『なんでも屋』の西京無敵さん
第一話 死にたくなった若者・綾野透 7

 人生最後の三日間は、瞬く間に終わりを迎える。  結局、綾野は初日に斎藤と飲みに行っただけで、残りはほとんど家の中で過ごしていた。  昨日は最後の晩餐ということもあって、たくさん食材を買い込み料理に情熱を注いだ。飲食店に長年勤めていたこともあり、料理には幾らか自信はある方だ。約一ヶ月ぶりに握った包丁やフライパンは、綾野の手に良く馴染んだ。楽しくなってきて、つい作り過ぎてしまう。そのときふと、気付かされた。  あれ、俺ってもしかして、料理が好きだったのかも──  今更が過ぎる。  迷惑だと思ったが、綾野は隣人にお裾分けへ行くことにした。最近は自暴自棄となり、奇声を発したり壁を殴ったりといろいろ迷惑をかけた。そのお詫びも兼ねて、である。 「ごめんなさい。こういうのは、ちょっと。気持ち悪いんで」  辛辣なお断り。しょうがない。隣人の男がいきなり料理を作り過ぎたと現れたら、誰だって警戒する。それに隣人は、これがかなり可愛い女の子だった。女子大生だろうか。なんだか、これまでの全てに申し訳なく思った。  もしかしたら、俺がまともなら、彼女と恋に発展する可能性もあったりして──なんてな。  そんな、他愛もない三日間。  もっと他にやることがあっただろうに。  綾野はつくづく自身に呆れてしまう。だけど心の片隅で、これはこれで充実した三日間だったかもしれないと、そう思う自分も確かに存在していた。  これまでは、パチンコに行って、負けようが勝とうが馴染みのラーメン屋で晩酌して、ただ眠るだけだった。別にそれが悪い休日だったとは言わないが、虚しさは感じていたのだ。だが、この三日間に、その虚しさはまるでなかった。  なんの変哲もない日常も、悪くなかったのかもしれない。少しだけ、名残惜しい。だがこれも、死というゴールが見えているからこそ芽生えた感情なのかもしれないが。  そうして訪れた、人生最後の朝。  最後に親へ連絡を入れようか迷ったが、結局なにも言わないことにした。覚悟が揺らいでしまう、そんな気がしたからだ。代わりに、「いままでありがとう」と短い書き置きだけを残す。遺書を書いているという気分ではなかったが、綾野の目にはほんのり涙が滲んでいた。  手紙を書き終わって、押し寄せる感情の波にいくらか整理がついてきた頃合い。タイミングがよいのか悪いのか、電話が鳴った。スマホのディスプレイには『西京無敵』との表示。  綾野は、通話ボタンをタップ。通話口へ、綾野は恐る恐る耳を添えた。 「おはようございます、綾野さん」  涼やかな声音。電話越しだと、西京の声はなかなかの美声に聞こえてしまう。 「どうでしたか、人生最後の三日間は?」 「なにも。普通でした」 「そうですか。普通の、素晴らしい三日間だったと、そういう意味ですかね」  綾野は「たはは」と、遣る瀬なく笑った。 「では、綾野さん。これからメッセージで住所をお送り致しますので、そちらへ向かって下さい。グーグルマップなどでは出ませんので、ちゃんとご確認下さいね」 「はい、分かりました。時間は、いつ伺えばいいですか?」 「外出の準備は済まされているのであれば、今からでも」 「大丈夫です」 「なら、こちらから連絡を入れておきます。受付の方に、『西京無敵の紹介です』と、そうお伝え下さい」 「はい。あと、ちなみになんですが」 「ええ、なんでしょう」 「これから行くその場所で、俺は死ぬんですか?」  西京は、 「さあ、どうでしょう。私の口からは言い兼ねます」  規則ですので、と言葉をはぐらかす。  その徹底ぶりには、プロフェッショナルささえ感じる。なんでも屋にはなんでも屋の美学があるだろうか。単に業務上仕方がないことなのかもしれないが。 「綾野さん、この度は当『なんでも屋』をご利用頂き、誠にありがとうございました。私からのご案内は以上になりますが、なにかご不明な点はございますでしょうか?」 「いえ、なにも。こちらこそ、親切に対応して頂き、感謝しています」 「とんでもありません。なんでも屋として、当然の対応をしたまでですよ。では、他になにもございませんでしたら、私はこのへんで」 「はい。じゃあ──と、すみません西京さん。最後に、聞いてもいいですか?」 「ええ、なんでしょう?」  綾野は、ずっと気になっていたことを聞いてみることにした。最後だから、もういいだろうと。 「その『西京無敵』という名前は、本名なんですか?」  西京は「えっ」と言葉を詰まらせる。それから数秒、沈黙した。  まさか、本名だったのか── 「……内緒です」  西京は笑って、そう言った。  また、それが西京の最後の言葉だった。通話がプツンと切れる。  なんだか、呆気ない最後である。こんなことなら、もっと彼のことを聞いておけばよかったと、綾野は僅かに後悔していた。  まあいいか──綾野は、くたびれたスニーカーへ足を通す。 「じゃあ、行ってきます」  誰もいない部屋に、綾野の声が虚しく木霊した。

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