『なんでも屋』の西京無敵さん
第二話 ペットがいなくなった女・佐藤久美 6

 余計な外出を控えましょう──  世の風潮からだろうか、夜の散歩へ出かける人が多くなった。それは福岡の街も例外ではなく、緊急事態宣言以降も夜の散歩を継続している者たちはたくさんいる。  久美と綾野も、そのうちの一人と二人である。補足があるとすれば、そこに一匹の豆シバが追加される。 「30歳になる頃には、寿退職して、子供も生まれて、ごく一般的な主婦となっているだろうって、そんなことを思っていた時期がわたしにもあったんですけどね」 「自分も今くらいの年齢の頃には、子供が二人いる予定でしたよ。予定は未定になってますけど」 「人生、うまくいかないもんですね」 「全く持って」  ここ最近の二人の話と言ったら恋愛話が専らだ。年代が近いということもあるのだろうか、恋愛に対する不安や願望がやけにマッチする。これがまた、仕組まれているかのように。 「綾野さんは、」 「はい、なんでしょう?」 「今、付き合っている方とかいないんですか?」 「もちろん、いませんよ」  内心ほっとしている久美。気持ちを悟られぬよう、慎重に言葉を選びながら話し続ける。 「もちろんって、諦めムードですか?」 「諦めてはいないんですが、こんな自分と付き合ってくれる人がいるのか、どうか」 「意外と奥手なんですね。綾野さん、イケメンだからどんな人とでも付き合えそうですけど」 「そんなこともありません。多分それ、単なる先入観だと思うんですよ」 「先入観?」  綾野は頷いて、 「例えば、髪を明るくしていかにも遊んでいそうなパリピの女の子ほど、意外と彼氏に対して一途だったり、将来を真剣に悩んでいたり」  朱美がそうなのかもしれない。あの子の学生時代の見た目は、典型的なギャルそのものだった。また高校を卒業したら、彼との子供が欲しいと熱く語っていた。結果的には高校を中退し子供を産む形となってしまったけど、でも彼に対する一途な思いは当時から今なお健在だ。    久美は相槌を打った。 「ああ、ですね」 「でしょう? またその逆もあって、真面目そうでおしとやかな子ほど、裏ではたくさん遊んでたり、彼氏をとっかえひっかえしてたり。そんな風に、相手を勝手な枠組みにはめているだけだと思います。てもそれ、よくよく考えればおかしな話じゃないんですよ」 「どういう意味ですか?」 「えっと、仮にも自分のような普通の男が彼女を欲しがっていたとして、相席居酒屋に行ったとしましょう」 「相席居酒屋って、出会い形居酒屋みたいなとこですよね?」 「そうそう。そこでですよ、先ほど例に挙げた二人と出会ったとします。その場合、自分だったらですけど、遊んでいそうな子ほど無理だろうから身を引くだろうし、遊んでなさそうな子には自分でも大丈夫かなって、アプローチすると思うんですよね」 「なるほど、確かにその通りかもしれません。じゃあ、綾野さんはイケメン過ぎて逆にモテないって、そういうことですね」 「困る質問だなぁ」  綾野は、頭を掻きながら苦笑い。 「まあ、とにかく自分はモテません」 「でも、選んでるってのもあるんじゃないですか?」 「うーん、否定しません。そう言う佐藤さんは、どうなんですか?」 「ノーコメントで」 「なんですかそれは」 「ふふふ、まだ教えません」  まだ──その曖昧な言葉には、久美の綾野へ対する思いが込められていた。『まだ』とは、これからがあるからという意味。そして久美は、そんな『これから』を綾野となら歩めそうな予感がしていた。  また綾野も、自身に対して特別な感情を抱いているのではなかろうかという、そんな予感がしないでもなかった。でなければ、意識していない女とこうして会ってくれることもないだろうし。  そうあって欲しいという、綾野への願望でもある。 「こいつは、そんなの関係なさそうですね。羨ましい限りです」  そう言って綾野は、プルの巻いた尻尾を見て笑った。リードを握っているのは綾野。久美よりも、綾野がリードを引いた方がプルは元気に歩く。 「ふふ、綾野さん、すっかりプルにメロメロですね」 「はははは、かもしれません」 「プルも、わたしよりも綾野さんといる方が嬉しそう……なんでかな」 「どうなんでしょうね。ただ、自分もプルちゃんに会えて嬉しいから、その思いが伝わっているのかもしれません」  綾野のその発言に、久美の気持ちが妙にざわつく。その言い方では、まるでプルに会いに来たみたいではないか。  と、次の瞬間だった。 「ちなみに、なんですけど」  綾野が突然、真面目な瞳を、雰囲気を醸し出した。尋ねてくる。 「最近、プルちゃんにちゃんと構ってあげてますか?」 「えっと……まあ、はい」 「本当ですか?」  久美は黙ってしまう。「もちろん」と断言できるほどの構い方は、していない。むしろ、最近はゲージに入れたままの日が続いていた。  そんな久美の態度から、なにかを見透かしたのだろうか、 「自分も、あまり犬には詳しくないんですけど……」    綾野はしゃがみ込むと、リードを手繰り寄せプルの体を抱いた。お腹周りに腕を回し、肉球を久美へと見せる。 「爪、伸び切ってますよ」 「あっ……ほんとだ」 「子犬とは言え、こんな爪でじゃれあったら腕に引っ掻き傷が残ります」  と、綾野は袖をまくり腕を見せる。治ってきているが、赤い傷口線が肌に走っていた。「この前ついた傷です」、と。 「佐藤さんは、ありませんよね。傷」  あるわけない。触ってもいないのだから。  途端に居心地の悪くなった久美は、正直に白状することにした。 「ごめんなさい。実を言うと、最近はあまり、構ってあげられてなくて……嘘をついちゃいました」 「あー、いえ、忙しいのなら仕方ありませんよ。それに、犬の気持ちなんて我々には分かりませんから、本当は『ほっといてくれ』と思っているかもしれません。自分はただ、プルちゃんが寂しそうに見えたから構ってあげてるだけで、言ったらそれすらも先入観なんですよ」  綾野はプルの顎を撫で回す。プルは心地よさそうだ。 「でも、どうなのかな。佐藤さん、プルちゃんは自分のことを嫌がっているように見えますか?」 「いえ、むしろ喜んでいるような、そんな気がします……」 「うん、自分もそう思います。ここ最近、プルちゃんと心を通じ合ってきた気がするんですよ。プルちゃんも、なにも考えていないようで、ちゃんと人の顔色を伺っているんですかね。だから、もしもですよ、佐藤さんがプルとの距離を感じているとするならば、プルもまた、佐藤さんとの距離を感じているんじゃないのかな」  痛いところを突かれてしまい、返す言葉もなかった。実際、久美はプルが見つかったことよりも、最近は綾野のことで頭がいっぱいであった。また、プルが以前のように自分に対してあまり懐いていないような気がして、自ずと距離を取っていた。そしてあろうことか、その恋のキューピット役としてプルの存在を利用しようとした。  綾野とも仲良くなれる。プルも元気になる。わたしも幸せを感じる。皆が『win─winな関係』だと、勝手にそう判断した。  かつては、プルを娘のように可愛がっていた。毎日毎日、プルのことだけを考えていた。それこそ綾野を思うようには、どうやったらプルが懐いてくれるだろうかと、試行錯誤の連続だった。  それなのに、わたしは── 「もしかして、余裕がないんじゃないですか?」 「えっ」 「ここ最近の佐藤さんを見ていたら、なんだか心配で。プルちゃんに構えないほどの悩みを、抱えているんじゃないのかなぁーと。それこそ、恋愛とか」 「そ、それは……」  口籠る。あなたのことで悩んでます、なんて口が裂けても言える状況ではない。 「言いたくないのなら、無理に聞き出そうとはしません。ただ、これは提案です」 「……提案?」 「はい。もしも、佐藤さんさえ良ければなんですけれど……プルちゃんを、自分に譲ってはくれませんか?」  雷に打たれた気分だった。  綾野は笑っていない。久美を見つめる綾野の目は、本気だった。そのくせ、プルの背中を撫ぜる手つきは優しい。 「非常に身勝手な話なんですけれど、自分は、プルちゃんのことが愛おしく堪らないんです。なにをしていても、プルちゃんのことばかりを考えてしまって、お恥ずかしい話ですが。ですので、もしも佐藤さんにその気がないのであれば、自分にプルちゃんを譲って欲しいんです」 「そんなこと、急に言われても……」 「そうですよね。ただ、考えておいては欲しいんですよ。もちろん、タダとは言いません。先日いただいた依頼料の五〇万を含めて、見合った金額をお渡し致します。佐藤さん、自分は本気です」  そのあたりで、久美はやっと気付かされた。  綾野はなにも、自分に気があったわけではない。  ただ純粋に、プルのことを求めていただけなのだ──  自身の不甲斐なさを感じる一方で、綾野に裏切れたさえ思ってしまう。そんなことを思う権利など、ないはずなのに。勝手に勘違いし、舞い上がったのは自分自身だ。  悔しい、情けない、悔しい── 「佐藤さん、いかがでしょうか? プルツーを、自分に譲っていただけませんか?」 「綾野さん……」 「はい」 「プルツーでは、ありません」 「えっ! あ、すみません」 「もう、気分は飼うつもりだったんですね。プルツー……プル二号って、そういう意味ですか?」 「あの、そういう、つもりでは……」 「名前まで付けちゃって。まさか、プルを攫ったのは綾野さんだったりして」  綾野の顔はギョッとする。  もちろん、本気でそんなこと思っているわけではない。悪態の一つや二つ吐いておかないと、綾野と向き合う精神を保てないのだ。女は感情的という世間の風潮も、今なら容易で肯ける。 「プルを、返してくれますか? お願いします」  綾野は「ああ……」と、名残惜しそうにリードを離した。プルはなにも分かっていないのか、呑気そうに舌を出して散歩の続きを待っている。  久美は溢れ出す涙を拭いながら、プルの体を優しく抱きかかえた。 「ごめんね、プル……ごめんね」 「さ、佐藤さん」 「さよなら、綾野さん。ごめんなさい」  久美は逃げるように、その場を後にした。  最後の『ごめんなさい』は、誰に対しての『ごめんなさい』なのか──それに応えたのは、小さな声で鳴いたプルだけだった。

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