===== 俺と美玖がいつ、どう仲良くなったのかというと、実を言うと俺自身はよく覚えていない。 いつの間にかお互いの家を行き来し出して、俺がこの家で一緒にごはんを食べさせてもらったり、その逆があったりが続くうち、ちょっとした親戚みたいになっていた、という感じだ。 俺がその辺りの経緯を知りたくなってうちの母親にたずねたところ、時期は俺たちが幼稚園に入ってしばらくしてで、理由は母親同士がママ友だったからだ、という答えが返ってきた。 つまり、その頃に父親を亡くした美玖を寂しがらせないよう、また、フルタイムで働きに出るようになり、家を空けがちになった母の不在を幼い美玖に感じさせないよう、母親同士が連携したのがきっかけだった、ということになる。 当然のことだが、俺は美玖の父親のことをまったく覚えていない。 うちの母親に聞くと、出張の多い仕事で、週のうち家にいる日の方が少なかったそうで、美玖当人でさえ記憶にあるのは、よく出先から電話をかけてくれたことくらいだそうだ。 美玖の母親とは十歳以上離れた年上で、気弱なところがあった妻を引っ張っていくタイプの夫だったそうだが、出張先で突然心筋梗塞を起こし、家族に看取られることなくその地で息を引き取ったという。 あまりに急なことで茫然自失となり、通夜や葬儀で何もできなかった美玖の母親の代わりに、俺の母があれこれ世話を焼いてその場を仕切ったりしたものだから、葬儀社の社員に喪主だと勘違いされてしまったことだけは、幼かった俺も美玖も覚えている。 その後すぐに美玖の母方の祖母、つまり先に話題になった冗談のキツイ婆さんが、娘と孫娘のために田舎の実家から移り住んできた。 俺の家との交流もあったし、祖母が新たに家族に加わったのだから、美玖はあまり父親の不在を感じずに育つことが出来たのだろう。 小斗坂家の女三人の個性はといえば、祖母と美玖が両方とも元気で明るく冗談が好き、という共通点を持っている一方、間に挟まれた母親は美玖とはタイプの違う美人だったが、子供の目から見ても過敏すぎるところがあり、生真面目な性格がにじみ出るような人だった。 しかしそのせいなのか、美玖と母親が互いにぶつかり合うことはなかったようで、ケンカをしたみたいな話は聞いたことがない。 俺が美玖のことを友だちとしてではなく、異性として好きだ、と自覚し始めたのは、まわりでカップルがちらほら成立し始める、小学校高学年に差し掛かるころだ。 その頃から俺は美玖を女子として意識するあまり、小斗坂家に足を運ぶことが少なくなった。 しかし美玖は当時も俺のことを異性として意識することはなかったようで、ある日理由を問いただされてしまい、俺は「からかわれるのが嫌だからだ」ともっともらしいことを言って逃げの手を打った。 美玖は一応納得してくれたが、しかしその代り、友人として変わらず接し続けることを約束させられた。 俺は嬉しいんだか悲しいんだか、複雑な心境だった。 ともかく、美玖と幼なじみとしての交流はその後もずっと続いており、彼女の話しから聞く限り、家では相変わらず婆さんは美玖をからかうのに余念がなく、母親は仕事を真面目に頑張っていて、要するに女三人の家族はなんら変わることなく仲良く暮らしていた。 そのはずだった。 少なくとも俺はそう思っていたし、実際あの事件(そう言っていいだろう)が起る直前までの美玖も、そう思っていたに違いない。 事件はある日、唐突に起った。 美玖の母親が突然失踪したのだ。 俺たちが中学二年の時の、一月も終わる頃のある寒い日だった。 その日美玖は学校を休んだ。 教師から理由は語られなかった。 ただ、俺には親のつてで、美玖の祖母を通じての情報が入ってきた。 美玖の母親はその頃仕事が忙しく、職場近くのビジネスホテルに泊まっていたそうだが、しかし失踪前日に上司から自宅の電話に、仕事での不明点を尋ねたいのだが連絡が取れないとの問い合わせが入り、姿を消したことが発覚したという。 ただしその後、警察への捜索願いは、祖母の判断で出されなかった。 なぜならすぐのち、美玖の母親から美玖宛てに手紙が届いたからだ。 探さないでください、と書かれていたらしい。 美玖の祖母は、美玖の母の母親でもある。娘の気持ちがすでにこの家庭にないのなら、警察を使って引きずり戻しても何の解決にもならない、と考えたそうだ。 当然のことだが、一番ショックを受けたのは美玖だ。 だが彼女は、自分が母親に捨てられたという事実に打ちのめされながらも、しかし恨み言ひとつ言わず、たった一人で耐え抜こうとしていた。 けれどもそんな彼女に追い打ちを掛けるように、口さがない近隣住民の噂が、まことしやかに広まって行った。 『あの人、家族を捨てて男と逃げたらしいよ』 『旦那さん亡くして、もう長かったからねえ』 『それにほら、キレイな人だったし。もっと女として現役でいたかったんじゃないのお』 『でも娘さん、お可哀想ね。多感な時期に、親に捨てられるなんて』 結局母親の失踪後、美玖はほとんど学校に来なくなった。 まれに来ても、蒼ざめた表情をして自席で黙りこくったままで、しばらくは我慢できてもしかし、すぐに限界が来てしまうのだろう。早退して一人家に帰ることが繰り返された。 俺と上条はもちろん、美玖が来ればそのたびに、大丈夫か、などと声をかけてはいた。 しかし美玖は大丈夫、と全然大丈夫じゃない顔と声で答えるばかりで、俺たちにはそれだけで、彼女が全てに対して心を閉ざしてしまっていることがわかってしまい、とにかくそっとしておくことしかできなかった。 あの時ほど、自分がまだまだ子供なのだと悔しく思ったことはない。 しばらくして、俺の家に美玖の祖母が挨拶にやってきた。 美玖を連れて、かつて祖母が住んでいた田舎の実家に戻ることにしたのだという。 落ち込み続ける美玖を病院に連れて行ったところ、医者に勧められたからだそうだ。 医者の言い分は、彼女をこのまま母親との思い出のある場所に住まわせるのは精神衛生上よくないので、周りが母親の失踪のことを知らない土地で、再スタートを切らせた方が彼女のためではないか、という内容だった。 それは実にもっともな大人の理屈で、美玖が遠くへ行ってしまうことが寂しい、という自分勝手な気持ちでしか彼女を引き留める理由がない、無力だった俺には、到底太刀打ち出来ないものだった。 俺はそのことを、当時から美玖をめぐるライバルだと心の中で思っていた上條には、ちゃんとすぐに伝えた。 俺と上條は、美玖ばかりがなぜそんな目にあわなければならないのかという不条理を嘆きあいながらも、しかし最終的には、今の美玖にはそれが一番なのだろう、と受け入れざるを得なかった。 美玖はたぶん、わずかな力をふりしぼってのことだったのだろう。転校当日に、挨拶だけをしに教室へやってきた。 彼女の言葉は今でも覚えている。 『今まで仲良くしてくれてありがとう、転校先でも元気に頑張っていきたいと思います』 まったく元気とはほど遠い、憔悴しきった表情で。 他のクラスメイトはもちろん、俺たちとも一切目をあわさずに。 俺は、頑張らなくていいからしっかり休んでくれ、と願った。 そんな少し触れれば壊れてしまう、繊細なガラス細工のようになってしまった美玖を相手に、転校後、メッセージのやりとりをするのは正直、怖かった。 さきほど玄関で美玖は、俺たちが彼女に気を遣っていたのは分かっていたと礼を言ってくれたが、俺にしてみれば、 『しっかり休んでください。気が向いた時だけ連絡してください。こちらはいつでも待ってますから』 とだけ伝えた方がよかったのかもしれない、と後悔しているのが本音だ。 けれど実際には、俺たちにそんな大人な対応など出来るわけもなく、なんとか美玖の力になれないかと、上條と一緒にあがきつづけることになった。 だが、俺たちの奮闘はやはり無力で、メッセージの向こうの美玖は、あの日別れを告げた時のままで、そこに元気だったころの面影を見つけることはとても出来なかった。 ところが、高一の半ばくらいの頃から、メッセージ上での美玖の様子が、少しずつだが変化し始めた。もちろん、俺たちが送ったメッセージ内容とはまったく関係なしにだ。 彼女のメッセージはそれまで当たり障りのない、他人行儀な話ばかりだったのが、それが美玖の周囲で起った出来事、そしてそれについて美玖がどう思ってどう行動したのか、さらには、これからどうしたいのか。 そういう彼女自身についての話、それも未来志向の話がだんだん増えて来たのだ。 美玖のこの変化について、俺は今の今まで、彼女にどんなきっかけがあってのことだったのか、とらえあぐねていた。だからメッセージだけでは、美玖の復活を信じ切ることは出来なかったのだ。それは上条も同じだと思う。 そこには美玖が言った通り、従妹の愛ちゃんの存在もあったのだろう。 けれど、もっと決定的な出来事があったのだ。 そのことが今、美玖の口から直接俺たちに伝えられた。 ======
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