僕の中の少年
僕の中の少年 第一章 「友達」 其之一

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   自宅から清流がきらきらと輝き流れる壇具川沿いをゆっくり十五分ほど歩いて行くと、緩やかな坂道の真正面に功山寺の総門が見えて来る。  功山寺は長府藩祖、毛利秀元の菩提寺でもある。  今でも土塀や武家屋敷が残るこの城下町は、古の優雅さがあり、僕のような子どもにも神秘的な何かを感じさせてくれていた。  石造りの階段を登り総門をくぐると、パチパチといった静電気のようなものが体中に走る。  鬱蒼と生い茂る樹木は山門まで続く道をまるで夕暮れのように暗くしていた。空は木々に覆われ、 風が吹くたびにざわざわと梢が鳴き、木漏れ日だけが地面に濃い陰影を作ってる。  何度来てもこのみちだけは別世界のように感じられた。  静寂に包まれた道を歩き、階段を登りきると、山門が目の前に聳え立つ。  僕は決して閉まることがないと思われる巨大な扉を眺めながら門をくぐった。と、同時に視界が開け、眩しい陽光が僕の目を射る。  明るく広い境内に足を踏み入れると、青い空はどこまでも高く、今が秋なのだと改めて感じることが出来た。仏殿の脇にある小道を更に登って行くと、山頂まで続く広大な墓地が現れる。  僕の家のお墓は山頂付近、一番奥深いところにあった。  年老いた祖父母はこの山道を登ることが困難になり、自営業を営み忙しく働く両親は、宗家の長男坊である僕にしばしばお墓参りを頼んだ。  そのころの僕は遊び盛りのやんちゃ坊主。  親からの頼まれごととはいえ、功山寺の山道を登りお墓参りに行くことくらい何の苦でもなかった。  風呂敷にお線香とロウソク、マッチなどを包み、供花を抱えた僕はのんびりと山道を登って行った。  山頂へと続く道の途中、何箇所かに涌き出る清水を貯めた小さな井戸がある。僕はお墓から一番近い井戸でバケツに水を汲み、えっちらおっちらと歩く。  ようやくお墓の前に着くとバケツいっぱいに汲んだ水は三分の二ほどに減っていた。 「あとで又、汲んでこないとな」  僕は着ていたシャツの袖を捲くりながら呟いた。  早速、お墓の隅に置いてある竹箒や束子などを使いお墓の周りを掃き清め、墓石を磨く。再度水を汲みに行き、仕上げに墓石の上から清水を掛けた。  道具を片付け、新しい供花を活けてから風呂敷を広げる。  ロウソクに火を灯し、お線香を点け墓前に供えた。  出掛けに祖父から渡されたワンカップ大関は、言われた通り半分ほどを墓石の隅に掛けてからお供えする。  その場にしゃがみ込みこんだ僕は両手を合わせ、墓前に向かい般若心経を唱える。  静寂の中、僕の唱える般若心経だけが周囲に小さく木霊していた。  厳格で躾には人一倍うるさかった祖父は、忙しい両親に代わり僕の面倒をよく見てくれた。それは父にも、もう一人の孫でもある僕の姉にも無い、自分と同じ何かを感じ取っていたからだと思う。  祖父には何か不思議とも思える力があり、僕はそれをおっかなく思いながらも威風堂々とした彼に畏敬の念を覚えていた。 「お前の父さんにワシのような力は全く無いが、健太がそれを継いだのだなぁ」  祖父は誰云うとなくそう呟くと、僕の頭をよくぐりぐりと撫でた。  僕は祖父が何を言いたいのか、なんとなくだが分かっていた。僕自身、幼いときから自分だけに見えるモノがあった。両親や祖母、姉に言ってもまるで相手にされず、それを信じてくれるのは祖父だけだったからだ。  僕が六歳になったとき、祖父はおまじないと称して九字の切りかたと般若心経を教えてくれた。そして小学校の登校時と帰宅時、就寝前には毎日必ず仏壇の前で般若心経を唱えることを命ぜられた。 「何か、恐ろしいと感じることがあったら唱えなさい」と、祖父は厳しくも暖かい目で僕を見つめながらそう言ったのだった。   第一章 友 達(昭和四十七年)  お墓参りを済ませた僕は、空になったバケツを井戸へ返すため山道を下りはじめた。  下り道からは眼下に青い瀬戸内海と満珠、干珠といった緑濃い島が見える。お墓参りに来たとき、この風景を眺めることが僕の楽しみの一つでもあった。  青い瀬戸内海に浮かぶ白い砂浜のある小さな二つの島。  井戸のある場所からは殊の他、素晴らしい眺めになる。  井戸に着いた僕はバケツを置き、井戸端に腰掛けその雄大な景色を眺めていた。 「今日はお墓参りに来たのかい」  背後からしわがれた声が聞こえた。振り向くと、時々ここで出会うことのある老人がにこにこと微笑みながら立っていた。 「こんにちは。今、済ませてきたところです」  僕は軽く会釈しながらそう答えた。  この老人は、今年の夏休みの宿題だった水彩画をここで描いているとき、初めて現れた。それからはちょくちょくと出てきては色々話し掛けて来る。 「そうかい、そうかい。坊主のご先祖様も喜んでおるじゃろうな。ところで、今日は絵を描かないのかい」  白髪に皺が刻まれた顔をくしゃくしゃにしながら老人が笑う。 「はい。今日は道具も何も持って来ていないですから」  老人はうんうんと頷いた。  着ている服が透け、向こう側にある墓石が見てとれる。 「又、坊主が絵を描いていたら見に来るよ。おまえさんの描く絵は優しくて、わしゃあ好きなんじゃ。そうじゃなぁ・・・今度は今日のように凪いだ海を描くとええ。海の蒼と空の青を丁寧に描き分けてな」  老人が眼下に見える青い海を指差して言った。僕は指された海を見遣る。 「そうですね。今日は本当に海が穏やかで、透きとおるような蒼色ですね」  そう言って振り返ると老人の姿は消えていた。  見えるモノにも害を為すモノとそうでないモノがある。  僕の力は幼少の頃に較べると敏感になり鋭利さが増していた。それでも祖父が言うには、まだ子どもだから邪気のあるモノや、何かをして欲しいと思っているモノは寄って来ないだろうということだった。確かに祖父の言う通り、変なモノと出会うことはあまり無かった。 「さてと、境内を探険して見ようかな」  僕はズボンの尻をパンパンと叩き、墓地を後にした。  境内まで降りてきた僕は、手始めに長府博物館の辺りをうろうろし始めた。この頃、学校では知らない道や場所を探険して新しい何かを発見するといった「探険ごっこ」が流行っていた。御多聞に漏れず、僕も新しい何かを発見してみたかったのだ。  長府博物館の周りをくまなく探険してみたがこれといった発見はない。 「次、行って見よう」  僕は一人、探険隊の隊長になったつもりで高杉晋作像のある場所へと向かった。  像の背後には大きな倉があり、何かを見つけられそうな雰囲気があった。まずは倉の裏側から探険を始める。  屋根を見上げ、壁や格子のある窓など至る所を探して見たが、倉の付近には何もなかった。入口には鍵が掛かっていたので中へ入ることも出来ない。仕方なく高杉晋作像の所へと戻って来たときだった。 「何やってるんだい」  どこからか声が聞こえた。僕は辺りを見廻したが人の姿がない。 「こっちだよ、こっち」  声のする方へ目をやると、僕と同い年くらいの男の子が馬に跨る高杉晋作像にへばりついていた。 「うわぁ、危ないよ。そんなところに登って落ちたりしたら大怪我するよ」  僕は彼の姿を見上げたまま降りてくるように手招きした。  彼は小さく頷くと、不安そうにゆっくりと足場を確かめながら降りてくる。台座まで降りてきた彼は「よっしゃ」と、掛け声を放つとそこから飛び降りた。    彼は体操でいう満点の姿勢で見事に着地した。僕は無事に降りてきた彼の姿にホッと胸を撫で下ろした。しかし、そんな僕の心配をよそに彼は何事もなかったかのように明るく話し掛けてきた。 「俺、北村晋也。晋也の晋は高杉晋作と同じ字なんだぜ。豊浦小学校の四年生なんだ。お前も豊小だろ?何年生なの」  晋也という子は人懐こそうな笑顔を僕に向けた。 「えっと、僕は矢野健太。三年生」 「ふぅん、健太か。健太は倉のところで何していたの」 「探険。何か珍しいものがないかなって探していたんだ」 「へぇ、探検かぁ」  一学年上の彼は、クラスの中で三番目に小さい僕よりはるかに体格がよかった。晋作像に登っていたときは遠目だった分、自分と同い年くらいに見えたのだろう。こういう大柄でやんちゃそうなタイプにはガキ大将が多い。  彼もそうなのかなと、僕は少し距離を置いて話をしていた。ところが、彼はいきなり照れ臭そうな顔をすると僕の肩をポンポンと叩いた。 「さっき、声掛けてくれてありがとな。晋作像に登ったのはいいけど、どうやって降りようかって考えていたんだ。下に健太がいてくれたお陰で、安心して降りることが出来たよ」  彼はポケットから飴玉を一つ取り出した。 「これ、あげるよ。健太も俺のこと、晋也って呼んでいいぜ」  彼はにこにこ笑いながら僕にソーダ味の飴玉をくれた。 「健太が言っていた探険、俺も仲間に入れてよ。もっと色んなとこ探険してみようよ」  人懐こく、気の良さそうな笑顔を見て僕は安心した。口ぶりにも横柄さがなく、ガキ大将にはとても見えない。それに探険も一人より二人のほうが楽しいに決まっている。僕は彼と一緒に探険ごっこをして遊ぶことに決めた。 「いいよ。じゃあ、隊長は晋也君がやってよ」  僕の隊長という言葉が嬉しかったのか、彼は頭をボリボリと掻いて見せた。 「よし。じゃあ、隊長として総門のほうまで降りることを提案する。あの辺りってさ、ちょっと他と違うような雰囲気があるだろう。きっと何かがある筈だ」  彼は山門を見下ろし「行こうぜ」と、駆け出した。  僕は大きな声で「隊長、待って下さい」と、彼の後を追って走り出していた。  その日は夕方近くまで功山寺の広い境内を彼と探険して廻った。これといった成果は無かったのだが、彼は境内の中を驚くほど知り尽くしていた。  僕の知らない裏道や抜け道、そしてとっておきの秘密の場所といったところまで教えてくれた。  涌き水が溢れ、小さな小川になっているところではメダカを見つけたり、林の中で季節外れの玉虫を捕まえたりもした。  彼は決して無茶なことはせず、後を付いて歩く僕のことを気にしながら探険をしてくれた。姉よりも兄が欲しかった僕はそんな彼のことを頼もしく思い、安心して遊ぶことが出来た。  陽が沈みそうになる頃、僕たちは晋作像のところまで戻って来ていた。 「もうすぐ五時だな。健太も帰らないといけないだろ?陽が暮れるのが早くなったからすぐに暗くなっちゃうぜ」  彼は青紫色に染まりはじめた空を見上げていた。 「うん。そろそろ帰るよ。今日はとても楽しかった。ありがとう、晋也君」  僕が嬉しそうに笑うと彼は鼻の下を人差し指で擦りながら、えへへとはにかみ、「俺の家、この先にあるんだ」と北門を指差した。  北門から小さな路地を登って行くと何軒かの家屋があることを僕は知っていた。 「なんだ。どうりで境内の中をよく知っている筈だね」  彼にとって功山寺の境内は遊び場でもあり自分の庭のようなものなのだろう。 「又、来たときにでも表札を捜してみてくれよ。北村って家があれば、そこが俺の家だ」 「分かった。捜してみるよ。又、遊ぼうね」 「ああ、必ず呼びに来てくれよ。じゃあな、バイバイ」  彼は大きく手を振りながら北門に向かって駆け出した。僕も大きく手を振り、それに応えた。彼を見送ると僕は功山寺を後にし、五時の鐘が鳴り響く逢魔が時の壇具川沿いを走って家まで戻った。  家に帰った僕はすぐに両親と祖父にお墓参りの報告をした。  両親からお駄賃の二十円を貰い、貯金箱に入れたあと夕食前に祖父と一緒にお風呂に入った。  風呂場で背中の流し合いをしていると祖父がポツリと呟いた。 「健太がお参りに来てくれたと、ご先祖様が喜んでいたぞ。酒も美味かったそうだ」 「本当?じゃあ又、お参りに行くよ。あそこで友達も出来たんだ。北村晋也君っていう四年生の子なんだ」  僕は嬉々として今日知り合った彼のことを話して聞かせた。祖父はそうか、そうかと楽しそうに相槌を打ちながら僕の話に耳を傾けていた。体を流し終え、湯船に浸かっていると祖父が思い出したように僕に尋ねてきた。 「今日はあのじいさん、出て来たのか?」  祖父の何気ない一言は危険なことはなかったかということだ。 「うん。出て来たけど…僕が絵を描かないって分かるとすぐに消えちゃったよ」 「そうか、これで五回目位だな。まぁ、そのじいさんに害はないようだが、他のモノがお前と話をしたくて寄って来るかも知れないから、出て来たときは用心しろよ」  祖父はそう言って大きな手で僕の頭をぐりぐりと撫でた。その時、僕は晋也君のことがふっと頭に浮かんだ。  しかし、彼は絶対に違うと僕には思えた。探険をしているときに手を繋いだりもしたが、晋也君の手は暖かくちゃんと実体があった。紛うことなく人だ。こんな風に疑ってばかりいれば僕の周りは変なモノだらけになってしまう。  それでも祖父に尋ねずにはいられなかった。僕が絶対の信頼を寄せている彼の言葉は正しいものだからだ。 「晋也君は違うよね。変なモノとかじゃないよね?」  不安そうに呟いた僕を見た祖父はすまなそうな表情を作った。 「ああ、こりゃすまん。健太の友達のことを言ったのではないよ。お前が帰ってきたとき周りには何の気配もなかった。晋也君・・・かな?彼は人間だよ、間違いないぞ」  祖父のお墨付きの言葉に僕はホッと胸を撫で下ろした。折角出来た新しい友達。又、お墓参りに功山寺に行ったときには彼の家を捜しあて、一緒に遊びたいと僕は思っていた。  

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