-MEGANE-
-14- 氷の眼鏡

 涼を感じさせるような音が鳴った後、その冷たすぎるグラスへと口をつけた。柑森の言っていた通り、サイダー自体はそこまで冷たくはなかった。冷たいのは冷たいのだが、許容できる冷たさだ。それに、グラスの冷たさが付加されることで、残暑であるこの時期にはぴったりの飲み心地になっていた。 「うん、冷たくて美味しい」  これを持ってきた当人も、どうやら満足しているようである。 「あ、そうそう。ついでに、あくまでついでになんだけど」  何か思い出したような柑森は、机の下へとその身を屈めた。数秒ほど経って、机の下に隠れていた姿が再び現れる。 「こんなものを、作ってみたり」  柑森が持っていたもの。それを見て、俺は一瞬、この目を疑った。  透明色の眼鏡。  それは、その姿は、つい最近まで俺がかけていた『彼女』を彷彿とさせた。 「氷で作ってみたの。普段は、あんまりここまで細々したものは作らないからさ、結構大変だった」  氷、と聞いて、俺はようやく、それが眼鏡の形をした氷の作り物であることを悟る。同時にそれが、柑森の趣味である氷彫刻によって、作られたものだとわかった。  なるほど、氷彫刻と言えば、自然とオブジェのようなものを想像してしまうが、そういうのも作ろうと思えば、作れるわけか。  しかし、これはすごい。  芸術品そのものである。それに、ただ美しいだけじゃなかった。眼鏡である。眼鏡なのである。家に持って帰って、透明なケースの中に入れて飾っておきたいと思わせるほど、それは魅力的なものだった。もっとも、氷でできている以上、溶けることは免れないので、その願いは叶わないのであるが。 「柑森……、それ、すごいよ。なんというか、言葉にならないくらい」 「そ、そう? それは、良かった。まあ、あくまでもついでに、何か面白いもの作ってみようかなって思って、作っただけなんだけどね……」 「なあ、それ、ちょっと触ってみてもいいか?」 「できるよ。かけてみる? 冷たいよ」  テーブル越しに、柑森から氷の眼鏡を手渡される。さすがに氷でできているというだけあって、柑森の言う通り、冷たいものだった。 「ちなみにそれ、前の部分と耳にかける部分が外せるようになってるの。ほらそこ、凹凸で噛み合ってるようになってるから」  本当だ。  しかし、これだとまるで、尚更、俺がつい最近までかけていた彼女のようだった。彼女も、同じように、フロント部分とテンプル部分は、作られた凹凸によって噛み合わせることで、眼鏡としての機能を果たすのだ。使わないときは、フロント部分とテンプル部分と外し、また違う凹凸と噛み合わせることで、普通の眼鏡同様、折り畳みされた姿になる(もっとも、この氷の眼鏡にはそこまでの機能はないようであるが)。この構造のメリットは、単純に他にはないおしゃなものだという所以外にも、メンテナンス――つまり、掃除のしやすさにあった。金具が一切ついておらず、ほとんどのパーツを自分で分解・構築できるので、隅々まで綺麗に掃除することができるのだ。また、個人的な愉しみとして、パーツを組み立てるとき、まるでプラモデルを組み立てているような感じがして、好きだった。  しかし、それにしても、俺の眼鏡がそのまま凍ってしまったんじゃないかとすら思えるほどのクオリティだった。勿論、テンプルのカーブ具合とか、レンズの厚さとか、まあ当然ながら細かいところに違いはあるものの、それでもこれは、そう思わせるほどの完成度である。思わず、テンプルの先を見やったくらいだ。俺のかける眼鏡には全て、ネームをテンプルの目立たない所に彫ってもらっているため、自然と確認してしまった。 「まるで、きみがかけていた眼鏡みたいでしょ」 「ああ、まさに」 「あれがどんなだったかを思い出して、それっぽいのを作ってみたの。きみ、あれをすごく気に入ってたから、喜ぶかと思って……。ほら、あれも透明じゃん? 氷もそうだから、できると思ったんだよね。……でも、今思えば、馬鹿なことしたかな。私、嫌なこと、思い出させちゃった……?」 「いや、そんなことはないよ。良いものが見れて、すごく感動してる」 「なら、いいんだけどね」  あまりの冷たさに机に置いていた氷の眼鏡を実際にかけてみることにした。いざつけてみると、やっぱり冷たい。物凄く冷たい。当たり前だが、こんなの一分もかけていられなかった。かけ心地は、まあ悪くはないものの、温度が問題である。俺は氷の眼鏡を外した。 「暑いときは、その眼鏡で涼を取れるね」  と、冗談を言う柑森だったが、涼なんて感じられるのはおそらく一瞬だけだろうと真面目に思う俺なのであった。 「あ、充分堪能したら、その眼鏡、分解して、そのグラスにでも入れておいて。溶けると水になっちゃうから」  確かに若干溶け始めてきたので、そうさせてもらうことにする。俺がつい一週間前まではかけていた彼女で、勝手は知っていたので、凹凸で噛み合っている部分を逆方向に力を加え、二つのテンプルと一つのフロント部分に分解する。そして、サイダーを飲み終わった空のグラスへと、箸を立てるようにしてそれぞれのパーツを入れた。  氷でできた各パーツが既に溶け始めているのを見て、俺はなんとも言えない気持ちになった。 「でも、なんだか勿体ないな。せっかくこうして作られたのに、時間が経てば、溶けて、跡形もなく無くなってしまうんだから。なんとかして留められたりできないものかな。そうすれば、家に飾れたりできるのに」 「そこまで気に入ってくれたんだ。それなら私もそうしてあげたいところだけど、こればっかりはね……氷は、溶けてこそ、真の価値があるから」  なんだか深い言葉を言う柑森だった。 「溶けるのも含めて良いんだよ。限られた間でしか、作品としての形を保っていられない。……そういうのってさ、上手く言えないけど、なんだかすごく綺麗なだよね」 「まあ、言おうとしてることは、なんとなくわかる」  チャイムが鳴った。本鈴ではない。予鈴である。しかし、だからといって、悠長にしているわけにもいかない。予鈴はもうすぐ本鈴であることを知らせる合図なので、そろそろお開きにする必要があった。 「さて、戻りますか」  ぱん、と手を叩いて柑森は言う。 「これらはどうするんだ?」 「また放課後に取りにくればいいよ。その頃には、その眼鏡もちゃんと溶けてくれてるだろうし」  そうは言って、柑森は、俺の前に置いてある氷の眼鏡が入ったグラスを取って、自分が飲んでいたグラスと並べた。そのままと言っても、整理をきちんとする辺り、柑森もやはり女子である。俺なんかは、言葉通りそのままにしているだろう。 「何してんだ? クーラーボックスも置いていくんだろ」 「それはそうなんだけど……」  柑森はクーラーボックスへと身を屈めていた。 「薬を飲むのを忘れてて、ちょっと水飲んでいい?」 「そりゃいいけど……薬って何の薬だ?」 「ただの風邪薬だよ。最近ちょっと風邪気味でね」  サイダーと一緒に買ったのだろう。同じく500mlの容器のペットボトルに入った水(多分、水だ)を取り出し、さっきサイダーを飲んでいたグラスへとそれを注いだ。 「風邪か。まあ、ただの風邪薬ならちょっと安心した」 「何? もしかして私のこと心配してくれてる?」 「別に、そういうつもりじゃないが……。先、出てる」  薬を飲むところを見ても本人が飲みにくいだけなので、先に退出することにする。しかし、部屋から出ようと扉に身体を向けた直後、「ひゃっ!」と何とも可愛らしい悲鳴が聞こえた。何事かと振り向くと、何やら柑森は机の方を見ていた。柑森の視線の先を見てみると、テーブルの上に水たまりができている。そしてそのすぐそばで、グラスが倒れていた。 「おいおい、大丈夫か」 「やっちった……、あーもう、HRまで時間がないっていうのに……」 「ハンカチ――じゃ、駄目か」  さすがに、ハンカチで拭きとれる水分量ではない。 「ま、まあ、このままで――窓を開けていれば乾くでしょ。ここ、三階だから、窓から誰かが入ってくる心配もする必要ないし」  柑森が言ったことは、確かにその通りだった。何か拭くものをどこからか見つけてきて、拭いている時間はなさそうだ。 「おい、まだ水を飲むのか?」 「さっきこぼしちゃった所為で、まだ薬飲めてないの! 飲みにくいから、先出てて」  先に部屋を出て、柑森が出てくるのを待った。  やがて、窓を開ける音がする。 「おまたせ」  と、部屋から柑森が出てきてから、俺は扉に手をかけた。閉める際、水溜まりの中、寄り添うようにして置かれた二つのグラスが目に入る。片方のグラスには、ぼやけて、はっきりと見ることはできないものの、さっきまで俺が手にしていた氷の眼鏡が、まだ形を保っているようだ。  放課後になると、あれはきれいさっぱり消えているのか。そう考えると、どこか寂しい気持ちになってくる。だからこそ、その最後の姿を目に焼き付けておきたかったが、ぼやけて良く見えないのが悲しかった。裸眼はつらい。眼鏡の偉大さを認識させられた後、俺は扉を閉め、鍵を閉めた。

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