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「いえ。私達もそれを知りたいが為に、彼女を探しているのです。柳畑氏が亡くなられたと思われる時間帯、二人が一緒にいたことは間違いありません。ですからその辺りの事情を確認したいのです」 「ホテルの非常階段から落ち、頭を強く打った原因で亡くなったんですよね。緑里朱音が突き落としたのですか」 「それも分かりません」 「ホテルなら防犯カメラがあるでしょう。それには映っていなかったのですか」 「すみません。捜査に関してはお教えできないんですよ」 「そうか。もし突き落とした場面が映っていたら重要参考人じゃなく、指名手配されているはずですよね。だからまだ誰が突き落としたか、それとも事故なのか分からない訳か。だったら他の人が突き落としたとか、自分で足を滑らせ転倒したのかも不明なのですね」  さすがに辟易へきえきしたのか、平中は語気を強め反撃してきた。 「ですから捜査についてはお教えできません。ちなみにですが、もし犯人を匿うようなことをすれば、蔵匿ぞうとく罪または隠避罪に問われる可能性があるのでご注意ください」  その態度に怒りを覚え、強気で言い返した。 「なるほど。あなた達の尋ねて来た目的は、私達が匿っていると疑いそれを確かめるためでしたか。ではお伺いしますが、何かそう思われる根拠でもあるのですか。先程言いましたよね。捜査に協力するかどうかは、あなた達の態度次第だと」  思わぬ反論を受けたからか、平中は口を噤んだ。しかしその代わりに間宮が、穏やかな声で頭を下げながら答えた。 「気に障られたのであればお詫びします。ご主人が先程言われたように、疑うのは私達の仕事と言ってもいいでしょう。ただそれだけです。申し訳ありませんでした」  やはり彼の方がベテランのようだ。一度断りながら、香織を呼んだことからも侮れなかった。必要以上の会話が続き感情的になっていたからか、彼女は心配したのだろう。龍太郎の部屋着の袖を引っ張った。それでも言わずにはいられなかった。 「この方は犯人を匿うようなことをすればと言いましたけど、緑里朱音が犯人と決まっているのですか。先程説明されていた話と矛盾していますよね」 「申し訳ございません。彼の言葉が過ぎました。おっしゃられるように、現時点で特定はされていません」 「そうですか。地下鉄での大量殺人事件で長期間指名手配されていた女性を匿っていた人が、罪に問われた件は知っています。逃走犯に無罪判決が出たにもかかわらず、でしたね」 「よくご存じですね。お調べになったのですか」  彼の表情が急に変わった為、龍太郎はやや怯んだ。 「いえ。あの頃かなり話題になったので、覚えていただけです」 「そうですか。滅多にないケースでしたからね。ただあのような場合もあり得ることは確かです」  相手がまだ話を聞きたがっている様子に見えたので、何とか続けた。 「そういえばネットニュースでも話題になっていましたが、以前も有名人が逃走した事件ってありましたよね。今回とは違い、薬物使用の嫌疑がかかって逃げたパターンでしたけど、あの時も確か匿っていた人や逃走を助けた人がいたはずです。昔過ぎてお二人はまだ警察にいなかったかもしれませんが」  若い平中は口籠っていた為、間宮が答えた。 「私は当時まだ刑事になっていませんでしたが、警察官でしたから覚えていますよ」 「そうですか。あの時、匿った人は逮捕されたんでしたっけ」  彼は首を振った。 「いいえ。あの事件では逮捕状が出た後、弁護士を通じて出頭するとの連絡があった為、そういう方々から事情聴取しただけで逮捕はされなかったと聞いています」 「そうなんですね。だったら逮捕状が出るまでなら匿っていても、罪に問われないってことになるのかな」  挑発するようにそう告げると反論された。 「そうとは限りません。悪質な場合だと、罪に問われる可能性はあるでしょう」 「なるほど。まだ犯人とは決まっていなくても、匿う事で捜査の妨害をしたと解釈される訳ですか」 「いえ、必ずしもそうなるとは限りません。ただ逮捕、または最低でも身柄を拘束される確率は高いでしょう。そこから起訴されるかどうかは裁判所の判断ですから、私達警察には分かりかねます。ケースバイケースとしか申し上げられません」  龍太郎が調べたところによると実際の刑事訴訟法では、重要参考人の時点だと出頭を拒む権利が認められている。よって彼が脅しにかかっているのだと理解できた。その為別の質問をしてみた。 「ところで、亡くなった柳畑議員は反社から違法献金を受けた疑いで逮捕され、保釈中でしたよね。それでも無罪を主張して議員辞職すらしていなかったので世間から相当非難されていましたし、沢山の方に恨まれていたでしょう。そういう人が犯人である可能性はないのですか」  突然話題を変更したからか、それまで顔色一つ変えなかった彼の目線が、僅かに揺らいだ。しかし直ぐに答えが返ってきた。 「先程も言いましたが、事件と事故などあらゆる可能性を排除せず捜査中ですのでご理解ください」 「それにしては警視庁の人が愛知県警の管轄でずっといるのはどういうことでしょう」 「警視庁管轄内で起こった事件ですから、私達が捜査するのは自然な流れです。もちろん愛知県警にも連絡し、協力をお願いしております」  再び香織に袖を引かれた為にそろそろ引き上げ時だと思い、龍太郎は話題を切った。 「そうですか。ご苦労様です。ではもういいでしょうか。私も妻も午前中に出かけ疲れているので、少し休みたいのですが」 「はい。結構です。ただこれからもまたお伺いするかもしれませんが、その際はご協力をお願いします」 「分かりました」   不本意だったがそう言って頭を下げ、ドアロックを上げて扉をゆっくりと閉めた。心配していたが、何とか妊娠について詳しく追及されずに済んだ。  しかし去り際、相手はまだ何か言いたそうな顔をしていた。こちらが余りにも反抗的な態度をとったことで、余計に目をつけられたかもしれない。  そんな胸騒ぎを抱えていると、リビングに戻ったところで案の定、香織に注意された。 「あんなに突っかかったら、何かあるんじゃないかと疑われちゃうじゃない」 「ごめん。ただもう遅いかもしれない。彼らは最初の訪問から、ここが怪しいと睨んでいたんじゃないかな。だから俺達の日頃の行動がどうか、他の部屋の人に確認していたんだと思う。そうじゃないと余りにも反応が早すぎる」  彼女は目を見張った。気になったのか、隣の部屋から朱音も顔を出していた。 「そうなの」 「俺の勘だけどね。恐らく柴田さん辺りに聞いたんじゃないかな。同じ階だしこのマンションの理事長だからか、他の住民の行動をよく見ているって以前言ってただろ」  三カ月に一度開かれる理事会に出席した香織が戻ってきた際、そういう話を耳にしたことがある。彼女もそれを思い出したらしく頷いた。 「そうそう。二〇二のお子さんがマンションの中を走って他の階にまで上がったり、下りたりしたのを注意された時ね」  その日は名古屋でも珍しく雪が降り、廊下にまで吹き込んで少しばかり積もっていた。子供達は喜び、足跡を付けて遊んでいたという。まるで真っ白な絨毯じゅうたんのように広がっている上を歩くと、自分達の靴底の形が残るからだ。また踏みしめればギュッと音が鳴る。  それが楽しかったらしい。自分達のいる階だけでは物足りなくなり、他の階まで進出していた。そうした様子を柴田夫妻は見ていたのだろう。その場では注意せず理事会が開かれた際、マンション内でのマナーを守る例として議題に挙げたそうだ。  しかもその際親がどうしていたかだけでなく、日頃から平日なのに夜遅く子供を連れて出かけている行動なども、併せて注意したらしい。  まだ三十代の河合夫妻からすれば、夕食の為に居酒屋など遅くまでやっている店に子供と行くことなど、当たり前なのだろう。だが四十代の龍太郎達でも余り考えられなかった。よってほとんど七十代以上である住民からすれば、非常識としか思えなかったに違いない。  翌日が日曜日など休みの日ならまだしも、次の日に学校がある子供を何故遅くまで起こしておくのか。早く寝させるだけでなく、規則正しい生活を送るよう教育するのが親の役目ではないか。他にも高齢者達には理解しがたい振る舞いを、ここぞとばかりに暴露し批難したというのだ。  主張自体は香織にも納得できる話だったらしいが、聞いている内に怖くなったと言っていた。そんなところまで見ているのか。そう思わせる内容にまで触れていたからだという。  その為それまでも注意はしていたが、その後は特に揚げ足を取られる行動をしないよう、できるだけ気を付けるようになったのだ。  こうした価値観の違いはコロナ禍においてさらに広がり、可視化され始めた。それまでは気付かなかった人達の言動から、感染対策をどう考えているかによって人となりが分かるようになったからだろう。  緊急事態宣言などが出ている時の外出行動もその一つだ。また最近ではマスクもウレタンや布では不十分で不織布マスクが推奨され始めたが、ファッション性等の違いがあるからかもしれない。若い人を中心に相変わらずウレタンマスクをしている人は多かった。  マスクの嵌め方も鼻出しかそうでないか、列に並ぶ際の距離を守る人とそうでない人、堂々と会食をしている人や立ち話をする人とそうでない人等、様々な形で分類されるようになった。  元々人との距離を取って来た龍太郎達にとっては、ある意味良くなったと思う点もある。ただ明らかにマナーを守らず逸脱している人をみると、これまで以上にストレスを感じてしまうという欠点もあった。  結局は自己防衛の為、見て見ぬふりして距離を置くしかないとの結論に至ったのだが、一方でそれもどうかと思わざるを得ない世の中になったと怒りが湧いた。  そんな事を考えていると、香織達が心許こころもとない表情をしていると気付き話を変えた。 「まあ気にする必要はないよ。どちらにしても逮捕状や捜索令状が出ない限り、勝手にこの部屋の中までは入ってこられないから。任意で探したいと言われても、このコロナ禍を理由にすれば断っても不自然じゃない。それより柳畑を恨んでいる人物の仕業じゃないかと言った時、刑事の表情が変わったんだよな。もしかすると、そっちの線で何か動きがあるのかもしれない」 「そうだったかな。私は良く分からなかったけど」 「ほんの一瞬だったからね。もしそうだとしたら朱音さんに逮捕状が出る前に、真犯人が判明するかもしれない。そうなれば動画で無事だと伝えておいたら、騒ぐマスコミ達は押さえられるんじゃないかな」 「それならいいけど」 香織の顔がやや和らいだが、まだ朱音の表情は硬かった。その為尋ねた。 「マネージャーとの連絡はあれからどうなっていますか。打ち合わせは進んでいますか」

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