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 陸がかつての記憶を呼び返していると、陸には聞きなれたサンダルの音が聞こえてきた。 「山村先生」  陸は立ち上がって、隣の棟からこちらへ向かって歩いて来ている、長髪を後ろでたばねた丸眼鏡の、いかにも芸術家といった風体ふうていの男性に声をかけた。 「やー、幸村くん、久しぶりだねえ」  美術教師で美術部顧問である山村先生に、美玖も志穂も挨拶をした。  先生は返礼もそこそこに、美術室の鍵を開け、一同を中に通した。 「この絵が見たいって、どういうこと? もちろん、全然構わないんだけど」  陸は済まなさそうに、タイムカプセルにまつわる事情を話した。  すると意外なことに、山村先生は愉快そうに笑って、そういうの好きだよ僕、と言って、さっそくとばかりに吊り下げられた陸の絵をはずしにかかった。 「どんなものが隠してあるはずなの?」  興味津々でたずねる先生に、美玖が駄菓子屋で受け取った祖母の封筒を見せた。 「なるほど。あるとしたら、キャンバスと額縁のすき間かなあ。だけどもしそうなら、むしろ小斗坂さんのお祖母さんが、どうやって隠したのかが気になるね」  しかし、山村先生の期待とは異なり、次のヒントはあっさりと見つかってしまった。  一同が先生から大きな額縁付きキャンバスを受け取り、さあ机の上に置いて探そう、と意気込んだその時、突然、パサ、と何かが床に落ちる音が聞こえたのだ。  皆の目が一斉にそこに集まったが、ちょうどそこに座り込んでいたのは、絵で頭を打たないよう避難していた愛ちゃんだった。  愛ちゃんは自らの手柄を誇示するように、高々と封筒を手に持って掲げた。 「愛が見つけた! 愛が見つけたよ!」 「うわー、愛ちゃんありがとう。えらいねー」  美玖が愛ちゃんの頭をなでつつ封筒を受け取ると、幼稚園児はきゃっきゃきゃっきゃと喜びを表しながら、美術室内を跳ねまわった。  陸が苦笑いしつつ、 「呆気ないなあ。これじゃあ、どこに隠してたのかわからないじゃんか」  と口にすると、山村先生はなぜかほっとした表情を浮かべていた。 「どうかしました?」 「いや、もしなかなか見つからなくって、絵を幸村くんの家に持って帰るとか言われたら困るなあって、内心思ってたんだよ」  陸は恐縮した。 「いえいえそんな。大した絵じゃないし、飾ってもらえてるだけでも光栄ですよ」 「とんでもない。とてもいい絵だと本当に思ってるし、それに美術教師としては生徒に魅力的な絵の描き方のポイントを教えるためには、これほどうってつけの教材はないと思ってるよ」  すると美玖が興味津々の様子で、山村先生にたずねた。 「私も素敵な絵だと思うんですけど、どういうところがよくて教材になったんですか?」  すると先生は皆に手招きをして、壁面の棚に向かって歩き始めた。 「見ただけじゃわからないところに、成すべき努力がわかりやすく残されているところだね。それって、絵を描かない人にはなかなか理解してもらえない部分だから」  陸にはその言葉だけで、すぐに山村先生が取りに行こうとしている物がわかった。 「先生、あの準備のやつも取っててくれてたんですか?」 「取ってるどころか、あれも大事な美術教材として活用させてもらってるよ。そうか、君は転校したから、あの授業自体は受けてないんだな。教材にしようと思いついたのは、賞が与えられて結構経ってからだったものな」  美玖はなんですかなんですか、と好奇心を前面に押し出して、先生が机においた箱のすぐ横まで近づいた。  一方志穂は陸と同様、すぐに中身の見当がついたようで、ただ一言、 「ああ、あれか」  と小さくつぶやいた。  その声を聞いて陸は、 『なんだ、やっぱり覚えてたんじゃないか』  と思った。  山村先生が、ていねいに箱を開ける。  中を見た美玖が、わあ、と声を上げた。 =====  あの日、突然夕方遅くの美術室にやってきた上條は、挨拶も返さず視線も合わさない俺の方へ、ずかずかと大股で近づいてくると、そばの机にどっかと腰を下ろした。 「聞きたいことがあるんだけど?」  俺はいよいよ来たか、と思った。  上條が例の噂を聞きつけ、真偽をただしに来たに違いないと思ったのだ。  しかし実際に奴が口にしたのは、予想外の質問だった。 「なんで待ち合わせをすっぽかすの? それにあんた、クラスでもあからさまに私たちを避けてるでしょ。まあ、私自身は別に構わないんだけど、美玖が心配してるわ。せめて翌日、待ち合わせに来れなかった理由を話すくらいの礼儀は、あっていいと思わない?」  俺はなんだそんなことかと思い、わざと素っ気なく答えた。 「別に、絵を描いてたらいつの間にか時間が過ぎてただけだよ。わざわざ言うほどのことじゃない」 「ふうん。それにしては、まったくはかどってないように見えるんだけど?」  上條は俺の目の前の、ほぼ真っ白なキャンバスに目をやりつつ、皮肉交じりに問い詰めてきた。  俺は、絵は考えながら描くんだよ、ともっともらしい言い訳をしてから、ちょっとは反撃してやろうと嫌味っぽく言い返した。 「そっちこそ、美玖と女二人で仲良く出来て、満足なんじゃないか?」 「ええ、美玖と一緒にいるとこの上なく楽しいわ」 「じゃあ、邪魔な俺がいなくて良かったじゃないか」 「……まあ、邪魔、というほどではないかな。絶対に居てほしいわけでは全くないけど。でも私、美玖が心配してるって言ったでしょ? そこだけは放っておけないの」  続いて上條は、俺にちらと一瞥いちべつをくれてから、本題に切り込んできた。 「待ち合わせに来ない理由はあれ? 下らない噂を気にしてのこと? 身長と同じで小さい男ね」  上条の挑発的な物言いにむかついた俺は、だったら言ってやるとばかりに、かたわらに積んでいた数冊のクロッキー帳の中の一冊をめくり、目当ての絵を開くと、ぞんざいに机の上に放り投げた。 「描いてたのは、事実だからな」  美玖を描いた絵だった。  俺の腹はすでに座っていて、さて、この勝ち気な女からどんな罵詈雑言が飛び出すかな、くらいに思っていた。  だが、上條の反応は意外なものだった。  クロッキー帳を手に取ってしげしげと眺めると、ふとこう漏らしたのだ。 「きれいね」 「は?」 「あ、いや、幸村の絵が、というわけではなく。あ、そうそう。やっぱりモデルがいいからよね。うん」 「言ってろよ」 「……まあ、一応美術部だけあって、下手ではないわね。モデルの足を引っ張らない程度には」 「そりゃどーも」 「……ところで、だ」  いよいよ来たか、と俺は臨戦態勢をとった。  しかし上條はクロッキー帳を静かに畳んでこう言った。 「この絵、私にくれっ!」 「なんでそうなるっ!?」  美玖のこととなると上條志穂は見境がない、ということを初めて知った瞬間だった。  しかしすぐに上條は我に返ったらしく、照れ隠しなのか、今度は素直に絵を褒めてくれた。 「何故かと言われれば、それはまあ、よく描けてるからよ。伊達に幼なじみはやってないなと思ったわ」  だが、次に続いた言葉が問題だった。 「しかしそれにしても、しょぼい男の思考回路は理解不能よね」  俺は上條の言葉の脈絡をつかみかねて黙っていたが、上條は関係なくしゃべり続けた。 「ああいうバカげた噂を流されるのが嫌なら、正面切って、こういうちゃんとした絵を描いていただけだって、言い返してやれば済む話じゃない。それともそれも恥ずかしいの? あーあ、自意識過剰の思春期男子は面倒くさいわねえ」 「そんなんじゃねえよ。そう釈明したとしても、すぐにあいつら、他にもっとおかしなのを描いてたけど、俺が隠してるだけだとか言い出すに決まってんだ」 「それ、何も行動を起こさずに済ませるための、言い訳じゃないの?」  上條は鋭いところをついてきて、俺は黙り込まざるをえなかった。  そんな俺を見て、上條はさらにあおってきた。 「そうやってすぐ引き下がるところが理解できない。負け犬根性が染みついてるのかしら」  一瞬、そうかもしれない、と、悔しいけれど思った。 「……じゃあ、上條ならどうするっていうんだよ?」 「うーんそうねえ……。そうだ、いっそ堂々と美玖をモデルにして、大会かなんかに出して賞でもとってみせればいいじゃない。そうなったら馬鹿々々しいことを言いふらしていた奴らを、黙らせられるわよ?」  俺はため息をついてこの体育部女に、絵の世界には逆立ちしても到底かなわない才能を持った奴らがごろごろいて、俺なんかがどんなに頑張っても、結局足元にも及ばないんだってことを、きっちり説明してやった。 「まあ、強豪校のレギュラー様にはわからんだろうがね」  俺が嫌みったらしく付け加えると、上條はむっとして反論してきた。 「バカ言わないで。私たちにだってとても敵わない、何度やっても勝てない相手くらい、いくらでもいるの。でもね、それでも諦めたらそこで試合終了なのよ。知らないの? あの名作マンガの名セリフを」 「諦めずに戦えば、負けても悔いが残らないって意味か?」 「全然違う。どんな相手でも、負けを前提にしちゃダメってことよ」 「だったらどうすりゃいいんだよ。相手は強くて到底勝てっこないんだろう?」  すると上條は何か思いついたのか、にやりと笑った。 「そういう時はね、策をろうするのよ」 「策? 何をどうすんだよ?」 「……まずは……私を描きなさい」 「ふざけてんのか!」 「違う! 話は最後まで聞きなさいよ! あのね、私だけじゃなくてクラス全員を描くの。もちろん狙いは賞じゃないわ。幸村は、目的があって美玖の絵を描いただけだってことが、皆に知れ渡ればそれでいい。そうでしょ?」 「……意味がわからん」  策士然とした上條志穂は、俺の顔をのぞきこむようにして含み笑いをした。 「木を隠したいなら、当然森の中に隠すでしょう?」 ====

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