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 猛からプロポーズを受けてからの約半年は、せわしなく過ぎていった。互いの実家を訪ねて、両親に挨拶をした。猛の三浦半島にある実家では、彼の父が大きな魚を釣ったことを自慢し、魚拓を見せてくれた。彼の母は控えめで、あまり前に出たがらない人だった。まりあは猛の母を見て、ああいう人が良妻賢母というのだなと思った。  そして、まりあの実家も訪ねた。彼女の父はやはりここでも緊張していて、彼が時々放つジョークも空回りに終わることが多かった。母は呆れながら、ジョークを受け流し、話を進めた。 どちらの家も幸福だったのは、祝福されたことだった。二人は歳の差が十歳もあることで、結婚を反対されはしないかと気を揉んでいた。だが、それは杞憂に終わり、結婚準備も順当に進んでいった。式場も新婚旅行もまりあの考えがほぼ反映されたものになった。  目の前に続いているのはバージンロード、まりあは今からその道を父親と歩く。父は緊張しているのか、表情が硬い。 「お父さん、いつものように歩けばいいんだから」 「まりあ、そんなことを言っても、結婚式だぞ。緊張するのは当然だろう」  いつもはふざけてばかりいる父だが、いざとなると緊張してしまうのだなとまりあは思った。そんな父を見ていると、彼女は逆に冷静な気持ちになった。  チャペルの扉が開き、オルガンの演奏に合わせて、新婦と父親はバージンロードを進んでいく。拍手の中で、大勢に祝福されながら。途中で父親はエスコートを止めて、新郎にその役割を引き継ぐ。それからは説明するまでもなく、一連の流れに沿って式が執り行われた。式が終わると、今度は披露宴が待っている。それまで、新郎新婦はそれぞれの控室で待機することになった。 「疲れましたか?」  式場のメイクさんに尋ねられたので、 「いえ、まだ大丈夫です」  とまりあは答えた。 「ご主人、頼りがいのある感じでいいですね」  ”ご主人”などと未だに実感の湧かないまりあの中では、一瞬誰のことを話しているのか分からなくなった。しかし、 「そうなんですぅ」  とすぐに甘ったるい声を上げた。 「じゃあ、メイク直しますね」  その一言で、まりあはメイクを施されることになった。  一方の猛は、何やら疲れの色を見せていた。 「僕も歳かな、緊張感が解けるとすごく疲れるんだけど」  と式場の職員に愚痴るように言った。 (早く結婚式なんて終わらないかな。こんな堅苦しいのは苦手なのに。披露宴の余興とか両親への手紙がくだらなく思える)  そう思いながら、ペットボトルの水を口に含んだ。それでも、まりあが近くに来ると彼は笑顔を見せ、愛想よく、 「次は披露宴だね。緊張するなあ」  などと白けた心を抑えて言うのだった。  披露宴の会場は両家の親戚や友人で賑わっていた。もちろん、その中には角善堂書店の仲間もいるし、まりあの友人である美咲と智美もいた。二人は披露宴会場の扉の前にいる。まりあは誇らしげな表情を浮かべていた。一方の猛はやや疲れた顔をしていた。 「ねえ、ちょっとしんどいってことはない? 無理しなくていいからね」  とまりあが心配になって声をかけても、 「大丈夫だ」  そう一言発するのみで口を真一文字に結んでいる。そして、扉越しに聞こえる司会者の紹介の後、扉は開いた。まりあが選んだ結婚式の定番ソングに乗せて、二人はキャンドルサービスを各テーブルに行うと、高砂に鎮座した。それから、来賓のスピーチや乾杯の挨拶があって、歓談の時間になった。 「ねえ、猛君は飲まないの?」 「ああ、今日はちょっと酒を控えようと思ってね」  猛は高砂にあるテーブルの下のバケツにワインを捨てていた。 「こんな楽しい時なのに飲まないなんて、変わってるね」  まりあはそう言うと、グラスに注がれたワインを飲んでいく。そこに、美咲と智美がやってきた。美咲は淡いピンクの、智美は翡翠色のそれぞれパーティードレスを身にまとい、化粧もバッチリと施されていて、美しかった。 「まりあ、おめでとう! とってもきれいだよ。私もこんなドレス着たいなあ」  智美が言うと、 「まりあ、おめでとう! 猛さん、こんなどうしようもないまりあですが、幸せにしてあげてください」  美咲も興奮気味に話す。式場のスタッフに頼んで、四人で写真を撮った。四人とも満面の笑みを湛えていた。披露宴会場に入場する前の疲れた表情とは大違いの笑顔を、猛は作っていた。 その後も高砂に寄ってくる親戚や友達に二人は愛敬を振りまき、感謝の思いを伝え、笑顔で写真に応じていた。そして、余興である。最初に美咲と智美が感謝の手紙を読み、読んでいた二人がもらい泣きしたり、それを見ていたまりあも号泣したりした。一方で、ほとんど素面の状態の猛は涙を流すことなく冷静でいた。その後に、美咲と智美は泣きながら、「Can you celebrate?」を歌い上げた。その健気さに会場からは、 「いいぞ」  とか、 「かわいい」  などという声も聞かれて、感動を誘っていた。二人は恥ずかしそうにマイクの前から去っていった。  その次に余興を行ったのは、二人の職場である角善堂書店のメンバーだった。まりあと猛が在籍していた当時の店のメンバーが集まり、角善堂書店の社長からメッセージが寄せられたり、みんなで「てんとう虫のサンバ」を歌ったりした。まりあも歌を口ずさんでいる。その傍らでは猛が目を潤ませてながら、その景色を眺めている。 結婚式も終盤を迎え、まりあによる両親への手紙に入った。まりあは用意した手紙を読み上げる。彼女の視線は自身の両親、そして猛の両親に注がれている。 「お父さん、お母さん、今まで育ててくれてありがとう……」  と言った時点でまりあは涙でむせび、二の句を継ぐことが出来なくなった。横にいた猛は彼女に白いハンカチを渡し、涙をぬぐうように促した。 「まりあ、これで……」  これで冷静になれたまりあは、両親への手紙を無事に読み上げることができた。その瞬間に起こった拍手は何よりもまりあと猛を祝福しているように思えた。  結婚式、披露宴、二次会と終えて、まりあと猛が、式場が用意したホテルに到着したのは、夜の十時を過ぎたくらいだった。 「ああ、疲れたね」  猛が言うと、まりあは 「そうね、でも今日は楽しかったなあ」  と返した。それから、 「やっと2人になれたね」  と猛の耳元で囁いた。まりあはこの日の夜のことを期待した。初めて二人が結ばれた夜のように、全身から熱が放散される感覚があった。 「俺、先にシャワー浴びていい?」  と猛が言うので、 「いいよ」  と返した。猛がシャワーを浴びている間に、まりあはコンタクトレンズを外して、眼鏡をかけた。でも、化粧はこのままにしておきたかった。今までに見たことのない顔。その顔の美しさに仮面を被っているような感覚に襲われる。しばらく、自分の顔に見とれていると、シャワーの音が止んだので、慌ててベッドルームへと戻った。  猛がシャワーから上がってきたので、今度はまりあがシャワールームに入った。まりあは惜しみながらもクレンジングを顔に付けて、化粧を落とした。頭と体を洗い、体を温めたところでシャワールームを出た。すると、寝室がしんとしている。しかも、耳を澄ませてよく聞くと、寝息を立てている。猛が疲れ果てて眠ってしまったのだ。 「なんだ、せっかく心の準備をしてきたのに」  不満を口にしながらも、 「やっぱり疲れてたんだね。きっと無理もしたんだよ。仕方ない今日はゆっくり休むか」  と呟いて、気持ちを切り替えた。不満はあったが、割り切れるだけの度量があったのだ。  それが二人のズレの始まりだったのかもしれない。 つづく

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