-MEGANE-
-03- コンタクトにすればいいじゃん!

「ところで研瞠、ってさ」 柑森って暇なのだろうか。そんなことを思いながら、続きの言葉を待った。 「確か、もうすぐじゃなかった?」 「何が」 「誕生日」 「ああ、そういや、そうだな……」 「何か買ってもらうの?」 「馬鹿。もうそんな歳じゃねえよ」 「私はまだいろいろ買ってもらってるけど」 「そうかい。そりゃ羨ましい限りだね」 「買ってあげよっか」 思考が一時的に停止し、ページをめくる手が止まる。 「プレゼント」 俺は顔を上げた。柑森は何か企みのあるような表情でこちらを見ていた。 「他人に誕生日プレゼント買うほどの経済力あるのかよ。確か、バイトしてなかったんじゃなかったっけ?」 「してないよ。だから、二十円くらいのチョコあげようかな」 「バレンタインデーじゃないんだから……」 「馬鹿、私があげるときはもっと高い奴あげるっての」 いや、論点はそこじゃない。 「気を遣ってもらわなくてもいいよ。誕生日なんて、学校の創立記念日と同じくらいにしか思ってないから」 「冷めてるね」 「他の奴らが熱過ぎるんだよ」 「お、頂きました。超絶クール系男子、研瞠軒一クンの冷めた一言。他の奴らが……………………熱過ぎるんだよ」 「そんなに溜めて言った覚えはない」 「でもさ、欲しいものとかはあるでしょ?」 俺の言葉に、軽く笑って応えた後、柑森はそう言った。 「例えばさ、それ。欲しいから印つけてるんじゃないの?」 柑森の指先。それはカタログの方へと向けられていたが、指先から直線的に辿ると、そこには、蛍光ペンによって丸で囲われた彼女の姿があった。オレンジの可愛らしい眼鏡である。 「これは、別に俺が欲しいものじゃない」 「……じゃあ、なんで印つけてるわけ?」 「別になんだっていいだろう」 「ふーん、怪しいなぁ」 「怪しくない」 「あ、わかった。まさか私へのプレゼントだったり?」 「……」 「冗談だって。そんな顔しないでよ」 「……」 「え? うそ……まさかそんなわけないよね?」 「……いや、きみに似合うと思って」 そう言うと、柑森は言葉を失った。ついでに、表情も固まっている。 「え、なにそれ。……ジョーク?」 しばらくすると、困惑したように口を開いた。 「いや、ジョークなんかじゃないが」 「ちょっと待て。どういう反応すればいいかわからない。……、……ああ、思い出した。『私が眼鏡? いやいや、それは超絶あり得ないんですけどー!』。――私って確か、こんなことを言うキャラだったよね」 「いや、そんなキャラではなかったと思うが……」 「で、でもまあ、眼鏡かあ」 柑森は机に並べてある眼鏡の一つ――スカーレを手に取った。あまりにも不意な動作だったので、制止する間もなく、柑森の手に渡ってしまった。 「おい、丁重に扱えよ」 「わかってるって」 自分の眼鏡を人に触らせるというのは、いつまで経っても慣れない。非常にはらはらする。おそらく生後数カ月にも満たない自分の子供を他人に抱かせるのと同じような感じなのではないかと、俺はいつも思っている。 「私、一度眼鏡にしようと思ったことはあったんだけど、そのときはあまり似合わなかったんだよね……」 そう言う柑森はコンタクト派だった。俺と同じく、視力が悪い。もっとも、俺ほど視力が悪いというわけじゃないらしいが、少なくとも、道具で視力をごまかす必要があるほど、視力が悪いのは確かだ。 柑森は手に取った眼鏡のアームを開くと、眼鏡をかけてみせた。ちなみに、度は入ってない。眼鏡のレンズというのは、案外馬鹿にならないほどの値段がするのだ。特に俺くらいの視力の悪さになると、尚更である。 「どぉ、似合う?」 「うーん」 「なに、その反応」 「いや、やっぱり眼鏡似合うなって」 「ほ、ほんと?」 「うん、間違いない」 「そう言われると、眼鏡も悪くないって気がしてくるね」 柑森は、ぎこちない動作で眼鏡を外した。 「当たり前だけどさ、眼鏡にも服と同じように、身につけやすさ、みたいなのがあるんだよね。今かけた眼鏡は、ちょっと、この部分があたって、耳が痛い」 「そこは、先セルって言うんだ。先端にセルロイドのパーツが付いてるから、先セル」 「へえ」 「ちなみに、きみが今持っている部分は、テンプルとかアームとかウデとか言う。テンプルは英語でこめかみって意味。ほら、眼鏡をかけるとこの部分がこめかみの上を通るだろう? あと、このレンズを固定しているパーツだけど――」 「あー、わかったわかった、もうわかったから。その辺で」 柑森は鬱陶しそうにそう言った。俺としては、まだまだ語りたいところだったのだが。 「眼鏡ねぇ……でも私、今までコンタクト一筋だからな……。眼鏡っていまいち魅力を感じないんだよね。視界狭まるし、思いっきり動けないし」 それには大いに反論したいところであったが、柑森の手元を見て、その感情は遠い彼方へと飛ばされることになった。 「おい、柑森……きみ、何さりげなくレンズを指で触ってんだよ」 「え? ああ、ごめんごめん。ついうっかり」 ついうっかり? なんて軽い調子で謝る奴なんだ。まったく事の重大さを理解してない。俺はすぐさま柑森の手から眼鏡を奪還した。 「あ、そうそう。知ってる? 指紋って、どういう理屈で残るのかって言うと、指の表面にある汗と皮脂が付着して、できたものらしいよ。つまり、指紋が印鑑で、汗と皮脂が朱肉代わりってわけ……って、聞いてる?」 聞いてない。 指紋がついてるかどうかチェックするのに、そんな話を聞いていられなかった。そして案の定、レンズには指紋がうっすらついていた。 「そんなに必死になること? 拭けばいいじゃん」 「セリートで拭けばいいってわけじゃないんだよ……」 「セリート? なにそれ」 「眼鏡拭きのことだ。……ああ、こんなときに限ってシャンプー持ってくるの忘れてやがる――」 「シャンプーって……、それはちょっと大袈裟じゃない? なんか私が汚いみたいじゃん……!」 ――どうする? 保健室にでも行けば、中性洗剤くらいは借りられるか? 今からでも間に合うだろうか? 「ねえ、聞いてんの?」 時間は――HR開始まではぎりぎり間に合うか。よし、そうと決まれば、早速―― 「隙ありっ!」 柑森の声が聞こえたかと思うと、俺の視界は靄がかかったように、ぼんやりとしたものになっていた。 「ふっふっふっ。残念だったわね、研瞠クン」 目の前の柑森は何やら笑っていた。――が、その表情の細部に渡ってはわからない。情報が足りない。解像度が、ひどく荒かった。 「この眼鏡は今、私の手中にあります。つまり、私の気分次第で、このレンズに今すぐにでも指紋をつけることが可能というわけです。さあ、研瞠クン。この眼鏡の貞操を脅かされたくなければ、私に――」 「それには触るな!」 気付けば、怒鳴っていた。 しまった、と思ったときにはもう遅かった。自分でも驚くくらい大きな声を出してしまった俺は、周りを、しん、とさせてしまっていた。周囲を見渡したわけじゃない。だが、このとき、間違いなく、この教室にいる全員の視線が俺に集まっているということだけは、気持ち悪いほどの静けさで、否が応でもわからされた。 「なに、それ……」 柑森は愕然としたような声で、そう呟いた。 「ただのお遊びなのに、本気になって……そんなに眼鏡が大事……? だったら、こんなもの、学校に持ってこなければいいじゃん! 私みたいに、コンタクトにすればいいじゃん!」 椅子から立ち上がった柑森は、俺を見おろす形で、感情を露わにする。その表情は――うまく読み取れない。 「馬っ鹿みたい! もう、ただの変態じゃん! ほんっっっと、気持ち悪い!」 気持ち悪い。 その言葉とともに、柑森は手に持っていた眼鏡を俺に向かって、叩きつけるようにして、俺に投げつけた。 うまく全身を使って受け止めたおかげが、眼鏡が床に投げ出されるなんてことは避けることができた。手に取って、近くで見てみても、どこか壊れているような所はない。無事であることを悟り、安心する。 眼鏡をかけ直し、クリアになった視界で柑森の姿を探すが、しかし、その姿を見つけることはできなかった。 ……どうやら教室を飛び出してしまったようだった。

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