-MEGANE-
-11- 眩坂眼鏡の硝子さん

 午前の授業同様、柑森にお世話になって、午後の授業も問題なく終えることができた。気付けば、放課後になっていた。柑森との別れの挨拶を済ました後、今日は部室へと向かわず、そのまま下校。とはいえ、そのまま帰宅というわけではない。寄る場所があった。  眩坂くらさか眼鏡。  名前からもわかる通り、眼鏡屋さんである。工房が一緒になったお店で、そこで作ったものをそこで販売しているという、ちょっと珍しいお店だ。ちなみに、俺はいつもこの店にお世話になっている。  一度お店の方へ足を運んで、挨拶を済ませてから、俺は裏側にある工房へと回った。  工房には、一人だけ作業をしている人物がいた。  彼女は、椅子に座り、目の前にある機械で、眼鏡を研磨している最中だった。あれは、確か……バフ研磨、と言ったか。この前教えてもらったのが、記憶に残っている。  集中しているようで、彼女は工房に足を踏み入れた俺に気付かなかった。まあ、バフ研磨の機械もそれなりの音がするので、気付かないのも無理はない。しかし、その研磨の機械に限らず、この工房の様々な機械には、毎度毎度来る度に圧倒されるものがある。初めて見たときは、眼鏡のような比較的小さいものに、こんな大きい機械を使うのか、と驚いたものだった。  研磨具合を確かめていた彼女は、納得いくものに仕上がったのか、持っていた眼鏡を近くの箱に入れると、席を立った。それで、丁度身体がこちらを向くことになり、目が合う。 「軒一けんいちくん……?」  眩坂硝子くらさかしょうこさん。  彼女は俺のことを下の名前で呼ぶのだった。 「眼鏡はどうしたの?」  案の定、そんな疑問が続けて投げかけられた。硝子さんに正直に話すのは気が引けたが、しかしここで話さなければ、何をしに来たんだという話であったので、眼鏡を無くしてしまったことを、正直に伝えた。 「本当に、すみません」  硝子さんは、驚いているようだった。驚いて、どう反応したらいいかわからない風である。それを見て、胸を痛まずにはいられなかった。なんたって、俺がいつもかけていたあの眼鏡は、他ならぬ硝子さんの手によって作られたものだからだ。お金で頼まれたからではなく、硝子さんが俺のために作ってくれた、世界でたった一つしかない唯一無二の眼鏡なのである。それを作ってくれた本人の前で無くしたと言うのも辛いが、その本人の反応を見るのが、一番辛かった。 「正直、びっくりしてる……」 「……、そうですよね……」 「眼鏡って無くなるものなのね」 「…………」  ……いや、まあ確かに、その指摘は正しいけれども、せっかく自分が作った眼鏡を無くされたということに関しては、特に思うことがないのだろうか。 「しかも、軒一くんに限って。お風呂に入るときも寝るときも肌身離さず眼鏡と一緒なのに」 「いや、硝子さん。さすがに俺だって寝るときくらいは肌身離してますよ」 「そうなの? お風呂に入るときは?」 「まあ、お風呂には一緒に入りますが……シャンプーとかしてあげますが……」 「やっぱりね。軒一くんなら、それくらいすると思ってた」  朗らかに笑う硝子さんだった。 「あの……硝子さんが作って頂いた眼鏡を無くしたことに関しては、何とも思ってないんですか?」 「まさか。正直、さみしい。だってあの子は、私の子供みたいなものだもの」 「そう、ですよね……」 「まあ、誰しもそういうことはあるし、気にしないで。ところで、ご近所のおばあちゃんからお饅頭頂いたんだけど、一緒に食べない? 量が多くて食べ切れないのよ」  硝子さんは、気を遣ってくれているみたいだった。それはとてもありがたいことであったが、しかしそれにしても、あまりにも軽くされてしまった感が否めない。饅頭で話題転換される話って……と思う俺であったが、しかしせっかくのご厚意、俺は甘んじて、饅頭を頂くことにした。 「そういえば、彼らはどうしたの? 軒一くん、いつも胸ポケットに入れてなかった?」 「ああ、それが……彼らも無くしてしまったんです」 「え?」  さすがに驚きを隠せない様子の硝子さんだった。元々詳しい話はするつもりだったので、硝子さんに事の経緯を説明することにした。工房の奥の座間にお邪魔し、近所のおばあちゃんから頂いたという饅頭を頂きながら、ついでに熱いお茶もごちそうになりながら、話をする。 「不思議な話ね……」  それが硝子さんの第一声の感想だった。 「部室には鍵はかかっていなかったのよね」 「ええ。扉は閉めていましたが、鍵は閉めてませんでした。それは確かです。部室にいながら部室の鍵を閉めることは、滅多にありませんから」 「そうよね……。ということは、誰かが持ち出した、とか……」 「そうなりますよね。でも、何のために持ち出したのか……」  うーん、と悩む硝子さん。 「……って、私が考えても仕方がないか。当事者である軒一くんもわからないんだから。おばさんの脳味噌じゃ、どれだけ考えても無駄よね」  それはさすがに謙遜しすぎなのでは……。  硝子さんは、自分のことをおばさんと言ったが、まだ三十にもなっていない歳である。二十七歳。それが硝子さんの歳だと、記憶している。充分若い。さすがに高校生に混じってというのは難しいかもしれないが、少なくとも現役大学生と言っても通じるレベルではある。 「私にできることは眼鏡を作り、眼鏡を直し、眼鏡を綺麗にし、眼鏡を愛すことだけだもの。こういうのは私の分野じゃないわ。……ところで、軒一くん」 「はい」 「新しい眼鏡はどうする?」 「あ、その件でも用があって来たんです。後でちょっと色々見せてもらってもいいですか」 「勿論いいよ。だけど、軒一くんって確か、なかなか目が悪かったわよね」 「そうですね」 「今回もお取り寄せになるけど、大丈夫? 一週間くらいはかかると思うけど」 「それなら、まあなんとか大丈夫です。有難いことに、今は友達が俺の眼鏡の代わりになってくれてますので」 「友達って柑森ちゃん?」 「ええ、そうですが……よく覚えてましたね、確か一回しか会ってないんじゃ……」 「良い子だったもの。礼儀正しいとかそういう意味じゃなくて、純粋に良い子だなあと思ったから記憶には残ってた。あと、軒一くんとはお似合いだと思ってたことも覚えてた理由の一つかな」 「そういうのは止めてください」 「はいはい、じゃあ、具体的な日にちがわかったら連絡するね」 「わかりました」 「でも、毎度毎度ごめんね。今度から、軒一くん専用のレンズ、常備しておこうかしら」 「いや、そんな、悪いです。俺なんかのためにそんなことを……」 「何言ってるの。軒一くんはうちの常連さんでしょ。それくらいのサービスはしなきゃ。……あ、お茶のおかわり、持ってくるね」  胸が温かくなるような言葉をかけてくれ、席を立つ硝子さん。硝子さんの優しい言葉と甘いお饅頭と熱いお茶で俺の心は温かさで満たされていた。 「あ、そうそう。さっきの話だけど」  硝子さんは振り返って言った。 「ほら、眼鏡が無くなったって話。夢女ゆめちゃんに相談してみたら? 私とは違って、まだまだ若い脳味噌持ってるし。きっと、夢女ちゃんなら、何か進展させてくれるんじゃないかしら」  夢女ちゃん、と聞いて、一瞬誰のことかわからなかったが、すぐに明鏡寺先輩ということに気付く。そうだ、明鏡寺先輩の下の名前は夢女、という名だった。頭ではそう記憶しても、いざその名が出てくると、明鏡寺先輩と一致しない。それはおそらく、明鏡寺先輩も忌々しくそれを口にしていたが、明鏡寺先輩という人物にあまりそぐわないためだろう。  ちなみに、硝子さんが明鏡寺先輩を知っているのは、俺が硝子さんと明鏡寺先輩を引き合わせたから――というわけではなく、二人はそもそも見知った仲だからである。いつからの知り合いかはまだ訊ねたことはないが、しかしお互いに信頼関係が築けているのは、二人がやりとりしているところを見ただけで、充分にわからされた。あのときの、自分の良く知る人物が互いに知り合いだとわかったときの衝撃は今でも忘れることなく覚えている。  まあ、それはともかくとして。  硝子さんの言う通り、確かに、明鏡寺先輩なら相談に乗ってくれるだろう。しかし、そんなことで、明鏡寺先輩の時間を奪ってもいいものか。あの人のことだ、一度相談をしてしまえば、その問題が解決するまで付き合ってはくれるだろう。しかし、それは明鏡寺先輩の貴重な時間を奪ってしまう形となる。一切そんな風体を見せないが、明鏡寺先輩はもう三年生、受験生なのである。果たして、それがわかっていて、明鏡寺先輩に頼ることができるだろうか。  そんな風なことを硝子さんに言ってみると、 「後輩が先輩を頼らなくてどうするの」  と、硝子さんは答えた。 「それに、きっと夢女ちゃんならこう言うんじゃないかしら。『なぜそんな大事なことを今まで私に黙っていたのだ』って」  硝子さんは明鏡寺先輩の声真似をしながら言った。それはお世辞にも上手いものだとは言えなかったが、少なくとも俺はそれで決心することができた。 それもそうだ、と。  明鏡寺先輩なら下手したら怒りかねない。

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