螺旋
1-3

作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 5月初旬、雨がやや強めに降っている土曜日。今日はバイト先で知り合い、仲を深めた高梨拓実たかなし たくみと出かける約束をしていた。高梨とは同じバンドが好きだと分かってから意気投合してプライベートでもたまに会うようになる。  高梨はそのバンドの影響でギターを始め高校の軽音部に入ってコピーバンドを組んでいるくらい音楽にのめり込んでいた。今日は高梨の方から誘われ楽器の街で有名な御茶ノ水へ訪れることになっていた。午前10時に駅の中央改札前で待ち合わせをした。恭一郎は時間ギリギリの到着であったが高梨は既に到着していた。  軽く挨拶をしてすぐさま改札を抜けて階段を下り駅ホームへ。高梨は黒いカバーで覆われているエレキギターを背中に抱え、黒を基調とし枠が銀色のアタッシュケースを左手に持っていた。 「ギター持ってきたの?」 「そう、実は夕方からこの駅近くにあるスタジオを予約してるんだよ」 「えっ、ここにスタジオなんてあるの?」 「そう、良かったら磯村も来る? ドラムも置いてあるけど」 「うーん、じゃあ、行ってみようかな」  恭一郎はバンドメンバーの中でドラムを担当する人に惹かれていた。そんな恭一郎にドラムに触れてもらおうと設けたのがこの日であった。先ずは御茶ノ水へ向かうことになる。  JR 御茶ノ水駅へ着くとコンビニの代わりに楽器屋が立ち並ぶような景観にびっくりする恭一郎。高梨に先導され一軒、一軒、楽器屋を回る。  初めて訪れる楽器屋、ギター、ベースがズラリと展示されている店内にやや圧倒される。これだけ多いとどれにすれば良いのか分からない、外見は同じなのに値段が倍以上、違うのはなぜなのか様々な疑問も生まれる中、ただそれを興味深そうに見ていた。高梨の方はギターのエフェクターで何か良い物はないか探していた、どちらかと言えば中古の物を中心に見ているようだった。 「次、来る時は無くなっていることも多いしどうしても悩んじゃうんだよねー」 そんな独り言なのか恭一郎に言っているのか分からない言葉を言いながら目を凝らす。その後、高梨は二階のドラムコーナーへ案内する。ギターやベースと比べれば明らかにスペースは狭かったのが恭一郎にとっては残念であった。 「そうだ、スティックくらい買えば? 確か同じモデルのやつも売っているし」 高梨が言うのはそのバンドのドラマーが使っているのと同じドラムスティックのことであった、すぐに高梨が見つけてくれて恭一郎に渡す。スティックにはバンド名とメンバーの名前が印字されており恭一郎は歓喜の声を上げた。これはファンとしても欲しいと思い迷わず購入に走る、保存用と二組買う姿に高梨は笑ってしまう。    雨は弱まるが気配はない。楽器を背負っている高梨にこの雨は憎かった。それでも駅周辺の楽器屋、全てを見回ったんじゃないというくらいの数の店に入っていた。  午前から回り気がつけば時間は15時になっていた。高梨は一度、出た店にまた入り何か一つエフェクターを買ったようだったが楽器の知識はない恭一郎には何をそんなに悩んでいたのか理解できずにいた。  そろそろスタジオを予約した時間が迫ってきているということで引き上げを提案する高梨、恭一郎もそれに同意した。  地元の駅まで帰ってくると西口を出て横断歩道を渡り左へ曲がって5分ほど歩いた所にその楽器練習スタジオはあった。看板はあったものの教えてもらわなければ偶然気づくような目立つ場所にはなかった。2台停車できる駐車場を通り過ぎ奥の2階立ての建物へ。スタジオは2階にあり1階は歯医者であった。  階段を登り中へ入ると直ぐに受付ロビーがあり高梨が受付の人に使用許可を貰う、どうやらこのスタジオで一番広い部屋であった。  分厚く開けるのにも多少、力の要る防音扉を二つ開け中へ入ると先ずドラムセットが目に飛び込んできた。スネアにバスドラムが一つ、タムが三つ、フロアタムが2つ、クラッシュシンバルが二つ、ライドシンバルが1つとよく音楽の教科書に載る標準的なドラムセットと比べれば打点が多い立派なドラムセットであった。  ライブ映像を観る度に叩きたいと思っていたドラムを目の前に恭一郎の心は躍る。 「買ったスティックで適当に叩いてみな、俺は俺で練習するから」 音を鳴らすためにセッティングを始める高梨、思えばギターを弾いているところを見るのは今日が初めてだ、準備を終え音を鳴らし始めるとそのプレイにいつの間にか目を奪われていた。  素人には充分、弾けるという印象を持たせる腕があった。曲のギターソロ部分でよく見るような指の動き、どこかで聴いたことがあるフレーズだなと思ったらあの曲を弾いていた。友人の新しい一面を目撃して素直に羨ましいと思ったと同時に自分も何か自慢できるような特技があればとも思い嫉妬にも似た気持ちになった。しばらく高梨の弾く姿を黙って見つめていた。  ドラムは音階はないので適当に叩いていてもなんだか上手く叩けている気になれた。軽く叩いただけでも思いのほか大きな音が出ることに驚き、ハイハットも踏めてリズムを刻めることができるのが新しい発見と、なかなか刺激のある2時間を過ごした。  スタジオを後にして最後は駅前にあるファミレスで軽く食事を取ることにした。新しい体験をすることができた恭一郎は高梨に今日は付いてきて良かったという感謝の意を伝えた。その後、好きなバンドの話題からバイトの話になり、最近入ってきた新人が出勤しなければいけない日に休んで、逆に来なくていい日に出勤して変わっている、トイレ掃除をしていたら尿の入ったペットボトルが見つかったなど笑い話や仰天エピソードの話が飛んだ。 「そういえば磯村は進路決まった?」 「うーん、まだかな」 耳が痛くなる話を振られて気持ちが萎縮してしまう恭一郎。 「俺、もしかしたら進学したら千葉に引っ越すかもしれない」  高梨はある程度、進路の目処が立っているようであった、そう思って彼を見てみると余裕のある明るい良い表情をしているという風に感じる。ギターも上手くて、進学先も見えている、自分とは雲泥の差であった。 「この駅も随分、変わっちゃったな。これからどんな風になるのかな」 ファミレスを出て西口から東口のバスターミナルに向かう途中、橋上から更地となったあの地を見ながら高梨はこう言った。今日の工事は終わっており今は静かだ。互いに行き先の違うバスに乗る二人は東口のバスターミナルで別れることになる。  先に高梨の乗るバスが来たので恭一郎はバスに乗る高梨を見送る。今日は1日中、雨が降っていた。今の恭一郎にはこの雨は鉛が降っているかのように重く感じた、胸から地面に倒れそうになる気持ちに耐えて歩き始めた、足取りは重い。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません