僕の中の少年
僕の中の少年 第一章 「友達」 其之二

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 翌日の月曜日。   学校で偶然、晋也君と出会った。職員室に向かって渡り廊下を歩いていると、前から彼が何人かの友達とふざけあいながら歩いて来る。  僕に気付いていない彼に思い切って「晋也君」と、声を掛けると彼は歩を緩め僕の顔をまじまじと見つめた。 「あれっ、健太じゃないか。まさか学校で会うとは思わなかったよ」  彼は昨日と同じ屈託のない笑顔を僕に向けた。  僕達の通う小学校は一学年で十のクラスがある。一クラスに約四十人の生徒がいるので六学年を合わせると二千人以上が通うマンモス校だった。校内もだだっ広く、彼の言う通り同じ学年の友達でもクラスが違えば校内で出会うことも余りなかったからだ。  彼は一緒にいた友達に「先に行ってて」と言うと、僕の方を向き直った。 「昨日、すごく楽しかったよ。健太も今日は六時間だろ?一緒に帰らないか。裏門のあたりで待っていてくれよ」  僕の家と彼の家の帰る方角は途中まで一緒だった。 「いいよ。どっちが先に終わっても必ず待っていてよ」  彼が又、誘ってくれたことが嬉しくて僕はにこりと笑いながら返事をしていた。彼は小さく頷くと「じゃ、帰りに会おうぜ」と、手を振りながら友達の後を追いかけて行った。  何だかいい兄が出来たような気がしていた。  僕には全く無関心の姉とは違い、かまったりかまわれたりする男兄弟のような関係になれたらいいな思っていた。  下校時間になると僕はクラスを飛び出し、一目散に裏門へと向かった。  たくさんの生徒が帰路へと向かう姿を横目で見ながら僕は晋也君が来るのを待った。  十分ほど待った頃だろうか、「おーい」と言う声に振り向くと、彼が大きく手を振りながら駆け寄ってくる姿が見えた。 「ごめん、ごめん。帰りの会が終わらなくてさ」と、彼は息を切らせ立ち止まった。 「さ、帰ろうぜ」    僕のランドセルを彼が叩くとパンという小気味良い音がした。僕と晋也君は背中にしょったランドセルを揺らしながら裏門を潜りスクールゾーンへ飛び出していた。  住宅街を抜けると忌宮神社と乃木神社が帰路の途中にある。  晋也君はいきなり立ち止まると「健太、どこか探険でもしながら帰らないか?」と、二つの神社の鳥居を交互に指差した。 「うん、いいよ。じゃあ、忌宮神社にしよう。図書館とか溜池のある方に行こうよ」  僕はすぐに応えていた。この前のような楽しい探険が又、出来るのかと思うと胸がわくわくしたからだ。  意見が一致した僕達は道路を横切り、忌宮神社の鳥居を潜った。元々、学校帰りの寄り道は得意で、真っ直ぐ家に帰ることなど滅多になかった。今日は僕が境内にある秘密の場所や探険に適した溜池付近へ彼を連れて行ってあげようと考えていた。  だが、そこへ向かう途中、晋也君はまだ僕が行ったことのない林の中を探険してみないかと言い出した。  僕はまだその林に足を踏み入れたことはなかった。それは林の奥深い所から何か得体の知れない雰囲気を感じ取っていたからだった。  しかし、晋也君と一緒だということが気持ちを大きくさせていた。僕は一つ返事で頷くと、彼とともに薄暗い林の中へと入って行った。  落ち葉を踏みしめるガサガサという音が静寂の中に響く。  林の中にはボロボロになった服や錆びた空き缶、そして所々に何が目的なのか大きな穴がいくつも掘ってあった。枯れた井戸もあり、中を覗くと底は見えるものの、それは地の果てまでも続く深い闇のようにも思えた。  奥深い林の中程まで来ると、いきなり僕の首筋と背中に堪え難いほどの悪寒が走った。何か嫌な匂いと微妙な空気のズレを感じる。  その時、前方にある盛り土の中から得体の知れないモヤのようなモノがすうっと浮かび上がった。  空気の密度が明らかに違うねっとりとしたモノは空間に浮かんでいる。僕はごくりと唾を飲み込んでいた。 「ここら辺、幽霊が出るっていうウワサがあるんだぜ。健太はそういうの信じるかい?」  そのときだった。モヤのようなモノは明らかにその言葉に反応し、ゆっくりとこっちに向かってきた。  彼にもそれが見えたのかも知れない。  晋也君は何か言おうとしているのだが声にはならなかった。  只、前を見据えたまま口を開き、恐怖に怯える表情をしていた。 ― 危険なモノ ―  とっさに人差し指と中指を揃え、僕はそれに向かい大きな声で九字を切っていた。  その様子を晋也君があんぐりと口を開いたまま見ている。 「ここを離れるんだ。林の中から出るんだ、早く!」  僕は呆けたように立ち尽くす彼の腕を掴み、脱兎の如く走り出した。  九字を切ったせいなのか、そのモヤのようなモノはほんの少しの間だけ動きを止めていた。しかし、すぐに動き始めると僕達の後を追いかけるように付いて来る。僕は走りながら般若心経を唱えた。 「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見……」  走りながら唱えているせいか息はすぐに上がり、言葉が途切れ途切れになる。  だが般若心経は確実にそのモノに影響を与えていた。  動きが鈍くなり、僕達との距離は少しずつ離れていく。無我夢中で走り、林の出口である遊歩道まで辿り着くと僕は後ろをそっと振り返った。  モヤのようなモノの姿は何処にも見当たらず、薄暗い林の中には幾つかの煌く陽光が射し込んでいた。  鳥達の高い囀りが辺りに響き渡ったとき、僕は安心してその場に座り込んでいた。 「あれ、なんだよ…」  同じように僕の隣に座り込んだ晋也君が呟いた。彼は額に汗を浮かべはぁはぁと息を弾ませている。その目にはまだ恐怖に怯える色が浮かんでいた。 「分からない。只、よくないモノだと思う」  彼は震えながら何度も小さく頷いた。  晋也君にも見えたということは彼と波長が合ったのか、それともモヤのようなモノの力が強かったのか、それは僕にも分からない。  只、分かっているのはこれで晋也君も僕のことを『変な奴』とか『気味が悪い』と言って離れていくことだった。  幼い頃から僕と友達になった子は何度かこういう得体の知れないモノを見たり感じ取ったりすることがあった。  僕と一緒にいると怖い目に遭うと思ったのだろう。  何時しか僕の周りには友達と呼べる子は一人もいなくなっていた。  彼も又、そうなるのだろう。  そんな思いを抱えたまま僕が無言で立ち上がると、座り込んでいた晋也君は僕の顔を見上げていた。 「健太って…凄いんだなぁ」  僕は耳を疑った。 「え…?」と、呟いたまま身動きひとつしない僕に向かって彼は喋り始めた。 「健太が唱えたのって般若…なんとかって言うお経だろ。あと指を横と縦に交互に振ったりしたのも何かの御呪いだろ?凄いよ、お前。幽霊みたいなのを追っ払うことが出来るなんて」  晋也君はゆっくりとした動作で立ち上がるとズボンをパンパンとはたいた。  そしておもむろに僕の肩を抱くと、「色々教えてくれよ。俺、そういうの興味があるんだ」と、陽だまりのある明るい境内へと歩き出していた。    境内のベンチに腰掛けた僕達はランドセルを放り出して不思議な力のことを語り始めていた。 「じゃあ健太は小さい頃からあんなのが見えていたのか」  僕は幼い頃からの体験をかいつまんで晋也君に話して聞かせた。勿論、祖父の力も交えてだ。今まで僕のこんな話をからかうことなく真剣に聞いてくれたのは祖父以外、彼が初めてだった。 「晋也君は…気味が悪いとか、変な奴とか思わないの?」  僕は尋ねずにはいられなかった。どんなに彼が真面目に話しを聞いてくれていてもそう思われているのなら意味がないからだ。僕は晋也君の顔を見つめ、返答を待った。  彼は意外にもにこりと微笑み、僕の背中を一つ叩いてからそれに答えた。 「全然。俺、健太のことすげえなぁって思う。他の奴等が知らないようなことを知っている健太と友達になれて良かったよ」 「僕のこと、友達だって思ってくれるの?」 「当たり前じゃん。健太は俺の大事な友達だぜ」    そう言われたことで僕は恥ずかしくなり小さく頷くだけだった。  でも素直に嬉しかった。  僕の不思議な力を分かった上でそう言ってくれる晋也君は本当に信頼出来る友達なのだと素直に思えた。 「ありがとう…」  彼は僕の言葉を聞き、照れ臭そうに鼻の下を指で擦る。どうやら照れたときの彼の癖らしい。 「よせやい、礼なんていらないぞ。それよりさ、俺の話を聞いてくれないか?不思議な力がある健太の意見を聞きたいんだ」  晋也君は声を潜め、僕の目を見つめた。 「俺さ、幼稚園のときにお母さんが死んだんだ。それからなんだけど…お母さんが夢で出て来たり、仏壇にそれらしいものが見えたりするんだよ。お母さんなのかなって思っているんだけど。だから、健太にいいモノなのか悪いモノなのかを見てもらいたいんだ。俺、色々と調べたりもした。元々こういう不思議な力や不思議なモノっていうのに凄く興味があったから。な、力になってくれよ」  僕は驚いていた。まさかこの不思議な力が人の役に立つとは考えてもいなかったからだ。 「それは構わないけど…」  僕は口篭もった。役に立ちたいとは思うものの、何をどうしていいのかが分からない。しかし、晋也君は相好を崩していた。 「やった!じゃあさ、今から俺の家に来なよ。宿題も家でやろうぜ。教えてやるから」 「え、家まで行くの?」  彼の家まで行くのなら、やはり親に言っておかなければならない。事後報告だと叱られてしまうからだ。  僕が渋るような態度でいると、それを理解したのか晋也君は気が付いたように口を開いた。 「あ、そうだ。ウチの爺ちゃんに健太の家へ電話をするようにお願いするよ。爺ちゃんも婆ちゃんも友達連れてくると喜ぶんだ」  彼はランドセルをひょいと肩に掛けると「大丈夫、大丈夫。行こうぜ健太」と言いながら僕のランドセルを持ち上げた。ほんの少しだけ気が咎めたのだが、彼の嬉しそうな笑顔には勝てなかった。 「絶対に電話してくれるように御爺さんに言ってね」  確かめるように呟いた。彼の御爺さんが電話をしてくれるのなら親も納得するだろう。  すると心の片隅にあった、叱られるのでは、という不安が薄らいでいく。我ながら現金なものだなと思いながら僕は彼の後を追いかけていった。  土塀に囲まれた石造りの立派な門を潜ると、その奥には濃い緑に包まれた邸宅が静かに佇んでいた。  晋也君の家は僕の家に負けず劣らず、古い歴史ある家屋のようだった。  彼が玄関を勢い良く開いて「ただいま」と叫ぶと、誰も居ないかのように思われた奥座敷から御婆さんがにこにこと微笑みながら出迎えに来た。 「ただいま。婆ちゃん、友達連れてきたんだ。後でサイダー持ってきてよ」  御婆さんは僕を見ると、皺だらけの顔をくしゃくしゃにして微笑んでくれた。 「こんにちは。よく来たねぇ、ゆっくり遊んでいきなさい」  どうしていいのか分からずに僕はぺこりと頭を下げ、「お邪魔します」と挨拶を返し、玄関で靴を脱いだ。  初めて見る他人の家。親戚の家などに行ったことはあるが、友達の家に上がったことは今までなかった。微かな匂いがその家の営みを感じさせる。天井や柱には見たことのない木目、古い箪笥のキズ、襖の染みから家の息遣いを感じた。  僕は晋也君の後について長い縁側を歩く。 「家だけは広くてさ。住んでいるのも爺ちゃんと婆ちゃんとお父さんだけなんだよ。だから俺、自分の部屋を持っているんだ」  振り向いた彼の表情はどこか楽しそうに見えた。きっと晋也君も友達が家に遊びに来たりすることが嬉しいに違いないのだ。  途中、開け放した和室から「晋也、お帰り」と囁くような声がした。 「ただいま、爺ちゃん。友達連れてきたんだ。矢野 健太くんって言うんだ。あとで健太の家に電話入れといてくれるかな?」 「ああ、いいとも。健太くんの家の番号を教えといてくれ」  座椅子に座り、本を読んでいたと思われる優しげな表情をした御爺さんに「こんにちは。家への連絡を宜しくお願いします」と僕は頭を下げた。      

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