-MEGANE-
-04- 目の保養と言いますか……

あの眼鏡は、他の眼鏡とは違って、ちょっと特別なものであり、そして思い入れがあるものだった。 金具が一切取り付けられていない。 パーツ毎の分解、構築が容易に可能。 全てのパーツが透明色。 それらの特徴を持つその眼鏡は、そこらへんの店で買って手に入れたものではない。眼鏡を作っている知り合いの職人さんに作ってもらったものである。しかもそれは、お金を出して買ったものではなく、懇意にしているからという理由で作ってもらったものだった。それは完全に俺のためだけに作られた、世界に一つしかない代物と言っても過言ではない。それ故、彼女は――その眼鏡は、今の俺にとっては命と同じくらい価値のあるものであり、大切にしているものだった。 仮に、あの場にいた全員に言い訳するとしたら、おそらくそのようなことを言っていたと思う。もっとも、そんな言い訳をしたところで、誰も納得しないだろうが。そういう問題じゃないと言われるのがオチだろう。そんなことは、俺にもわかっていた。 放課後になると、柑森かんもりはすぐさま帰り支度を整えて、教室から出てしまった。いつもなら、帰る際には一声をかけてくれたりするのだが、それもなかった。 なんとも言えない、この嫌な感じ。それは、少し前に味わったことがあるものだ。夏休みに入る前――大体三か月前くらいにも似たようなことがあった。そのときも、柑森が相手だった。 『実在するヒトの名前をつけるとか、あり得ないから!』 柑森がそれを口にしたとき、俺が眼鏡に名前をつけているのは、彼女は知っていた。それだけじゃなく、かけもしない眼鏡まで毎朝メンテナンスし、それらを毎日持ち歩くのだって、彼女は知っていた。知っていて、口では気持ち悪いと言いながらも、彼女は友達として俺と接してくれていた。 だけど、それだけは許せなかったのか、俺が眼鏡に実在する人物の名前をつけたと知ったとき、彼女はとんでもなく怒った。結果的には仲直りすることはできたものの、結局、あのとき彼女がなぜそこまで怒っていたのか、それはわかっていない。わかっていないのに仲直りできたというのは、おかしな話だった。 喧嘩の内容は覚えているものの、仲直りの内容は覚えていない。昔からそれは不思議に思っていたが、高校生になった今でも、その謎はわからないでいる。 柑森が教室から出た後、やっとの思いで腰を上げると、俺はその足で部室へと向かった。柑森とあんな風になってしまったので、何もする気にはならなかったが、しかし今日は『部活の日』だった。 そういうわけで部室へと向かった……わけなのだが、しかしその道中、職員室に部室の鍵を取りに行った俺は面食らうことになった。 部室の鍵がなかった。それはつまり、誰かが俺より先に鍵を借りに来たということを意味していた。 部室へとやって来ると、案の定、扉はあっけなく開くことができた。部室には先客の姿があった。 窓は開いており、揺らめくカーテン。部屋の隅には、くるくると回る扇風機。そして、広い机を一人で使って、椅子に座って本を読む文学少女が一人。 杏中瞳あんなかひとみ――我が美学部の部員だった。 先輩が入って来たというのに、ちらっと一度こちらを見るだけで、ろくに挨拶もなし。視線は本のページに固定されている。 やれやれ、まったく最近の若いモンは……と、口にしては俺も彼らの仲間入りを果たしてしまうので、扉を閉めながら、代わりに溌剌と爽やかに声をかけることにした。 「よっ、杏中。久しぶりだな」 「……」 「夏休みはどうだった?」 「……」 「部長はまだ来てないのか?」 「……」 「…………」 「…………」 言葉通りの無視だった。 こちらを見ようともしない。 俺は、杏中が読んでいる本を取り上げた。 「あっ……」 杏中は小さく声を漏らす。そして、初めて俺に気付いたかのように、 「け、研瞠先輩……いたんですね。気付きませんでした」 と言うのだった。目を横に泳がせて。 しらじらしいにも程がある。俺がこの部屋に入ったとき、ちらっとこっちを見たじゃないか――というようなことを口にしたくなるが、それはしない。 杏中は、どうにも会話というものが苦手だ。好意的に解釈すれば、部室に先輩がやってきたものの、どう声をかければいいかわからない、声をかけてくれたものの、どう返していいかわからない――という思考で、一番楽な、コミュニケーションをしない、という選択肢、本を読み続ける、を選んだのだろう。 それを察することができたので、俺も大して気にしていない風な装いをしながら、つまり優しい先輩を演じ、杏中に合わせる形で、あくまでも棘が立たないように、マイルドに言葉を口にすることにした。 「いたよ。三度も声をかけたのに、無視された」 「そ、そうですか。すいません、気付くことができなくて」 視線を横へと泳がせる杏中。 俺は溜息を吐いた。 いつまでも立っている理由もないので、杏中に本を返して、俺も席につくことにした。杏中の対面に座る。 杏中は、再び読書モードに戻っていた。 話題に困った俺は、杏中が読む本の手前――横に並べるようにして机に置かれた『それら』へと視線を向けた。 「……なあ、杏中。それってやっぱり、拾ってきたものか?」 と、杏中に訊ねる。 すると杏中は、今日初めてと言っても過言ではない食い付きを示した。 「あ、これですか。はい。えと、今日拾ってきたものは、一つだけで、後は、家にあったものを持ってきました」 ……やはりこの話になると、比較的饒舌になる杏中だった。杏中は宝物を見るかのような表情で『それら』を見つめる。その視線の先にあるのは――、 亀の頭に、エンジェルっぽい翼が生えた、掌サイズの人形。 どこからどう見ても、自転車のサドル。 食玩のオマケで入っているようなラムネのお菓子が入った小包。 虹色に輝く、葉っぱを模したガラス製のオブジェ。 ――以上のものが横一列に並んであった。 「どうして、ここに並べてるんだ?」 「あ、えっと、それは……その……目の保養、と言いますか……」 「……」 目の、保養。 こんなものを眺めて何が楽しいのだろうか、と俺が口にするのはいけないことなのだろうか。 杏中は、誰が落としたかわからない落し物の収集癖がある。そして集めるものは、それを集めて何が楽しいのか、というようなものばかり。ほとんどは理解できないガラクタ同然のものばかりだった。 本人曰く、 「価値がないと見限られたものや、落とし主とはぐれてしまったものになんとも言い難い魅力を感じてしまって……」 とのことらしい。 ちなみに、杏中は、こういう誰かが落としたものを収集するために、わざわざ電車を乗り継いで、遠出すると聞く。一体どこに行っているのかと聞いたら、海とかよく行くらしい。「砂浜はいいですよ。波に揉まれて流れついたお宝がたくさんありますので」 とのこと。 海のようにきらきらとした目で語っていてくれたのを覚えている。 杏中の場合は、収拾するものが誰もが価値を見限ったガラクタばかりなので、お金はかからない。かかるのは交通費といったくらいで、コレクターとしては、そこはうらやましいポイントであった。 謎なのは、その集めたガラクタをどう処理しているかである。自分の欲望のままにそれらを集めてしまえば、自分の家はゴミ屋敷になること必至だ……。 親御さんとかは、どう思っているんだろうか……。 「えへへ……こういうの見てると、なんだか温かい気持ちになりますよね」 それはなんとも同意しかねる言葉だったので、曖昧な笑みを浮かべてやり過ごした。 「並べてあるのはわかったよ。それにしても、なんで、わざわざ持ってきてるんだ?」 「そ、それは……」 杏中はあからさまに照れた様子を見せた。 「部長に、あげるためです」 「……」 俺は言葉を失った。 何も聞かなかったことにする。 「あ、それと、この本も」 それもかよ。 ってか、落とし主もちゃんと管理しとけよ。ハードカバーだぞ、落とすなよ、そんなもん。 呆れ半分、本を読んでいたのは、文字を追っているのではなく目の保養をしていたのか……と、妙な納得をしていると、部室の扉が開かれる音がした。

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