒、ですか?」 「まさか、麻酔よ。眠るだけ」 「眠るって、だから俺、これからどうなるんですか!?」 「だから、眠るだけよ」 「そうじゃなくて、眠った後のことを聞いてるんですよ!」 「どうしたのよ、透ちゃん。あなた、これから死ぬのよ? だったらその後のことを聞いたって、仕方ないじゃない」  その通りだった。俺は死ぬつもりで、ここへ訪れたのだ。だったら孔雀が言うように、その過程を気にしたって意味がない。  だが、しかしだ。 「じ、自分の結末くらい、ちゃんと知っておきたいんです……」 「まさか、怖くなっちゃった?」 「そ、そんなことはない」 「じゃあ、どうしてそんなに震えているのかしら?」 「それは、」 「だからさ、透ちゃん」  孔雀は、ニッと歯を出して笑う。   「あなた、これから死ぬんだって」  次の瞬間だった。孔雀はいきなり、綾野の腕首を掴み、捻り上げてくる。筋肉隆々とした、逞しい腕。その腕力に、綾野は堪らず屈服せざるを得ない。 「往生際の悪い男ね。でも、そういう感じも好きよ。泣き喚く男を痛ぶるのって、最高のカタルシスなのよね。だから、透ちゃんには特別に教えてあげる。大サービスよ?」  孔雀は、注射機を構える。注射針を、綾野の腕へと向けた。お次に、綾野の耳をぺろりと舐めた。囁くように、言った。 「眠っている数時間の内に、透ちゃんは生きたまま解剖されるの」  まさかと、綾野は自身の耳を疑った。 「眼球は約一二万、頭蓋骨と歯を合わせて約九万、肩は約四万、心臓と肝臓は約一千万、手と手首で約三万、脾臓と胃は約四万、小腸は約二〇万、腎臓は約二千万、胆嚢は約一〇万、血液一パイント約三万、肌一平方インチ約千円……これ、闇市場の大体の相場。競売にかけると、もっと値はつり上がるわ。焼肉と一緒よ。部位によって、肉の品質によって、値段は変動するものでしょ?  つまりね、あなたの命には数億は下らない価値があるの。一体どういう経緯でこの結果を選んだのかは知らないけれど、もったいないわね。どうせ死ぬのなら、体のどこかを売って、遊んでから死ねば良かったのに。  それか、あたしの彼氏になるか。月収五〇万で養ってあげてもよかったんだけど……はぁ、ざーんねん。無敵ちゃん、怒らせると怖いのよねぇ」  残念そうにため息を吐いた孔雀は、次に舌を出して見せた。  綾野は、「ひっ」と悲鳴を上げる。  孔雀の舌には、幾つもの穴が空いていた。 「……ま、まさか、あの人がこれを」 「さぁね? ご想像にお任せするわ」  穴の空いた舌の隙間に、綾野は社会の闇を覗いた気分だった。それは、紛うなき真の闇だった。深淵である。  不景気。低収入。リストラ。ブラック企業。介護。老後。孤独死──これまでは、それこそが社会の闇だと思っていた。でも結局、それらは「生きている」という前提があっての闇だ。つまりは、闇を闇だと識別できる思考が残されている。  でもどうだろう、俺はこれからその思考する「脳」を奪われるかもしれない。それら俺の体は、どこかの誰かの一部となるのか。生まれつき内臓疾患を患った子供の元へ、はたまたこの世の悦という悦を味わって尚まだ生きようとする大富豪の元か。行く先は分からないが、部位はたくさんあるのだ。いずれかの者には渡ることだろう。  俺が死を求めていたように、誰かが俺の死によって齎される恩恵を求めている。  深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている──  いつか聞いたそんな誰かの哲学を、綾野は今まさに心深いところで理解した。 「じゃあ、お喋りもこのへんにして。おやすみなさい、透ちゃん」  そして、終末の時はくる。  孔雀は綾野の袖を巻くり、血管に注射針を向けてくる。そんな死の直前、刹那だった。  綾野の考えが、一八〇度ぐるりと裏返った。  綾野は火事場の糞力にて、屈強な孔雀を突き飛ばす。「きゃっ」と、孔雀が悲鳴を上げる。綾野はそのまま、診察室を飛び出していた。命の診察は、もう充分だ。 「ほらね。なんとなく、こうなる気がしてたんですよぉ」  扉を出ると、カウンターに座っていた桃乃がウンザリとした溜め息を吐いた。後ろで一つに結っていた髪を下ろし、眼鏡を外している。そこで、綾野はようやく気がついた。  彼女は、俺と同じアパートに住んでいる隣人だ。化粧や雰囲気が違うから、全く気づかなかった。  ……一体、どうなってるんだ?  綾野は、勢いよく階段を降りていく。早く、ここから逃げ出さなければ。  でも、なんの為に?  逃げたところで、俺には行き場所なんてどこにもない。  だから、死のうとしたんじゃないか──  綾野の思考は、滑車を走るハツカネズミのようにぐるぐると回っていた。

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