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 仕事帰りの電車で、篠宮からLINEの返信が届いていたので、慌ててチェックする。 「すみません、体調不良と言うのは噓です。店長に『あなたのやっていることは恐喝だ』って言われて、ショックを受けて寝ています。体調としては、仕事できます」  まりあは (そういうのを体調不良っていうんだよ)  と思いながらも、そのことはメッセージでは触れず、 「『あなたのやってること』って亮君、何をしたの?」  と返した。返事はすぐさまやってきた。 「誰に聞いたの? 店長?」   まりあも返信が来てからすぐに篠宮にメッセージを送った。 「うん、店長から聞いた。『あなたのやってること』って何か知りたいんだけど?」  そこから、しばらく返信が来なかった。結局、そのまま家の最寄り駅へと到着してしまった。扉が開き、電車を降りたあたりで着信があった。 「僕は恐喝なんて意識は全然なかったんです。ただ、『本当のことを言ってくれないと、こずえちゃんも僕もここにいられなくなる』って言ったんです。そしたら、こずえちゃんが変に解釈しちゃって……」  駅のホームでそこまで読み終えると、改札までの道を進んだ。 (確かに捉えようによっては、脅し文句になるかもしれない。けど、状況からして、こずえちゃんが曲解したんだ。そうでなかったら、つじつまが合わないもの)  そう自分に思い込ませながら改札を出ると、見覚えのある顔に出会った。 「ちょっと、亮君! こんなところで何してるの?」  まりあは思わず悲鳴にも似た叫び声を上げた。 「まりあさん、会いたかった。ずっと待ってました」 「バイトは……まあこんな状況じゃバイトに行けないよね」  まりあは精いっぱい小さな体を伸ばして、篠宮の頭を撫でた。ここじゃ人目に付くからとまりあと篠宮は帰り道を一緒に歩くことにした。雨が降り出しそうな厚い雲が空を覆っていた。 「この辺まで来るのは初めてだよね?」 「いえ、そんなことはなくて……。白状すると、まりあさんの家の近くに行ったことがあるんです。二年くらい前にまりあさんが倒れた時に同じ車両に乗っていたことがありましたよね。あれは、まりあさんの乗りそうな電車に目星をつけて、一緒に乗っていたんです。言ったら、ストーカーみたいなことですよね……」  それきり、篠宮は黙ってしまった。 「亮君からそんな言葉聞きたくなかったよ。今、亮君のことで頭がいっぱいなのに、またそんなことを言って、私を困惑させるんだから」  まりあは弱気な表情を見せた。篠宮はそんなまりあの顔を見て、項垂(うなだ)れながら言った。 「僕、あなたの前から姿を消します。いろいろ迷惑をかけましたし、バイトも辞めます」  まりあは呆然としながら、篠宮の顔を覗き込んでいた。 「ねえ、噓でしょ。百歩譲って、バイト辞めるのは仕方ないにしても、私の前からはいなくならないで。お願い」  そう言っても、篠宮の目は虚ろなままだった。 「僕はもうダメかもしれない。いろんな人のことを傷つけて、とても平気じゃいられないんです。それに僕はあなたと付き合う前からストーカーまがいのことをしていた。気持ち悪いでしょ?」  まりあは篠宮を平手打ちした。湿気のせいか、「ペチッ」という湿った音がした。 「ごめん。でも、亮君がそんな弱虫だと思わなかった。私の知っている亮君はいつも楽しげで、ちょっと弱気なところもあるけど、一途な思いを持つ人だった。でも、今は違う。もういいよ、別れてあげる」  そう言うと、まりあは紅潮した顔で家路を急いだ。空からはポツポツと雨が降り始めた。篠宮は追いかけることもできず、呆然とその場に立ち尽くすばかりだった。  アパートに帰ったまりあは眼を腫らしていたが、泣き止んでいた。 「おかえりー」  悠太の声がした。 「あっ、悠太だけなんだね。翔太はまだ?」 「お兄ちゃんは部活なんじゃない」  中学一年になった翔太は、部活に忙しい。塾に行かせたい思いもあるが、なかなか余裕を持てないのが現状だ。 「ごめんね、遅くなって。今、料理を作るからね」  まりあが鞄を置き、服を着替えていると、 「今日はおれも手伝う、宿題も終わったし」  悠太が声を上げた。この光景が当たり前になってきている状況に、まりあは兄弟の成長を実感していた。新型ウィルスで子供たちが家にいる間に、まりあは料理をちょっとずつ教えていた。そのおかげで、翔太も悠太も包丁を危なげなく使えるようになっていた。 「それじゃあ、ご飯洗っといて」 「ご飯なら、三合炊いておいたよ」 「じゃあ、卵を溶いてくれる?」 「分かった。いくつにする?」 「四個にしてくれる?」  悠太は冷蔵庫から卵を四個出して、リズムよく割り始めた。あっという間にボウルには卵の黄身が四個並んだ。それを菜箸で溶いていく。程よく溶き終えたところで、まりあが台所にやってきた。 「悠太いつもありがとう。あとはやっとくから、トマトときゅうりとレタスでサラダを作ってくれる?あとブロッコリー茹でたやつもあったかな」  狭い台所に、親子が並んで立っている。小学四年になった悠太の身長はもうすぐまりあのそれを超えそうだ。 「お母さん、今日会社で嫌なことあったでしょ?」  悠太が聞いてきた。 「どうして、そう思うの?」 「目の周りが赤いからかな。何となく元気もないし」  まりあは悠太の成長を脅威に思い始めた。 「そうね、ちょっと会社で嫌なことがあったんだ。でも、もう大丈夫。悠太の顔を見てたら、元気になったよ。あとは翔太の顔も見られたらもっと元気が出るかな」  と話していると、玄関ドアを開く音がした。それと同時に、 「ただいま、腹減ったなぁ」  という翔太の声が聞こえた。翔太の声は声変わりが始まったのか、心なしか低くなったように聞こえた。 「おかえり、兄ちゃん」 「おかえり、もうすぐできるから、早く着替えちゃいなさい」  まりあも悠太も台所から言った。  料理も出来上がり、三人は料理の並んだテーブルに座った。 「はい、みんな手を合わせて、いただきます」  とまりあが言うと、翔太と悠太が 「いただきます」  と口をそろえて言った。二人とも以前は好き嫌いが多くて、まりあを困らせたものだったが、育ち盛りと言うこともあってよく食べるようになった。ご飯は三合炊いていたが、あっという間に平らげてしまう。食費がかかって仕方がないが、まりあにとって元気でいてくれることが一番だと考えていたので、嬉しいことだと捉えていた。 「ごちそうさま」  まずは翔太が食べ終えた。そうかと思うと食器を台所の流しまで持っていき、水につけた。続いて悠太も、 「ごちそうさま」  と言い、また食器を台所に持っていく。まりあはその様子に兄弟の成長を感じずにはいられなかった。まりあは居間に戻って、テレビを見ている翔太に聞いてみた。 「最近、学校楽しい? 吹奏楽部の部活でいつも遅くなっているけど」 「学校はまあまあかな。勉強についていくのは大変だけどね。今は部活の方が忙しいよ」  口数も少なくなっている。やはり、親と話するのも煩わしい年頃だろうか。 「今度、吹奏楽部の演奏会があったら、休みとって聴きに行くからね」 「いいよ、恥ずかしいから」  まりあはそれ以上、話をするのを止めた。  子供たちも寝静まり、まりあは少しだけ読書をしようと本棚を漁っていた。彼を振った日の夜なのに、妙に落ち着いている自分がいることにまりあは驚いた。 (あれだけ愛していたのに、愛の終わりってあっさりしたものだな)  離婚の時に散々噛み締めたことを、再び思っていた。だが、今回は自分で篠宮を振った実感がほとんどと言っていいほどなかった。また明日、篠宮に会えるんじゃないかという期待を微かに抱いていた。  小説本を読み進めているうちに、眠くなってきたまりあは寝ようと支度を始めた。すると、LINEの着信音が鳴った。 (こんな時間に誰だろう)  とチェックをしてみる。すると、猛からのメッセージだった。 「お前、バイトと付き合ってるんだってな。噂が本社にも伝わってきてるよ。それに文星新人賞を取ったバイトをいびって辞めさせたそうじゃないか」  まりあは体中が熱くなってきて、眠気も醒めてきた。 「別に誰と付き合おうと勝手でしょ。あんただって、バイト時代の私と付き合ってたんだし、文句言われる筋合いないよ。それにバイトをいびったことなんてないし、ちょっと事情を聞いただけだよ」  という内容を猛に送りつけようと思った矢先だった。先に、猛からメッセージが届いた。それでも、まりあは気にせずにメッセージを送った。頭が沸騰するくらい熱くなっていたので、猛からのメッセージは見ないでおこうと思い、そのまま寝室へ向かい、ベッドに向かってスマホを投げつけた。そして、その勢いでベッドに潜り込んだ。  翌朝、駅に着いたまりあはホームでLINEを開いた。猛からのメッセージは未読のままだ。それ以降も新たなメッセージは増えていない。 (見れば、心が乱れてしまう)  と思い、あえて、未読のままにしておいた。  職場では相変わらず、誰とも挨拶以外は話さず、黙々と仕事に励んだ。あっという間に時間は過ぎ、終業の時間を迎えた時に、 「河合さん、ちょっと話があるんだけど」  と角田店長に呼ばれた。化粧っ気のない角田は昨日と同じようにまりあを事務所に連れて行った。 「河合さん、今の職場環境に不満はない?」 「いや、特に不満はありませんけど」  まりあは必死に否定する。この手の話をするときはある話題をするときに共通するものだった。彼女は覚悟を決めた。 「河合さん、今の店舗だと、通勤時間が結構あるでしょ。お子さんもまだ小さいんだし、通勤時間が短い方がいいでしょ?」 「と言いますと……」 「あなたに橋本店に行ってもらって、店を盛り上げてほしいんです」 (やはりそうだったか……)  まりあは一瞬天を仰いだ。大型店舗からの異動、しかも季節外れの異動だから、事実上の左遷ということになる。  まりあは仕事帰りにコンビニに寄って、チューハイを買った。最近のチューハイはアルコール度数が高い物が多いから、すぐに酔える。そう思って買った。翌日は休みだった。猛からのメッセージを見てみる。 「これはまだ秘密にしてほしいけど、お前は相模原の橋本店に異動になる。これは今日決まったことだ。まあ新宿は店長が厳しいから、何かと傷つくことが多いだろう。遠くの店舗に行ってリハビリした方がいい」  まりあは今すぐに酒を飲み、現実逃避をしてしまいたいと思った。 第3部完、第4部につづく

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