-MEGANE-
-15- 新しい眼鏡

『2年3組、研瞠けんどうくん。至急職員室まで来てください』  昼休憩のことである。  そんな校内放送が、突如として流れた。何事かと、弁当を食べている手を止め、職員室へと向かうと、そこには目を疑うような光景があった。 「お、学生してるね、軒一くん」  と、声をかけられる。それは、やっぱり思った通り、聞き覚えのある声で、職員室のすぐそばに立っていたのは、硝子しょうこさんだということがわかった。 「ごめんね。急に呼び出されてびっくりしたでしょ」 「いや……どちらかというと、こんなところに硝子さんがいることに驚きを隠せないんですが……」  なぜ、こんなところにいるのか。  普段工房にいる硝子さんと、学校という建物が、どうにもミスマッチな光景で、なんだか、夢を見ているようだ。 「どうしたんです。何かあったんですか?」 「うん、そりゃもう。大変なことがあった」  にこやかにそう言う硝子さん。  大変なことがあった、という割には、あまり大変という風には感じられないが……。 「はい、これ。頼まれてたもの」  硝子さんは、手に持っていた紙袋を俺へと差し出した。頼まれてたもの、と言われたものの、何かを頼んだ覚えはない。弁当を届けてくれたのかな、などという、もはや突拍子のない考えが頭をよぎるが、その紙袋の中身を見て、俺はその『頼まれてたもの』の正体を理解することとなった。 「これ……眼鏡ですよね」 「当たり。本当はもうちょっと遅く届く予定だったんだけどね、早めに届くことになって。手元に軒一くんの眼鏡があるのに、軒一くんが今頃不自由してると思ったら、いてもたってもいられなくってね。来ちゃった」  来ちゃったって……。  そんな新妻のようなことを言われても。 いや、嬉しいけれども。とてつもなく嬉しいけれども。 「有難うございます。嬉しいです、持ってきて頂いて。……でも、大丈夫なんですか? その、工房を抜け出しちゃって」 「大丈夫。今日は私、休みだから」 「ああ、なるほど」  と納得したものの、休みの日に学校までわざわざ持ってきてもらうのはやはり申し訳なさを感じずにはいられない。 「いいのよ。最近運動不足だったし、ちょっと体重も気になってたからね……実を言うと、ウォーキングするための口実に、眼鏡を持ってきたくらいなんだから」  少し照れた様子でそんな言う硝子さんは可愛いらしかった。 「それじゃあね。夢女ちゃんにもよろしく言っておいて」 「わかりました」  少し雑談した後、硝子さんは職員室へ向かった。  職員室に知り合いの先生がいるとのことで、その先生に挨拶をしてから帰るのだそうだ。ちなみに、硝子さんはこの学校の卒業生だったりする。つまり、俺の先輩でもあるのだった。  硝子さんに別れを告げた俺は、眼鏡が入った紙袋を手にし、自分の教室へと戻った。 「あ、お帰り。なんだって?」  教室では柑森が待っていた。まだ弁当は食べている途中のようで、アスパラを箸で摘んでいる。 「別に怒られるようなことはなかったよ」 「ふぅん、残念」  どういう意味だ、と答えつつ、席に座って、お預けになっていた昼食を再開させる。すると、 「ねえ、その紙袋、何?」  と、柑森が訊ねてきた。 「新しいモノが手に入った」  小首を傾げる柑森。まあ、今の言葉だけじゃよくわからなかっただろう。 「実は硝子さんが来てたんだ。柑森も会ったことあるだろ? ほら、眩坂眼鏡くらさかめがねの眩坂硝子さん。きみが一度眼鏡にしようかどうかって悩んでた時期に連れてったあの店の人」 「……あの人が、来てたの?」 「ああ。なんでも、遅く届く予定だったはずの眼鏡が早く届いたからって、わざわざ学校にまで届けてくれたんだよ。俺が困っているだろうと思って、来たらしい。本当、良い人だよな。結婚したら、いい妻になるんじゃないかな」 「……」  俺の言葉に対する反応はなかった。  柑森は黙々と弁当を食べていた。 「? どうしたんだよ」 「別に……これでもう、きみにノートを見せてあげることはなくなると、清々するなーって」  ……ああ、そうだ。そういえば、そうなるのか。  この眼鏡をかけてしまえば、一週間前の俺に戻ることになる。それは嬉しい気持ちと半面、少し寂しいという気持ちもあった。  だからなのだろう。  冗談だとわかっていても、柑森のその言葉は、なんだか嫌に俺の胸に突き刺さるのだった。  昼休みが終わり、午後の授業に入ると、俺はさっそく新しい眼鏡をかけた。ぼやけていた視界が一気にクリアになり、ようやく、自信を取り戻したような気持ちになることができた。これで、完全体である。もはや恐れるものはないと言っても過言ではない。いや、それは言い過ぎか。  かけ心地も全く問題ない。さすがに通い続けているだけあって、眩坂眼鏡の眼鏡は間違いなかった。

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