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 気がつくと朝の五時になっていた。どうやら、まりあはテーブルで寝落ちしてしまったらしい。 「ああ、篠宮君と出会った時の夢だったなあ。それにしても、あのときから私は篠宮君にとってはお母さんみたいな存在だったんだね」  朝起きるには三十分ほど早かったが、朝の家事を始めた。洗濯かごに入った洗濯物から汚れた服と下着を浴室に投げ込み、残りは洗濯機に放り入れた。スイッチを押し、洗剤と柔軟剤を洗濯機の洗剤入れに流し込む。洗濯機はいつものように何食わぬ顔で動いてくれる。何しろ、元夫からの慰謝料を貯めて奮発して購入したドラム式洗濯乾燥機だったから、まりあはそこに並々ならぬ信頼を寄せていた。そんな彼女は浴室に入って、下着や汚した息子たちの服を洗濯用石鹼で洗っていく。 (子供の服ってどうしてこんなに汚れるんだろう)  とそっと心の中で呟く。 「私は体が弱かったから、服を汚すくらい遊ぶなんてことはなかったなあ。昔から本ばかり読んでいて、だから本屋さんになりたいって思えたんだろうけど」  次第に思っていることが言葉になって溢れ出す。 「汚すくらい遊んでいる息子たちを見ていると、羨ましく思うんだよなあ。私もあんな風に遊びたかった」  まりあは浴室の服をすべて洗い終え、すでに動いている洗濯機の一時停止ボタンを押して、ふたを開けた。そして、服を洗濯槽の中に放り込んだ。 (篠宮君の子供の頃って、どんな感じだったんだろう。あまり子供の頃のことは話してくれないからなあ)  まりあの興味は篠宮の方へ移っていった。  今日の朝食は何にしようかと、小学校の給食の献立を見る。すると、今日の昼食はパン食だった。なので、ご飯を主食にしようと、米を研いだ。本当は昨晩のうちに準備しておきたかったのだが、寝落ちしてしまったから朝に慌てて米を研いでいる。早起きできて良かったと、まりあはホッと胸をなでおろす。一度寝坊をして、子供たちと一緒に起きてしまったことがあった。そのときは子供たちを食べさせて、学校に送り出すのが関の山で、部屋も家事もほったらかしのまま職場に向かっていったのだった。 「はあ、篠宮君は今頃まだ寝ているのかな。今日は夕方から来てくれるから、ちょっとしか会えないけど、楽しみだな」  とため息を漏らしながら、朝食を作り上げた。今朝はご飯に味噌汁、卵焼きに昨日の残りのサラダだ。  休む間もなく、まりあは子供たちを起こそうと寝室へ向かった。すると、翔太はすでに起きていて、ベッドの端に用意してある着替えに袖を通そうとしていた。 「何でノックもしないで部屋に入るんだよ、着替えてるのに」  翔太は慌てて、Tシャツを着た。 「何言ってんの? あんたの裸くらい、赤ちゃんの時にたくさん見てきたわよ。それより悠太は? まだ寝てるの?」  翔太はベッドを指差した。掛布団にくるまれるように悠太は眠っていた。まだ起きる気配はない。 「悠太、そろそろ起きないと遅刻するよ」  まりあはそう言いながら、悠太の体を揺する。布団から顔だけ出して、まるで蓑虫のような悠太の瞼(まぶた)はピクリとも動かない。今度は布団を剥がすことにした。必死になって布団にしがみつく悠太を布団から引き剥がしたまりあは、 「いい加減に起きなさい」  と苛立った口調でまくし立てる。ようやく悠太が目を覚ましてくれたと思ったのだが、 「学校行きたくない。勉強ばっかりで嫌だ」  と言って、布団を引っ張った。 「どうして、学校が嫌なの? 一年の時は学校楽しいって言ってたじゃない」 「一年は楽しかったよ。ウィルスが流行ってから、つまらなくなった」  そう言えば、今年度の春先は休校期間が長くて、子供たちは二人で一日中お留守番なんてこともあった。そんな友達とも遊べない日々続くと、ストレスが溜まってきて、特に悠太は急に泣き出したり、服の袖を噛んだりするなどといったことを起こしたりした。いざ学校が再開されると、すぐに順応していった翔太に対して、悠太は再開してしばらくすると、 「お母さん、お腹痛い」  などと登校前に訴えるようになった。トイレでもなく何とか学校に通わせたが、どうしたものかと頭を抱えた。以降も、なんだかんだと理由をつけて、学校へ行くのを嫌がっている。まりあは仕事を休んで、悠太の担任やスクールカウンセラーと話をしたものの、 「いじめの兆候はありませんでした」  との一点張りで、悠太も、 「いじめられてるわけじゃないし」  と話している。そこまで両者に断言されてしまうと、それ以上追及できないというのが実情だ。でも、何か共犯関係にあるのではと悠太や学校関係者を疑いたくなる。そのくらい、まりあの中ではもやもやしている。  結局、無理やり起こされることになった悠太は、 「眠いよー」  と言いながら、不機嫌そうにパジャマから洋服に着替えている。その間に、翔太の朝食を先に済ませようと、まりあは弟のことをじっと見つめる翔太をリビングに向かわせた。翔太はテレビを付けると、キッチンに用意されているご飯、味噌汁、卵焼き、サラダを大皿やお椀に盛り付ける。それをテーブルに運ぶとテレビを見ながら、朝食を摂り始めた。 「ほら、早く早く。遅刻しちゃうよ」  まりあの声のする方では、目をこすりながら悠太がようやく寝室から出てきた。時間がないので、悠太の分の朝食はまりあがよそう。テーブルに三人が揃うと、皆がそれぞれのスピードで食事をする。翔太は先に食べ終え、歯磨きをするために洗面台に向かった。まりあも急いで食事を終え、同じく歯磨きを始めた。一方、悠太はマイペースなのか、テレビを見ながらゆっくり食べている。時折、食事の手が止まるくらいだ。テレビはニュースが終わり、エンタメ情報を伝える時間になっていた。悠太の好きなアニメ映画の興行収入がうなぎ上りだという話題を女性アナウンサーが伝えている。 「ちょっと、まだ食べてないの? 本当に遅刻するよ。テレビを見ながら食べるから遅くなるんでしょ? テレビ消すよ」  歯磨きを終えたまりあが半ば脅かすように、悠太を急かす。 「ええ、やだよ。急いで食べるからさあ」  悠太は慌てて、ご飯を食べ始めた。その間に翔太は学校へ行く準備を終え、悠太を待っている。翔太がまりあの代わりに悠太を見張っていることを確認すると、化粧を始めた。しかし、しばらくすると悠太がまりあのところに泣きそうになりながら、やって来た。 「あのね、兄ちゃんがね、チャンネル勝手に変えたの」  悠太は母親の顔を見ると、涙をポロポロとこぼした。化粧の途中だったが、まりあはリビングへ行き、 「翔太! あんたは余計なことして」  と言った。それに対して、 「だって、こいつがテレビばっか見て、手が止まるから」  と翔太は悠太を睨み付けて言った。まりあは困り果ててしまい、 「分かったけど、できれば声をかけてからにしてよね。それに悠太はもう食べなくていいから、早く歯を磨きなさい」  と言うのが精いっぱいだった。 (ああ、毎日なんでこんなに苦労するんだろう)  心の中でそう呟き、再び化粧をし始めた。化粧を終えるころには、悠太も歯を磨き終え、学校へ行く準備を始めていた。 「忘れ物はない?」 「あっ、そう言えば、昨日プリントもらってきたんだった」  慌てる様子もなく悠太は言う。 「ちょっと、見せて。なんで昨日見せないの?」  プリントを見ると、来週中に必要なもののお知らせが載っていた。 (今日のお知らせじゃなくてよかった)  と内心ホッとしながら、そのお知らせを冷蔵庫に貼り付けた。 「今度こそ忘れ物ない?」  念を押すように聞くと、 「うん、ないよ」  と悠太が返事をした。時計を見ると、もう出かける時間になっていた。玄関を出て、アパートの廊下を急いで渡る。階段を降りると、まりあと子供たちは別れることになる。 「いってらっしゃい、二人とも気を付けてね」  まりあは悠太のことが心配でならなかった。いじめやトラブルの兆候は見られないと報告を受けても、本当は何かあるのではないかと思ってしまう。(でも、悠太は『いじめられてない』と言っているのだから、それを信じよう)  そう心に刻み込むことにした。 つづく

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