ソーシャル・ディスタンス
穏やかな日々の崩壊~5

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 フォークで麺と具材を絡めて口に入れながら視線をテレビの方へと移す。コロナ関連から、土日で決まった新内閣における今後の対応についてのニュースに切り替わっていた。  そこでふと思い出す。 「そういえばさっき、緑里朱音と似た人を溝口さんの玄関先で見かけたと言っていたよな」 「うん。私も龍太郎に人違いだろうと言われてそうかもしれないって考え直したけど、ニュースを観たら有り得るかもって思った」 「そうだな。昨日の夜に東京から新幹線に乗って、名古屋に移動したとすれば考えられなくは無い。しかも親戚の家で以前来た事があるのなら、逃走場所に選んだとしてもおかしくないからな。連絡が取れなくなったという点を考えると、その可能性も十分あるよ」 「でも昨日の夜から警察が追っていたとしたら、直ぐに居場所は特定されるでしょうね。駅なんて防犯カメラが沢山あるし、名古屋へ向かったと分かれば親戚の家があるって直ぐに調べがつくはずよ」  本好きでミステリーなども含め沢山の小説を読んでいるだけあり、彼女の指摘は鋭かった。だが龍太郎もそれ以上に同種の本を読んでいる。よってそうした知識はそれなりに持っていた。 「もし行き先がここだとすれば、恐らく昨日の夜か少なくとも今日の朝までには、東京の警視庁から愛知県警に協力依頼を出しているだろう。そうすると、溝口さんの所にも確認の連絡が入っているはずだ」 「そうよね。もしそうだとしたら、かくまうのも無理があるでしょう。殺人の容疑がかかっているんだから、下手をすると溝口さんだって犯人隠避いんぴの罪に問われかねないよね」 「ああ。確か匿われていた人が裁判で無罪になったとしても、逃走を手助けしていた人が有罪になったケースがあったよな」 「うん。新興宗教の女性信者が逮捕された時、そうだった」  二十六年前に起こった地下鉄での大量殺人事件などに関与した疑いで全国に指名手配されてた彼女は、何年か前に逮捕されたが裁判で無罪となっている。  しかしその時彼女を十数年以上匿っていた同居男性は、犯人隠匿罪で執行猶予付きとはいえ有罪判決が出された。警察の捜査を長年に渡って邪魔をしたというのがその理由だ。  とはいえ柳畑の事件が最終的に事故だと判明し緑里朱音は無罪と明らかになった場合、溝口が匿ったとしても有罪になる確証は無い。あくまで状況によるだろう。短期間だったり止むを得ない事情があれば、考慮されたりして不起訴になる可能性もあるはずだ。  しかし有罪のリスクを負うと通常は考えるに違いない。 「まあ、香織の見間違いで無かったとすれば、早々に出頭するか連絡するよう説得しているんじゃないかな。玄関先で見たというのは部屋に入る所だったか。それとも出ようとしていたとか」  龍太郎の質問に彼女は首を傾げた。 「出ようとしていたのかもしれない。扉が開いて背中が見えたけど、直ぐにまた中に入っていった気がする。私達が階段で上がっていたから、音を聞いて隠れたのかもしれない」 「だったら何か荷物は持っていなかったか」 「肩からバッグをかけていたかも。ごめん。よく覚えてない」 「そうか。もし外へ出ようとしていたのなら、これから出頭しようとしていたのかもしれないよ。昼のニュースで流れていた位だから、もっと早いタイミングで本人には伝わっていると思うし」 「そうね。朝の時点ではまだ名前が公表されていなかったから、隠れていたのかもしれない。でもその後ネットか何かで拡散されて、逃げられないと覚悟した可能性はあるわよね」 「殺していたとしてもそうでないにせよ、ここまで広がっていたら逃げようがないだろう」 「でもどうして逃げたのかな。それに名古屋に来ていた理由って何だろう」 「そう言われればそうだな。ただ休みでこっちに遊びに来ていたのなら、直ぐ引き返していただろうし。それとも本気で逃げようとしていたのかな」 「だとしたら緑里さんが柳畑を殺す理由は何よ。いくら悪党だと世間からバッシングを受けている人だとはいえ、有名俳優が人を殺そうとはしないでしょう。あの人が過激な思想を持っているとは思えないけど」 「多分、殺すつもりではなかったんじゃないかな。揉めていたようだから、はずみで相手が階段から落ちたのかもしれない。それで怖くなり、咄嗟(とっさ)に逃げたって感じだろう」 「それはあり得るね。でもその前に、どうして柳畑のような人と揉めていたんだろう。以前からの知り合いだったのかな」 「ニュースだとその辺りは触れていなかったな。あとでネットを見れば何か分かるかもしれないけど」  二人共食べ終えたので、ごちそうさまと手を合わせ立ち上がった。一旦テレビを消して食器を洗う。その後香織は洗濯物を確認する為にベランダへと出て行った。 外は引き続き晴れ間が出て、秋とは思えない程の強い日射しが照りつけている。風はそれほど無かったが、この様子だと三時過ぎに取り込む頃には十分乾いているだろう。  これから夕方まではそれぞれの自由時間だ。龍太郎はリビングにある机の上に置かれた二台のノートパソコンの一つをダイニングテーブルへと移動させ、電源を入れて座った。  ここで時にはWⅰ―Fⅰを使ってネットを繋ぎ、ニュースを観たりする。または調べ物をしながら資格の勉強をするのだ。気分が乗らなければ本を読む場合もあった。  机は香織が主に使っている。机と言っても横幅が一メートル五十センチ程の、いわゆる書斎等に置かれる本格的な物だ。  一人で住んでいた時は上にプリンター、下にパソコンを置く机を利用していた。だが香織と一緒になった際、彼女の父親が愛用していた机をこの部屋に持ってきたのである。  椅子は長時間座っていても疲れない良いものなので、手芸等の作業をするには最適な為彼女が使っていた。そこにプリンターも設置している。以前の机などは、彼女の家とこの部屋にある物で不必要と判断したものと一緒に売却処分した。  例を挙げると冷蔵庫や洗濯機、テレビやテーブル、電子レンジなどだ。どちらか新しいまたは使い勝手がいい方を選び、この部屋に残すか引き取ってくれる店に運び込んだ。その際お互いの部屋におけるかなりの量を断捨離だんしゃりした為、本当に必要と思われる物しかこの部屋にはほとんど残っていない。  香織も机に戻って来て、もう一台のノートパソコンの電源を入れていた。彼女の物は、ダイレクトでネットと接続している。手芸をする前にネットの閲覧えつらんでもするのだろう。  龍太郎はすぐ資格の勉強に取り掛かる気になれなかった為、ネットニュースで先程話題に挙がった件が、どう記載されているかを調べて見た。  予想はしていたが、検索ワードのトップに緑里朱音の名が挙がっている。ニュースでも色んな媒体が昨夜の件を扱っていた。  見ていくと、二人がテレビを見ていた時間帯までは彼女の名が出ていない。だがその後、やはりSNSに彼女の名がアップされて拡散されていた。動画までは無かったが、目撃情報らしきものによれば、大手広告代理店主催のパーティーに二人は参加していたらしい。  しかしその内容は、龍太郎が想像していた状況とは異なっていた。ニュースで揉めていたと聞いた為、二人が口論でもしていたのかと思っていたけれど違うようだ。  実際には、柳畑が強引に緑里を会場の外へ連れ去ったという。その跡を秘書やマネージャー達が慌てて追ったらしい。  二人に面識があったかどうかはどこにも書かれていなかった。それに会場へ遅れて入って来た柳畑が、突然離れた場所にいた緑里の腕を掴んだというのだ。何故そのような行為に及んだかにも全く触れられていない。  また廊下に出た後の状況さえはっきりしなかった。ホテル内の非常階段に続く扉を開け、二人だけになったらしいとの記載はある。  けれどそこからどうして柳畑が階段から落ちたのか。どうやって緑里だけがその場を離れ逃げ、しかも行方をくらましたのか。肝心な点の多くが不明のままだった。  マネージャーと秘書が近くにいたなら、どうして死亡事故または殺人事件が起こるような事態になったのだろう。また緑里が行方不明になるような状況に何故なったのか。   緑里の所属事務所も現在確認中で今晩会見を開くと言ったコメントを出してから、新たな情報は発進していないようだ。それに名古屋方面へ向かった等の証言も、今のところ出ていない。よって頭を捻ることばかりで全く要領を得なかった。  そんな時だ。ベランダの外から何か音が聞こえた。窓は開いていたがそれほど大きくはない。けれどこのマンションは基本的に静かだ。よって聞き慣れない物音は直ぐに届く。  香織の方を見ると彼女も気付いたらしい。目だけで何だろうと互いに考えているのが分かった。そこで龍太郎は席を立った。 「ちょっと見てくる」  彼女が黙って頷いたのを確認し、網戸を開けベランダの外を見た。目立ったものは見えず、少し耳を澄ましたが何も聞こえない。  一旦閉めてリビングへと戻った龍太郎は、香織の顔を見ながら首を振り再度告げた。 「玄関側を見てくる」  不安げな目をしている彼女をおいて、リビングの扉を開け玄関先へと出た。ドアを開ける前にもう一度聞き耳を立てる。今度は何となく人の気配がした。  時々地域の回覧板が回ってくるので、それかとも一瞬思う。  三〇一の理事長で自治体の窓口になっている柴田夫妻がまず受け取り、三〇二からここ三〇三のドア横に設置された専用ポストに入れられ、次に下の二〇三へと渡されるのだ。その次は二〇二、二〇一、一〇一と続く。  しかしこれまであのような音を立てられた記憶はない。隣の横上のおばあちゃんは、いつ入れたか分からないほど静かに回してくれていたからだ。  このマンションの部屋はそれぞれ隣室と壁が接していない。玄関を出れば、狭い通路を挟んで三〇二号室がある。右側に出ると階段へ向かう廊下があり、反対側はベランダの方向だが途中に柵が設置されていた。第三者が勝手に侵入してこないよう塞ぐ為だ。  といってここは最上階の角部屋で、下の階とは違って小さな子供がいないから紛れ込むケースもまずない。二〇二の子達が上がって来たケースは、この三年間で知る限りだと一度しかなかった。その時はたまたま特殊な状況だっただけで、それ以降は無かった。  もしかして外から鳥か何かが飛んできたのかと思い、ドアロックをかけたまま少しだけ扉を開ける。以前転勤先のあるマンションで、エアコン用の換気口の隙間から小鳥が入り込み大きな羽音を鳴らした為、ちょっとした騒ぎになった件を思い出したからだ。  けれど右開きの為、廊下側が見えたけれど誰も何もいない。念の為にと一旦閉めてドアロックを外し、扉を開けて反対側を覗いた。  すると柵の方でしゃがんでいる人の姿が目に飛び込んできたのだ。龍太郎は心臓が飛び出るほど驚き、つい大声を出しそうになった。だが後ろ姿で、相手はふっくらとした中年女性だと気付く。しかも大きなスーツケースを持っている。そこで恐る恐る声を掛けた。 「あの、どちら様ですか」  彼女はゆっくりとこちらを振り向いた。マスクをつけ、薄いサングラスをかけていたから表情は良く分からない。だが何かに怯えている様子だった。  けれどそのたたずまいから、明らかにこの周辺に住んでいるような一般人でないと悟った。そこでまさかと思いつつ小声で尋ねた。 「もしかして、緑里朱音さんですか」  すると彼女は目を見開いた後、頷いてから立ち上がりこちらに向かってきた。余りにも突然の行動で、しかもコロナ禍の影響もあり反射的に後ずさりした。すると相手は唖然とする龍太郎の胸を手で押し、空いた隙間からスーツケースごと中へと入って来たのだ。  さらに彼女は後ろ手でドアを閉めたのである。これはさすがに困ると思い、抗議しようと口を開こうとした。  その瞬間、彼女がマスクとサングラスを取り、抱きつかんばかりの勢いで顔を近づけ懇願してきたのだ。 「一生のお願いです。匿って下さい」  声を震わせ今にも泣き出しそうな顔で詰め寄られた龍太郎は、再び距離を保ちつつ固まるしかなかった。何か言わなければと思ったけれど、咄嗟には声が出ない。  また頭の中では全く別の事を考えていた。 “うわっ、本物だ。顔小っちゃ。しかも肌が白くて綺麗だな。これで同い年か”  すると異変を感じたらしい香織が、リビングから出て来て二人を発見して言った。 「えっ、誰? 何をしているの」  彼女には、龍太郎が玄関先で知らない女性から迫られているように見えたのだろう。そう気づき、慌てて弁解をしようとしたがその前に相手が動いた。  龍太郎から離れ、今度は香織に突進して言った。 「怪しいものではありません。無理やり押しかけて申し訳ありませんが、ほんの少しだけ匿って頂けませんか。お礼は何でもします」  彼女は目を白黒させ、助けを呼ぶかのようにこちらを向いた。そこでようやく落ち着いた龍太郎は告げた。 「さっきまで話していた、緑里朱音さんのようだよ」  香織も認識したのだろう。軽く頷いたけれど、その後どうすればいいのか判断に困っているようで、助けを求めるように目を泳がせたまま再びこちらを向いた。  すると緑里は一歩下がり、今度は深々と頭を下げもう一度訴えた。 「お願いします。助けて下さい。私は何も悪い事などしていません」  そうだ。この人は柳畑が死亡した件で、警察から追われている身だったと改めて思い出す。このまま彼女を部屋の中に入れてしまえば、後日その事実が発覚した場合、犯人隠避の罪に問われる。それはまずい。

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