-MEGANE-
-09- きみの眼鏡になってあげるよ

無くなっていた。四つとも全部だ。わけがわからなかった。まだ眠っていて、これは夢の中なんじゃないかと本気で思ったが、しかしそういうわけではないらしい。 すぐさま机の下とかを探してみるも、その姿は見えず、部室を歩き回ってみても、その姿を見つけることはできなかった。 どうして、こんなことになった……? 一度冷静になって考えてみる。しかし、いきなり鳴ったチャイムの音に驚かされ、その思考は中断されることになった。 今、何時だ? 腕時計を見やる。今のチャイムは、HR開始を告げる予鈴だった。つまり、あと五分の猶予があることを示していた。 眼鏡は見つからない。しかし、教室に戻る必要があった。正直、このまま教室に戻るというのは気が引ける思いだが、だからといって、ずっとこの部室に留まっているわけにもいかない。 部室の扉に鍵をかけ、職員室に鍵を戻した後、教室へと向かう。眼鏡をかけずにいるということは――裸眼であるということは、視界が悪いという以上に、服を着ずに裸でいるような思いと等しかったので、ひどく抵抗があった。 教室へと入る。ぼやけた視界。部室に行く前に比べて、生徒は盛況している――ようだ。彼らの、顔はよく見えない。ひどく解像度の低い顔だ。俺はその解像度の低い世界で、自分の席へと向かった。 不安、だ。眼鏡がないと、こんなにまで自分を不安にさせるのか。普段眼鏡をかけてる奴が眼鏡をかけてない――周りからは注目を浴びているだろうか――? 自分の席に座る。ここで少しばかり、落ち着くことができた。しかし、まだ不安はすぐ隣にいる。彼らがいないと、こんなにも心細い、ということを俺は酷く思い知らされる。駄目だ。もう駄目だ。このままだと、この不安に押しつぶされて、どうにかなってしまいそうだ。彼らが、いないと発狂してしまいそうだ。駄目だ、駄目だ、駄目だ、俺は、もう―― 「研瞠けんどう……?」 はっと、その声で俺は我に返った。 顔を上げる。そこには、前の席で、身体を捻るようにしてこっちを向いた、女子――いや、柑森かんもりの姿があった。 「眼鏡は……どうしたの?」 「あ、いや、その……」 俺は口籠ることになる。眼鏡がない自分は、ひどく情けなかった。自分の本体は実は眼鏡なのではないかと疑うくらいだ。自信も、半分以上もっていかれたような感覚だった。 しかし、まさか、こういう形で柑森と再び話すことになるとは……。こんなの、想像できるはずもなかった。 「無くし、たんだ」 杏中のように視線を逸らしながら、俺は言った。 「無くしたって……え?」 柑森は困惑している風だった。 「嘘じゃない。本当のことだ。四つとも、全部、無くした」 「全部……?」 柑森は信じられないというような声を出す。俺だって、信じられない。というか、信じたくない。そもそもあれは、無くした、と言っていいものか。 「……どう声をかけたらいいかわからないけど」 長い沈黙の末、柑森は言った。 「災難、だったね。眼鏡が全部無くなるなんて」 皮肉でもなんてもなく、柑森は俺のことを気にしてくれているようだった。 何か言葉を返そうとするが、しかし柑森がどう声をかけたらいいかわからないと言ったのと同様、それに、どう答えたらいいかわからない。 「でも、まあ、よかった。こんなこと言うと、誤解されるかもしれないけどさ、今、ちょっと安心してる」 「え……?」 「てっきり、私の言葉を真に受けて、コンタクトにしちゃったんじゃないかと思ってたから」 柑森は、照れたような、あるいは困ったような笑みを浮かべて言った。 「うん、やっぱりきみは眼鏡かけてる方がいいね」 「……」 ……そうだ、俺だけじゃない。柑森だって、きっと、昨日からずっと俺と同じような気持ちになっていたはずだった。 謝るなら、ここしかなかった。 「か、柑森、昨日は――」 「昨日はごめん」 言葉を被せられ、俺は自然と言葉を切ることになる。 「言い過ぎた。言い過ぎたし、やり過ぎた。きみが嫌がるのはわかってた。でも、相手してほしいがために、あんなことをした。明らかに度を越してた。ほんと、ごめん」 「お、俺も、悪かった。あんなに大きな声を出すことはなかった。もっと優しく言うべきだった」 言えた。 言いたくてたまらなかったものが、ようやく言葉となって、俺から離れた瞬間だった。 「まったくだよ」 柑森は、少し安心した風に言った。 「私、あのとき、結構傷ついたんだからね」 「本当に、悪かったと思ってる」 「一生許さないから」 「……」 「冗談だって。そんな顔しないでよ」 きゃらきゃらと笑う柑森だった。そういう冗談は、止めてほしい。 「きみの眼鏡になってあげるよ」 「……え?」 「研瞠、周りがはっきり見えてないんでしょ。おそらく、今の私の顔も。だから、私が研瞠の眼鏡になってあげる。授業とかさ、困るじゃん? 私のノート、見せてあげるし、黒板に書かれたことで、大切なことが書かれたら、すぐに教えてあげるよ」 ……皮肉な話だった。眼鏡を無くしたことで、こうして、柑森と仲直りをすることができた――というのだから。それもあっけなく。いや、仲直りというものは、往々にしてこういうものなのかもしれない。だから、喧嘩したことは覚えていても、仲直りしたことは覚えてないのだろう。

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