-MEGANE-
-08- 幸せなひととき、そして――

翌朝のことである。 いつもより早く登校した俺は、まだほとんど人がいない教室を経由した後、部室へと足を進めていた。グラウンドの方からは、運動部の掛け声らしきものが聞こえてくるが――なに、こっちは朝錬というわけではない。 部室の鍵を取るために、一旦、職員室に立ち寄る。 しかし、職員室へと足を運んでみれば、部室の鍵はまたも無くなっていた。 ……一体、誰がこんな朝早くに部室に用があるのだろうか。 考えられるとしたら、明鏡寺めいきょうじ先輩か――あるいは、百目鬼どうめき杏中あんなかだが……しかしこの二人は可能性が薄いだろう。 あの二人は明鏡寺先輩がいないと、基本的に部室に姿を現さないのだ。 もっとも、昨日同様、明鏡寺先輩から召集がかかれば、早朝だとしても彼らは明鏡寺先輩に会うため、飛んでやってくるだろうが、昨日の今日だ。それはまあ、ないと見ていいだろう。 となると、明鏡寺先輩の一択となるのだが……しかし、どうしてこんな朝早くに部室に? ……まあ、行けばわかるか。 職員室を出て、部室へと通ずる廊下を歩いていると、部室から誰か人が出てきた。 その人物は――明鏡寺先輩ではなかった。 「眼鏡オタクじゃねーか。なんだ、朝から奇遇だな、オイ」 百目鬼だった。部室の扉の鍵を閉めた後、そのまま立ち去るつもりだったのだろう、俺と目が合うや否や、そんな風に声をかけてきた。 「朝っぱらから部活か? 精が出るねぇ」 「部室で一体何してたんだ?」 「そう警戒した目でみるなよ。別に何かやらかそうとしてたわけじゃない。ただ、落し物を捜しにきただけだ」 「落とし物?」 「ああ、残念ながら見つからなかったがな。……杏中に拾われてなきゃいいんだが」 ぼそっと、そんな可能性を口にする百目鬼。 それは無きにしも非ず、だった。 「ちなみに、落とし物って一体どんなものなんだ?」 「俺がこの世で最も美しいと思っていて、それでいて壊すことができないものだ」 なぞなぞか……? 「別にお前に手伝ってもらおうなんて思ってねーから、これ以上は言うつもりはない」 百目鬼はそう言うと、「ほらよ、鍵だ」と、持っていた鍵を俺に手渡した。 「それじゃあな、眼鏡オタク。ああ、そうだ。もしその眼鏡がいらなくなったら、是非俺にくれろよ」 「あげねえよ」 立ち去る背中に、間髪いれずに断っておく。百目鬼もしつこい奴だった。 俺は部室の方へと向き直った。百目鬼から渡された鍵を使って、部室の扉を開ける。部室は……特に変わった様子は見られなかった。落し物なんて最初からあまり信じていなかった俺は、何かされているのかと疑ったが、ぱっと見、特に何かしていたという形跡は見当たらなかった。 扉を閉める。 扇風機の電源を入れた後、椅子の一つに座った。背もたれに背中を預けると、宙に向かって息を吐く。 わざわざ部室まで足を運んだのは、時間を潰すためだった。時間を潰すことは、教室でもできたことだが、俺は部室を選んだ。理由は目的を果たすために心を落ち着かせるためだが、本当のところはどうなのだろう。ただ待つのが恐かっただけなのかもしれない。 仲直り。 言葉では簡単に言えるそれだが、いざそれを実行しようとなると、いろいろ考えてしまうものである。どのように切り出そうかとか、どのように謝ろうかとか、そういうことを考えてしまい、無限のようにある選択肢の中から最適解を探しているような気分になってくる。終わりのない思考。散々頭を悩ませた後で、そういうものに自分が嵌っていると気付いたとき、俺はようやく、自分がやっていることの意味のなさを感じ、そのループを抜け出すことができた。もうどうにでもなれ、と、そういう心境に至ることができた。人間が想像できる範囲なんて限られている。物事は予想にもしなかった所へと転ぶ方がはるかに確率が高いのだ。そう自分に言い聞かせる。 開いた窓。揺らめくカーテン。回る扇風機。閉まった扉。 落ち着くものだった。願わくば、ずっとこうしていたいくらいだが、それだと柑森との仲直りを果たせないので、そういうわけにもいかない。だが、少しだけ。少しだけ、休息を取りたい気分だった。胸ポケットに入れている彼らを取り出し、机に並べる。いつものように、しばらくそれで目の保養をした後、俺は自分が今かけている彼女さえも取って、彼らの横へと一緒に並べた。……幸せだ。こうして、机に寝そべって、すぐ目の前には、俺が一目惚れした眼鏡ばかりが置いてある。周りには誰もいない。自分の部屋ではないのに、一人が約束されている。学校という、人口密度が高い場所で、こうして一人で静かな時を過ごせるというのは、なんだか感慨深いものだった。 これからは、早く起きて、早く登校して、この部室にやってきて、それで、今のこの時間を毎日のように味わうというのもありかもしれない。 そんな幸せな想像をしながら、 俺は―― 気付けば、 そのまま、目を閉じていた。 ――そして、次に目を開いたとき。 その光景を目にして、俺は自分の目を疑った。 机に置いていた眼鏡が、全て消えていた

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