炎の友人ゴルゴ
第十二章 ゴルゴの家(2)

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 リビングのテーブルで、差し出されたコーヒーに口をつける。  ゴルゴは洗面所に行ったきり戻ってこない。  かたわらのキッチンでは、さっきの女の人が、ばたばたと台所仕事をしている。  僕の中にどんどん疑問があふれかえってくる。  やっぱりこの家の人間関係がよくわからない。  となりの部屋で寝ている赤ちゃんは一体誰の子なんだ?  普通に考えればお母さんはこの女の人なんだろうけど…。  じゃあ、お父さんは?  やっぱり、ゴルゴ…?  いや、ちがうちがう。  さっきゴルゴは確かに「弟」だと言ったんだ。  それにしてもいろいろと違和感がありまくる。  そもそも表札にかかれた「山本」ってのも謎だ。  …てことは、ここは山本家ってことになるのかな。  それに、なんというか…。  この人がゴルゴのお母さんだとするには…。  僕はもう一度コーヒーに口をつけながら、ちらちらと台所のほうに目をやる。  うーん、やっぱりどう見ても若い! ◇  実際、大人の女の人の年齢はよく分からない。  でも自分の親と比べるとその若さは常識の範囲をはるかに超えているような気がする。  どう見ても同級生のお母さんという雰囲気じゃない。  むしろお姉さんとでもいったほうがしっくりくるんじゃなかろうか。  と、制服を着替えたゴルゴが戻ってきて、僕のむかいにどんと座った。  初めて見る、制服以外のゴルゴの姿。  と、いってもTシャツとか短パンとかじゃない。  どこかの工場の、濃い青色の作業着だ。  で、それがまた見事にゴルゴにマッチしていて、微妙に残念な気持ちになった。  これじゃますます年齢不詳だ。 ◇  ゴルゴはコーヒーに角砂糖をドカドカと放り込むと、スプーンでがーっとかき回した。  それから一口、口をつけると「熱っ」といって、あわてるようにカップを置いた。  そして僕の方を見て、「見たか」といった。  何だ?今の動作一連のことかな? 「熱かったの?」 「ちゃうよ。うちの家を見たか言うとるんじゃ」  ああ、そっちか。  僕は曖昧にうなずいた。  いや、確かに見たといえば見たんだけど、でも何をどう返事していいのか…。  ゴルゴはクリームを一つ、そしてもう一つ、立て続けに流し込むと、またスプーンでがーっとやって、今度は息を吹きかけてから、ゆっくりすすった。  それから、ふと、おもむろに棚から、少し大きめの写真ファイルを取り出して、表紙をぱらりと開いた。  瞬間、僕は思わずおおっと小さな息が漏れてしまった。  それは、この家の家族写真だった。  ちゃんとした写真屋さんで撮影されている家族写真。  真ん中に、赤ちゃんとそれを抱いたお母さん。  その右側に二人を抱えるように立っている男性。  そして左側に、相変わらずぶっきらぼうな様子で立っているゴルゴ。  4人家族。  確かになんの違和感のない4人の家族像だった。  そして、こうして並んでいるのをみれば、たしかにこのお母さんとゴルゴが母子だということも分かる。  やっぱり面影がどこか似ている。  しかさこの男性。  明らかに会社員といった様子の、身なりの整ったおじさん。  この人が、ゴルゴのお父さん?  いや、これはこれで意外というか…。  てっきりゴルゴのお父さんだというからには、屈強な豪傑を勝手に想像していたのだが…。  まるっきりそんな風貌ではない。  と、いうかゴルゴとはまるで別人。  背だってゴルゴのほうが大きいし、顔立ちもシュッとしたスマートな様子で、ゴルゴとまったく別のタイプ。  この男性のDNAの、いったいどこがどうゴルゴに受け継がれたのだろう。  逆に赤ちゃんのほうは年齢差を越えてこのおじさんと瓜二だ・・・。  ゴルゴがお母さん似。  弟がお父さん似。  といったところなのだろうか。  僕は食い入るように写真を眺めた。  ゴルゴはしばらく黙っていたが、そんな僕の様子に何かを感じたのか、説明してくれた。 「おふくろが再婚しての、去年子供が生まれたんよ。」  おふくろ…再婚…。 「これがその子、可愛いじゃろう。」  いいながら、やさしく触れるか触れないかの指先で、赤ちゃんを指し示す。 「んで、こいつがおふくろの再婚相手。」  といって、踏み潰すような勢いで男性の写真の顔面に指紋をこすり付ける。  指し示す方法は別として、それぞれの顔を眺めながら、僕は「なるほど」とうなずいた。 ◇  あきらかになってみれば、そうたいした話ではなかった。  ゴルゴの赤ちゃんだと思われていたのは、実は年のはなれた弟。  ゴルゴのお母さんも正真正銘ゴルゴのお母さんみたいだ。  ゴルゴのお父さんは…。  ゴルゴの本当のお父さんが今どこでどうしているのかよく分からない。  でも今、ゴルゴには確かにお父さんがあって、確かに4人で一つの家族構成があった。  親が再婚しても子供の名字は元のまま、という話は他にも聞いたことがある。  確かに世間一般の事情から少しだけ違うのかもしれないけれど、それほど大きくずれた話でもない。  ややこしくしているのはゴルゴの、この、年齢不詳な風貌のせいなのかもしれない。  もし僕が同じ立場だったとしても、ゴルゴみたいなスキャンダルになることはないだろう。  さらに言えばもう一つ。  たぶんこれも、話をややこしくしている原因の一つ。  僕はゴルゴに顔を寄せると、思い切って聞いてみた。 「お母さん、若くない?」  その瞬間だった。  台所仕事をしていた小柄な後姿が、いきなりぽんっとこっちを振り返えって、大きな瞳をきらきらさせた。 「あら?いまなんか聞こえたけど、安芸クン、よく聞こえなかったからもう一度言ってごらん。」  え?え?何?何?僕?僕?  と、ゴルゴがゆっくりとささやきかけてきた。 「あきぼう、よけいなこと言わんでええって。」 「安芸君、ステキ。お世辞でも、そういうことがさらりと言えるのって、ポイント高いのよ。」  え?あ、いや、べつにおせじというわけじゃ・・・。  と、ゴルゴがあくまでも冷静に。 「…あきぼう、ほんっまに余計なことはいわんでええ。」 「ゴローはだまっとって。安芸クン、さっきの一言をもう一度言ってごらんなさい。さあ、今度は大きな声でっ。」 「…あきぼう、そろそろ出ようかのう。」  え?え?  なんなんだ、この応酬は。  僕は右を見たり左を見たり、まったく入り込むことができなかった。  と、この騒ぎに輪をかけるように、隣のふすまの向こうから抗議のような寝起き声。 「ぶえ…ぶええ…」  とたんにゴルゴのお母さんの顔つきが、きゅっと引き締まる。 「いけん、声でかすぎたわ」  言いながら、まるで忍者のようなすばやさでふすまの奥に姿を消してしまった。  同時に、赤ちゃんのぐずり声が、ふすまの向こう側で治まってゆく。  同時に、このリビングも、まるで潮が引くように静かになっていった…。 ◇  な、なんというか…。  完全に圧倒されてしまった。  いつもこんななのだろうか、この家は。  半笑いでゴルゴの顔を見る。  ゴルゴは目をつぶって、若干照れくさそうに言った。 「すまんの、ワシのおふくろほんまにアホじゃけ。」  言いながら、ゴルゴの口元が苦笑気味にゆがんだ。  僕も思わずくすくすとした笑いが、ひとりでに口からこぼれた。  それからこんどはだいぶ声のトーンを落として、ふすまの向こうに聞き取られないように言った。 「でもやっぱ若いよね、お母さん。」  ゴルゴはやや困ったような表情をしながら言った。 「…まあ、な。おふくろは18の時にワシを産んどるからの。」  ほええ…。  計算すると僕のお母さんよりも10歳以上若いことになる。  それに、それ以上に、ゴルゴのお母さんは年齢とはまた違った次元の若々しさもある。  これじゃどう見たって変だと思うだろう。  これでゴルゴと並んで歩いていて、それでベビーカーなんかを押してたりしたら、たしかに一個のファミリーだと思われてもおかしくない。  この辺のところも、ゴルゴの身辺をややこしくしている原因なのだろう。 ◇  いろいろな謎が、いっぺんにクリアになっていった。  さまざまな魔法が、一度にとけてきたかのようだった。  僕はもう一度部屋の中をぐるりと見回した。  家の中に足を踏み入れた瞬間から、ぼんやりと異世界のようだったのが、いつのまにか現実の色合いに塗り変わっていた。  それは安心できる現実だった。  ゴルゴの姿をもう一度、眺める。  作業着姿の権田五郎丸。  いままでどこか遠い、異次元めいた存在だったのが、いつのまにか一人の大人びた高校生に入れ替わっていた。  それは安心できる存在だった。  僕は写真を眺めながら、この家に流れる独特な空気を、コーヒーの残りとともにゆったりと味わった。  砂糖もミルクもしっかり入った、それは僕の安心できる味だった。 ◇  コーヒーを飲み終えて一息つくと、ゴルゴがふいに立ち上がった。 「あきぼう、すまんがワシ、もう出かけんといけんのんじゃ」  どこに?  とは聞かなかった。  ゴルゴが着ている作業着が、その理由を物語っていた。  胸元のポケットには、橙色の刺繍で『○○製作所』。  明らかに、これからどこかの工場か作業現場に行くのだろうなといった姿だ。  もともと早く帰りたがっていた理由もそこなのだろう。  ようするに、バイト先の職場に行かなければならないのだ。  ぼくは「うん」とだけいうと、一緒に立ち上がって、カバンを肩にかけた。  と、そのときだった。  赤ちゃんが寝ているふすまがそっとあいて、ゴルゴのお母さんがそろそろと戻ってきた。 「また寝ちゃった。」  と一人言のように言うと、出てゆこうとする僕らに目をとめた。  まんまるな瞳が、ぱっと見開いた。 「あ、もう行っちゃうの?もっとゆっくりしていけばいいのに。」 「ああ、じゃけど今日はもう行かんと」 「いや、あんたに聞いてないわよ。安芸君、茶菓子ぐらい出してあげるからゆっくりしていきなよ。」  え…?

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