朝早くに登校しただけあって、教室は静かなものだった。 机に鞄を置き、昨日の柑森との会話を思い出す。 『きみが入ってる部活、なんて言ったっけ?』 『美学部だけど、それがどうしたのか?』 「美学部――改めて聞いても不思議な部活だよね……。まあ、それは置いといて――確か、きみが入ってるその部活って毎日活動してるわけじゃなかったよね。明日って部活ある?」 『いまのところ、ないよ。うちの場合、基本的に部活がある日が珍しいからなぁ……部長が来るときにみんな集まるって感じだし』 『じゃあ明日、その部室使ってもいいんだ』 『? 何に使うつもりだよ』 『それはまあ、明日のお楽しみということで』 朝早くに部室にて集合、と言っていたが、柑森の奴……一体何をするつもりだろうか。 職員室で鍵を手に入れ、部室に到着。鍵を使って、扉を開ける。 勿論、部室には誰もいない。 柑森がやってくるまで、俺は時間を潰すことにした。 扉を閉めた後、本棚へと歩み寄り、お目当てのそれ――眼鏡のカタログを手にする。扇風機のスイッチを入れて、席に座って、カタログのページを開いた。 今眼鏡をかけていないので、自然と紙面に近寄る形となる。 あれから――眼鏡が無くなってから、一週間が経った。 明鏡寺先輩からは音沙汰はない。そして、誘拐された彼らは未だ、俺のもとへと戻ってきてはいない。 つまり、そういうことだった。 やっぱり眼鏡がないと、不便だ――そんなことを思っていると、 「早いね、私が先だと思ったのに」 ノックもなしに扉を開かれ、そんな声が聞こえた。 「何隠してるの」 「いや、これは、その……」 あろうことか、俺は反射的に、手に持っていたカタログを背中に隠してしまっていた。 「もしかして、えっちぃ本?」 「いや、それは違う」 「本当に? ……怪しいなあ」 そう言うや否や、柑森は部室へと入ってくる。一瞬たりとも俺から目を離したくないのか、柑森は後ろ手で扉を閉めた。 「ちょっと見せてよ」 柑森はずんずん近づいてきた。俺が後ろに隠しているものにとても興味津津なようだ。ここまで相手に興味を持たせてしまったら、もう隠し通すことは不可能だろう。そう悟り、柑森が俺の後ろに周り込むより早く、「も、持ってたのはこれだ」と、それを表へと出した。 「……ただの眼鏡のカタログじゃん。何で隠す必要があったの?」 「それは、自分でもよくわからない」 「ふぅん……」 柑森は訝しげだった。 「まあ、別にどうでもいいけどさ。でも、なんでだろう、隠した本がエロ本であって欲しかったと思ってる私がいる……」 それは、反応に難しい言葉であった。 「さっきから気になってたんだが、それはなんだ」 俺は柑森が肩からおろしたボックスを指して言った。見たところ、小型のクーラーボックスのように見えるが……なんのためにそんなものを。 「これはね……なんだと思う?」 「なんだよ、勿体ぶって」 「研瞠ってさ、サイダー好きな人?」 「サイダー? ……まあ、嫌いじゃないが」 「じゃあ、飲もっか」 「おい、まさか、そのボックスの中身って……」 「そういうこと。ほら、座って座って」 背中を押され、席に座らされる。柑森は、向こう側の席――俺に向かって真正面ではなく、斜めの方の席へと座った。そして、クーラーボックスを机の上に置かず、俺に隠すように、机の下へと置く。もう中身はわかっているというのに……演出過剰な奴だった。 柑森が机の下から取り出したのは、グラスのコップらしきものだった。「うっ……」などと、呟きながら、取り出した二つのグラスを一度机の上に置く柑森。そして、手首の運動でもしているかのように、両の手を降るような動きをする。 「はい、これ。きみの分」 柑森はテーブル越しに、グラスを一つ、俺の手前へと置いた。何気なくそのグラスを手にした俺であったが、グラスを触った瞬間、自分の手を引っ込めることとなった。それと同時に笑い声が聞こえる。 「すごく冷たいでしょ? 家出るまで冷凍庫でキンキンに冷やしてたの。家出てからは、ドライアイスを入れたこのボックスの中でばっちり保冷してたからね」 俺のしかめっ面が可笑しかったのか、きゃらきゃらと笑う柑森だった。 「はい、じゃあサイダー入れますよー」 同じくクーラーボックスの中で冷やされてあったのだろう。500ml容器のペットボトルに入ったサイダーのキャップを開けた後、柑森はまずは俺のグラスへと、注ごうとする。 「既に冷えてあるものを、こんな冷たいグラスで飲むのか?」 「これはここに来る途中に、売店近くの自販機で買ったものだから。そんな冷たくないよ」 グラスにサイダーが注がれる。透明のグラスに、透明の液体が流し込まれ、気泡の数々が生まれた。それを見ているだけで、涼を感じさせる。 柑森は自分のグラスにもサイダーを注いだ後、「じゃ、乾杯しようか」と言った。 「何に?」 「うーん、そうだね。仲直りできた記念に?」 「そりゃあいい」 乾杯、と言って、お互いのグラスを軽くぶつけた。
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